第一章


 中から出てきたものを見て、僕と神野は目が点になっていた。
 それは犬の写真だったからだ。添えられていた手紙を僕は声に出して読んだ。
「犬だって笑うんです……」
 僕が神野に向かって困惑した顔を向けると、神野も頭に疑問符を乗せていた。
「そ、それだけ?」
「ええと、下の方にまだ書いてある。『見たら写真返して下さい。時生映見《ときおえみ》』」
 一体これはなんだ? 益々わからなくなった。
「写真を返す? お前、その時生映見って奴からそれを借りたのか?」
「貸してとも言ってないし、時生映見なんて女の子全然知らないし、何のことかさっぱりわからない」
 僕たちは一緒に犬の写真を見つめる。
 頭の部分が茶色く、口の周りから頬にかけて白っぽいその犬は柴犬だと思うが、その犬の顔がどアップで写り込んでいた。しかもそれは笑っていた――。

 笑っている犬の写真をその日、僕は授業中何度と見つめた。一緒に同封されていた便箋は上と下だけにそれぞれ一行の文章が書かれているだけで、裏返してもすかしてみても、それ以上の情報を得られなかった。犬の写真の裏側にももちろん何も書かれてなかった。
 僕はてっきりラブレターだと思い込んでいたから、予想もつかないものが出てきて安心していいのやら、それとも警戒をし続けるべきなのかわからない。
 ひとりで考えてもわからないので、僕は神野に助けを求めた。この時ばかり話せる人がいることによかったと思ってしまう。
 こういうときだけ神野を利用するのもどこかで抵抗があったが、神野は一切気にせず僕と真面目に向き合ってくれるので有難い。
 例外として神野は友達とみなしてもいいかもしれない。自分がどうしていいのかわからないことで、都合よく僕は神野を受け入れた。人ってやっぱりひとりで は生きていけないものを感じる。失うのが怖いばかりに僕は人を避けてきた。それに僕は死神だ。弱気になってはいけないのに、気がつくと僕は無邪気な神野の 横顔をちらりと見ていた。
 昼休み、教室で神野と弁当を一緒に食べながら、僕たちは再び写真の意味を考えた。
「なあ、これってさ、ちょっとしたミステリーじゃないか」
 紙パックの紅茶を手にしながら神野はわくわくとしていた。
「ミステリー? 何かの意味が隠れているってことか?」
 僕が訊き返すと、神野はシャーロックホームズを真似たように「そうだよ、ワトソン君」などとふざけていた。
「それじゃ、何かわかったの?」
 ばあちゃんが作ってくれたかぼちゃの煮つけを、僕は箸に突き刺して口に入れた。
「いや、全然わからん」
 あっさりと敗北を認めて、神野は菓子パンをかじっていた。
 暫くお互いもぐもぐとしながら、机の上に置いた犬の写真とメモをじっと見ていた。
「とにかくさ、返してっていっているんだから、またそのうちその女の子に会えるさ。その時に理由を聞けばいいだけじゃないか」
「だから、その前にその理由が知りたいんだよ。それに僕は再びその女の子に会いたくない」
 やっぱり面倒なことは避けるべきだ。
「透は女の子を極端に避けるよな。いい加減にありのままに受け入れろよ。これがきっかけでその女の子と親しくなれるかもだぞ」
「仲良くなりたくないし、そんなの絶対に嫌だ」
「おいおい、そんなにむきになるなよ。まさかそんなに、その、なんていうのか、不細工……な女の子だったのか?」
 さすがの神野もそういう繊細な事を口にするのは憚られていた。
「いや、そうじゃなくて、見かけの事を言ってるんじゃないんだ」
「だったら何でそこまで嫌がるんだよ」
 呆れたまなざしを向ける神野。
 僕は弁当を食べながら暫く黙り込んだ。神野も無理に話そうとはしなかった。やがて弁当箱が空になって、僕は辺りを見渡す。誰も僕たちの事を気にしているものはいない。
「あのな、神野」
 すでに友達として受け入れたんだからと理由をつけて、僕は神野に秘密を打ち明ける覚悟を決めた。
「なんだよ急に改まって」
「実はさ、話は幼稚園の頃から遡るんだけど……」
 顔を近づけ小声で僕は話し出した。名前を挙げながら大切な人を失った事を言うと、神妙な面持ちで指でひとりひとり数えながら神野は大人しく聞いていた。
「そいうわけで、僕は女の子を好きになったり、好かれたりすると死に導いてしまうんだ」
 神野の反応が知りたくて僕は彼の目を見つめた。
「……」
 神野は僕にかける言葉を探しているのか考え込んでいた。
 神野とどれくらい顔を合わせていただろう。もしかしたら、僕の事を気持ち悪く思っていたのかもしれないし、とうとう恐怖を与えたのかもしれない。
 神野が口を開く。
「はあ? 五人が死んだって? それってただの偶然じゃないか」
あれ、五人? 神野の奴数え間違えている。適当な奴だから仕方がない。訂正しようか迷っているうち、神野は飲み終わった紙パックをくしゃっと手の中で潰し て、重くならないようにわざと笑い飛ばそうとする。妙な間が一瞬入った後、神野はちらりと僕を見て様子を窺ってからボソッと呟いた。
「俺は気にしない」
「だから、その偶然が続くんだぞ。僕を産んでくれた本当の母親もそうだし、僕のお義母さんになってくれた人まで巻き込んだんだぞ。僕の側にいると不幸になってしまうんだよ」
「でも話を聞いていたら、みんな病気してたり原因があるじゃないか。それは透のせいじゃないよ」
 あれ、なんだか既視感を感じたような気がした。以前にも同じような事を言ってくれた人がいたっけ。
「気にすんなよ」
「気にするよ!」
 やっぱり神野らしい対応だった。
「いつか神野にその呪いが降りかかったらどうすんだよ」
「おっ、そしたら俺たちは相思相愛ってことだな」
「えっ、ちょっと待てよ。そんな事ありえないだろうが」
「ほら、だったら大丈夫だよ。その呪いってお互い好きになって発動するんだろ。まあ、本当に呪いがあればだけどな」
 神野ははなっから信じようとはしなかった。
「とにかく、今はそんなことより、この犬の写真の謎だ。何か思い当たることはないのか?」
 そんなことと呪いを軽々しく扱ってほしくなかったけど、目の前の笑っている犬の写真の方が気になって仕方ないのは事実だった。
 僕は腕を組んで考え込んだ。
「犬が笑う。笑う、笑う……」
 眉間に皺をよせながら呟いていると神野が笑い出した。
「怖い顔して『笑う、笑う』って、こっちが笑えてしまうわ。お前もちょっと笑ってみたらどうだ。なんかわかるかもしれないぜ」
 神野の言葉でハッとした。
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