第三章


 草壁先輩が再び席に戻ってきて、私の前にアイスティとガムシロップとストローを置いた。
 ドキドキとした落ち着かない気分を抑えつつ「ありがとうございます」と必死に伝えた。
「遠慮しなくていいって。ちょうど俺もコーヒー飲みたくなったんだ。特にこくのある苦さのものがね」
 そう言って、カップを一口すすっていた。
 私もガムシロップを入れてストローを差し込んで、口にする。
 アイスティーを口に含んだ時の味わいが、すっと体に馴染んでいく。「おいしい」と思った時、少しだけ気分が落ち着いた。
「さて、さっきの続きだ。小出しで申し訳ないね」
「いえ、その、大丈夫です」
「さっきも言ったけど、俺は櫻井に気があった。一年の時の話なんだけど、俺と櫻井は同じサッカー部員同士で、話す機会も多かったんだ。そのときに特別な感 情が芽生えた。櫻井は積極的で、見掛けもいいから持ててた。自分でいうのもなんだけど、俺も女の子達から注目を受けて言い寄られる事が多かったんだ。それ が自惚れとなって、俺は女に持てるって口には出さなくとも心の中で思っていた」
 面映いのか、草壁先輩は恥かしさを誤魔化すためにここでまたコーヒーに口をつけていた。
「だから当然、櫻井も俺の事が好きだろうって自惚れていたよ。櫻井は面倒身がいいから、世話を焼くのが上手いし、話題にも事欠かさない。それだけ機転が早 くて、細部まで気配りができる人なんだ。あの時、俺達は冗談交えて何でも話し合ったりできて、周りもいつも囃し立ててきた。俺はそれが当然のものだと思っ てたし、そういう関係が心地よくて自然に付き合っていると思ってた。でもそれは俺の思い違いだって気がついた時、俺のプライドはずたずたに傷つけられたん だ」
 草壁先輩の顔が一瞬強張っていた。
「俺に夢中な女子達は一杯いた。俺をアイドルのように見立てて、持てはやす女子も多かった。俺はみんながイメージした通りのかっこいい自分をいつのまにか 演じさせられて、醜態を見せるのが恥だと思うようになってしまった。つまらないプライドだと思っても、一度そこにはまり込むと、抜け出すのが困難なよう に、俺は自分で自分を縛りつけ、かっこいいままでありたいと思うようになっていた。本当に中身のない男だったと思う。それでも囃し立てる女子の目が気に なって見栄を張っていた。だから、櫻井に振られたなんて絶対に思われたくなかった。寧ろ俺の方から振ったという事にしたくて、俺はそんな体裁を取り繕っ た。愚かな行為だったと思う。俺の方から櫻井を避けるようになり、口を聞く事も少なくなっていった。だけど、櫻井はマネージャーという立場から俺を無視す る事はできずに、常に普通に接していた。多分彼女は気がついていたけど、特別に何をいうのでもなく、世間が誤解するまま俺を立ててくれていたんだと思う。 そういう無駄な気配りもしてしまうから櫻井には脱帽だった」
 大変な話に、私は相槌もできず圧倒されて聞いていた。
 二人が部室で話した時に感じた違和感はこれだったんだ。
 どうも櫻井さんは草壁先輩が好きで追いかけているとは思えなかった。
 冷静で私情を挟むようなしぐさが一切見受けられなかった。
 これで疑問は一つ解決した。
 全てを話した上で、草壁先輩は自分の愚かさを反省し、そして櫻井さんが自分を守ってくれたように、今度は草壁先輩が彼女の名誉を守ろうとした。
「だから、君がもらったという手紙は櫻井は絶対に関与してないと言い切れるんだ。あれは誰かが成りすまして君に警告してるだけだと思う。そして俺はそれを 見て、自分のやってることと代わらないと思ったよ。俺も櫻井が何も言わないことをいいことに本題を摩り替えてしまったからね。お蔭で目が覚めたというの か、吹っ切れたよ」
「そしたら、この手紙は一体誰が」
「それ、下駄箱に入ってたっていったよね。きっと君の身近にいる人じゃないのかな。だって、学年が違えば、名前が書いてない下駄箱なんて、誰の下駄箱かわからないもんだと思うよ。まあ、よほど探りを入れて調査したなら別だけど。櫻井はそんな事する奴じゃないしね」
「でも、私の事が嫌いってことですよね。そしたら、常盤先輩?」
「常盤? それなんだよ。なぜあいつが、あたかも櫻井が俺に気があるという事にして、俺とくっつけたがって、千咲都ちゃんに攻撃するのがわからないんだ。 俺にはそれが都合いい感じに働いたけど、それにしても櫻井を盾にして、俺が他の女子とくっ付くのも、話すことも監視するのはやりすぎだよな。勘違いにして も、櫻井と友達なら事情は分かりそうなものだし、ちょっとそこが不可解なんだ」
 この部分の謎だけとけなくて、草壁先輩は腕を組んで考え出した。
 櫻井さんは草壁先輩を好きではないと分かった今、櫻井さん親衛隊の存在が浮いてきた。
「だけどやっぱりあの手紙は常盤さんじゃないでしょうか。あの人なら探りを入れて私の下駄箱見つけるくらい簡単そうですから」
「それでも、常盤でもないと俺は思う。あいつが成りすましたとしても櫻井の漢字を間違って書くかな」
「でもうっかりってありますからね。斉藤と斎藤、渡辺と渡邊、とかだったら、私は簡単な方を選びそうです」
「櫻井と身近じゃない奴ならそう書くかもしれないね。でも人間って結構自分の字を間違えられたら嫌だから、身近な奴が間違って覚えてたら絶対はっきり言うと思うんだ。友達なら意識して間違わないように書くはずだし」
「常盤さんは櫻井さんと仲がいいんですか?」
「うーん、一年の時は同じクラスだったけど、二年でクラスが離れたから、四六時中仲がいいって訳じゃないな。友達な事は確かだと思う。だけど、常盤は櫻井に執着しすぎなところが異常すぎるけどね」
「執着が異常……」
 親衛隊みたいなことをしてるだけに余程好きなのかもしれない。私だって女だけど、櫻井さんには憧れている。
 櫻井さんはやっぱり素敵な人だった。
 草壁先輩も櫻井さんの魅力を感じていたのに、なぜ報われなかったのだろう。
 こんなにかっこいい人なのに、なぜ櫻井さんは草壁先輩に興味をもたなかったんだろう。
 今度は反対にそっちの方が気になってきた。
「どうしたんだい、眉間に皺を寄せて。こんな話を聞いて、俺に幻滅したかい?」
「ううん、そんな事ないです。草壁先輩がそんな悩みを持っていたなんて信じられないくらいです。草壁先輩ですら悩みがあるんですから、私もちょっと勇気付けられたというのか、少しだけ頑張ろうかなって気になりました」
「無理をしなくていいんだよ。俺はそういう世間の目というものに捉われすぎて、自分を決め付けてしまった。中身のないハリボテにいい加減嫌気が差したん だ。そんな時、千咲都ちゃんは俺の中身を褒めてくれただろう。あの時、とても嬉しかった。何事にも必死で、一生懸命になって無茶をするのを見てたら、俺も 同じように周りを気にせず突進んでみたいなって思ったんだ。それに俺を頼って来てくれたのも、男としての自尊心を高めてくれたというのか、自分にとって前 向きにさせてくれるものを感じたよ。君といると、本来の自分の姿をさらけ出せるんだ。こんな事話せるのも君だからだったんだ」
「いえ、そんな、私の方が、いつもお世話になってますし」
 私は照れを隠すように、アイスティーのカップを手に取り、一口含んだ。
「だから、俺は君が好きになったんだ」
「ゴホッ」
 喉から逆流してきた。軽く咳払いし、目を真ん丸くして草壁先輩を見つめる。
「千咲都ちゃんの事が気になって仕方がないんだ。それで、俺と付き合ってくれないかな」
 静かにさりげなく言われた。
 驚きすぎて、私の時が一時停止してしまった。
 女生徒の憧れのかっこいい先輩が、カフェショップの傍らで、私に微笑みかけて告白している。
 今、私の脳の中でシナプスのつなぎが悪く、それぞれの感情の機能に反応の遅れを生じていた。
 軽くショートして、全ての機能が停止した状態で目だけは草壁先輩を見つめていた。
 そしてやっと脳の回線が繋がった時、私は驚きのあまり目が飛び出た。
 私のイメージ的な感覚であったが、多分、漫画でよくある、ボヨーンって飛び出す感じで。
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