第四章


 ブンジと最後のお別れをして家を出た時は、すでに登校時間には間に合わず、遅刻すると分かっていた。
 それもまたどうでもよいことだった。
 案の定、担任がすでにホームルームをしている時に私は教室に入った。
 クラス全員から注目を浴びたけど、何も感じず堂々とふてぶてしく席に着いた。
 以前の私なら、恥かしくコソコソとして遠慮がちに身を丸めていただろうけど、そんな事をする方が笑われるというものだった。
 先生から、何かあったのかと言われたが「いいえ」とそっけなく返し、鞄から筆記用具、教科書、ノートを出すことの方に集中した。
 希莉が振り返り私を見ていたような気がするが、もちろん無視する。
 どうせ、愛想笑いしたところで、何の反応もないのだから、視線を感じて振り向くのも邪魔くさかった。
 一時間目の授業が終わったところで、柚実が希莉を引っ張って私の前に現われた。
 私は無表情に顔を上げ、じっと交互に二人を見据える。
「何かあったの、千咲都。遅刻も珍しいし、雰囲気もいつもと違う」
「悪いけど、一人にしてくれる。どうせ何を言ったところで、私達は仲たがいしたままだし、もう疲れたの。それなら無視してくれていいから」
「どうしたの、千咲都」
 柚実は酷くびっくりし、口を半開きにして動揺していた。
 希莉も驚いていたが、何かを思案する様子だった。迷った挙句声を掛けてきた。
「千咲都、何があったの?」
 私は思わずキッと希莉を睨みつけていたように思う。急に声を掛けてきたことが受け入れられなかったし、これ以上話をしたくなくて態度に知らずと本音が出ていた。
「放っておいて」
 二時間目の教科書とノートを取り出し、それを力強く机に叩きつけた。
 その音に二人はビクッとして、言葉に詰まっていた。
 その後、私は二人から視線をそむけ、焦点を合わせずに正面を見つめる。
 やがて、二人は去っていったが、これで堂々と私はボッチになってしまった。
 もうそれでもいい。
 全てが投げやりに、馬鹿馬鹿しくて、周りの人が何を思おうとすっかり関心がなくなってしまった。
 私の心は空洞で、いつまでも風が自由に吹きすさび、冷たく通り抜けていく。 
 相田さんが私の側に来そうになった時は、素早く立ち上がり、私は教室から出て行った。
 その後は廊下の窓で外を見て、チャイムが鳴るまで過ごした。
 昼ごはんの時が一番やっかいだったが、とりあえずはグループ内に身を置いて、一言も喋らず一心不乱でお弁当を食べていた。
 そのうち、周りが私の様子がお かしいと、みんなで目配せをするように暗黙で訴えていたが、それすらどうでもよくて、お弁当を食べ終わるとさっさとその輪から抜けた。
 その後はぶらぶらと校舎を回り、適当に時間を潰していた。
 この時もブンジの事を考えると、どうしても目頭が熱くなって涙が徐々に溢れてくる。それを拭い、私は泣かないように踏ん張っていた。
 そんな時に常盤さんとエセ櫻井さん親衛隊に出会い、睨みをぶつけられた。それを堂々と無視し、平気で通り過ごした。
 後ろで常盤さんが何か叫んでいたけど、その言葉の意味すら遮断してただの雑音になっていた。
 とりあえず、振り返ってみれば、橘さんが常盤さんを抑えている。いつか助けると約束したことを覚えていたようだった。
 別に今更感謝する事もなく、私はさっさと離れていった。
 次に草壁先輩が目ざとく私を見つけて声を掛けてきた。気を遣うのも面倒くさくて、感情のないままに突っ立っていた。
「千咲都ちゃん、どうかしたの。なんか雰囲気違うけど、大丈夫かい?」
「いいえ、大丈夫ではありません。草壁先輩ももう私には構わないで下さい」
「どうしたんだい、急に冷たくなって」
「そういえば、草壁先輩は猫と犬どちらが好きですか?」
「えっ、そ、それは犬だけど」
「犬ですか。だったら、私は草壁先輩とは合いません。私は猫が好きな人じゃないと付き合えません。これは立派な理由ですよね」
「えっ?」
 後は一礼してから、去っていく。後ろで名前を何度も呼ばれたけど、振り返りはしなかった。
 上手くいかないのなら、反対に自ら壊してしまえばいい。
 悲しみで麻痺した私の心は全てを色あせさせた。
 お蔭でやっと嫌なしがらみから解放されて、自由になったような気がした。
 ついでに、加地さんにも会いに行った。
「あのね、サクラって言う字は二通りあるって知ってる? 本人になりすましたかったら、漢字を間違えない事ね。これ以上私に嫌がらせするのなら、出るとこ でるからね。あの手紙にも指紋がついてるだろうし、うちの父の知り合いに警視庁の刑事と検察官と弁護士がいるから、いざという時は調査して脅迫罪で訴える からね」
 知り合いの下りは嘘だった。でもそれは充分の効果があったみたいに、加地さんは何もいえなくて口をわなわなさせていた。
 私の反撃に驚いているようでもあり、訴えられたらどうしようという不安もあるようだった。
 私がこんな事をいうなんて思いもよらなかったから、これが功を奏したみたいだった。
 こんなことができたのも、ブンジのご加護なのかもしれない。ブンジがきっと私に力を与えてくれたんだ。
 そう思うことでブンジを失った悲しみを私は必死に補おうとしていた。
 
 そして放課後、終わると同時に教室を素早くでて家路に向かった。下駄箱で靴を履き替え、外へ出ようとした時、名前を呼ばれて引き止められた。
「遠山!」
 振り返れば、近江君だった。
「何? 私急いでるんだけど」
「お前さ、なんか変だよな。別人のように態度ががらっと変わってるぞ」
「それがどうしたのよ、近江君には関係ないでしょ」
「一体どうしたんだ?」
「私に構ってる暇があったら、櫻井さんと留学の準備にとりかかった方がいいんじゃないの。ただでさえ忙しいんでしょ」
「遠山、なんかお前らしくない」
「私らしいって、何? 別にいいじゃない。近江君が心配することなんて何もないわよ」
「お前さ、今朝、目を赤くして腫らしてただろ。思いっきり泣いた後の顔だったぜ。遅刻もしてきたところをみると、家で何か悲しいことがあったんじゃないのか」
「別に……」
 悲しいこと。近江君はやっぱり洞察力を持って私を見ていた。
 私の涙腺が弱くなり、また涙が溢れてきてしまう。それを見られたくなくて、私は踵を返して外に出た。
「おい、待てよ、遠山」
 近江君は靴を履き替え、そして走って私を追いかけてきた。学校の玄関先、大勢の人が居る前で近江君は私の腕を掴んだ。
「離してよ」
「もしかして、ブンジに何かあったのか」
 どうして近江君はすぐさま分かるんだろう。
 涙が溢れて止まらなくなった私を見て、近江君は溜息を一つ漏らした。
「そっか、もうブンジはいないのか」
「これでわかったでしょ。私の事はほっといて」
「悲しいのは分かるけど、遠山が自棄になって壊れることないだろ」
「自棄になってなんかないわ。大切なものを失ってやっと気がついただけよ。全てがあまりにもちっぽけだったことに。それで自分でもそんな事に振り回されていてバカだったって思っただけよ」
「でも、俺、遠山の気持ちすごく分かる。その何もかも壊してやりたいっていうどうしようもない絶望感も、ちっぽけでつまんない世界とかも」
「えっ」
「そしたらとことん破壊してやろうじゃないか。遠山のその身も心も。俺手伝ってやるよ」
 近江君は私を引っ張って先を歩き出した。
「ど、どこへ行くの」
「いいからついて来いよ」
 近江君は私に悲しみを思いだせないくらい、強く引っ張っていく。
 身も心も破壊するってどういう意味なんだろう。
 近江君に引っ張られている自分の手を他人事のように見つめていた。
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