第五章


 普段大人しい私が、いきなり空気を読まずに「先生!」と叫んだ。
 クラスの担任の唐沢先生は一瞬何事かと動きを止めた。
「どうした、遠山」
「クラスに提案があります。みんなでクラス写真が撮りたいんです」
「クラス写真? なぜ今頃に?」
「ほんの少しだけ時間を下さい。カメラは持ってきてます。すぐに終わらせますので」
 私は席を立ち上がり、皆に呼びかけた。
「皆さん協力お願いします」
 突拍子もない提案に、みんなが口々に言い出した。
 面倒くさい、勝手にすれば、やろうやろう、馬鹿らしい、面白いかも、なんで急にまた、それらが一つに混ざり合って、クラスがザワザワとする。
「お願いします」
 大きな声で再び叫んだことで、クラスは一瞬しんとした。
 なぜ私がそんな事を言い出したのか、きっと誰もわからないだろう。でも私は真剣だった。
 どうしてもクラス全員が写った集合写真が欲しかった。近江君も一緒に入ったこのクラスの集合写真が。
「先生、撮りましょうよ」
 希莉が援護してくれた。そして立ち上がると、柚実も「みんな撮ろう」と流れを作ってくれた。
 口々に賛成してくれる人が増え、その気になってくると先生も認めざるを得なくなった。
「それじゃ仕方ないな。こうやってみんなで協力するという一致団結もホームルームとしての意義があるもんだ」
 私はほっとして顔が緩んでいた。
「それじゃ皆さん黒板の前に集まって下さい」
 椅子を引く音が一斉に聞こえ、皆立ち上がりだした。ふざけあいながら黒板の前に集まってくる。どこに立てばいいのか聞いてくる人もいたが、好き勝手に並んでもらった。
 この際、順番はどうでもいい。とにかくみんなが全員写ればいい。
 私は用意していたデジタルカメラを取り出して、写り具合を確認していた。
「前の人ちょっと屈んで下さい。端の人もう少し内側へ寄って下さい」
 黒板の前は生徒が集まってえらいことになっている。
 近江君は遠慮がちに後ろの端に位置していた。
 私は写真を撮ろうと構えた。
「遠山がシャッター押すんだったら、クラス全員で撮ったことにならないぞ」
 先生が指摘すると、自分でもそうだったと気がついた。
「それ、自動シャッターできないのか?」
 誰かが言った。
 私がカメラを見ながらモジモジしてると、近江君が側にやってきた。誰かがからかってヒューヒューと囃し立てた。
 近江君は机の上に椅子を置きそして自動シャッターの準備をしてくれた。
「遠山、先に加われ」
 前の列にいた希莉と柚実が手を招いて私を呼んだ。私はそこへ身を寄せる。
「それじゃ、準備はいいか。押すぞ」
 近江君がシャッターを押して走ると、素早く私の横に腰を屈めて入り込んだ。
「俺はここがいい。お前らちょっとどけろ」
「おい、押すなよ」
 その時、一部が崩れて倒れ込んでしまった。
 みんなが「あっ」と声を出した時、フラッシュが焚かれシャッターが下りた。
 クラス全員がそのタイミングに大笑いしていた。
「もう一度だ! 今度はちゃんとしろよ」
 先生がそういうと近江君はまたさっきと同じように自動シャッターの用意をしに戻っていった。
 準備が整うと、二度目も、やっぱり私の側に来てくれた。
 二回目は無事に撮れ、失敗した分も含め、結局みんなが画像を欲しがった。
 私はフリーアドレスを持ってたので、黒板にそれを書いた。
「画像が欲しい人は、このアドレスに空メール送って下さい。返信で添付します」
 自分でも大胆なことをやったと思っていた。
 先生に感謝の言葉を告げ、私は満足して自分の席に戻った。結局そうしているうちにホームルームは終わってしまった。
 休み時間、希莉と柚実がやってきて、私の行動力に感心していたが、二人は私の意図に気付いてないようだった。
 その日の夜、メールチェックをしたら、すごい数のメールが入っていて、びっくりした。
 メールアドレスだけという人が殆どだったので、誰が誰か分からなかったが、きっちりと本文を入れてくれてた人もいて、返事を書くのに戸惑ってしまった。
 そこに近江君からのメールが入っていた時はドキッとしてしまった。
 短いがきっちりと本文も書いてあり、私は一字一字噛みしめるように読んだ。

 遠山へ
 なぜあんな提案をしたのか俺はすぐに分かった。
 ありがとな。俺もこのクラスの一員だったという事は忘れない。
 近江晴人

 近江君はやっぱり分かっていた。入学式で撮ったクラス写真に自分が入ってない事を。
 そして、この文面からして、気持ちは留学へ向いているのも伝わってくる。
 近江君はもうすぐ、アメリカに行ってしまう。
 絶対英語をものにすると意気込んでいた。近江君ならきっとやり遂げるだろう。
 私は近江君に返事を書いた。

 近江君へ
 もうすぐ出発ですね。きっと待ち遠しいのではないでしょうか。
 頑張って来て下さい。
 遠山

 無難な返事だった。でも私の目は今涙で一杯だった。
 本当はもっともっと自分の気持ちを綴りたいのにそれができなかった。
 『近江君と暫く会えなくなると思うととても寂しいです』
 この言葉ですら、入れられなかった。
 私は逃げるようにさっさと画像を添付して送信した。
 その後、近江君からまたメールが来るんじゃないかと期待していた。
 全てのメールの処理をして、画像を添付し終わっても、私はずっとコンピューターの前で待機してしまった。
 でも近江君からのメールはそれっきり届くことはなかった。
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