第二章


 ファインダーを覗くのをやめた僕は不思議な面持ちで映見と顔を合わせた。
「但し、条件があるわ」
「条件?」
「私を撮る時は、必ず私が撮られているのを知らない時。そしてシャッターチャンスは一日に一度だけ」
「えっ? それって隠し撮りってこと?」
「そういうこと」
「そんなの簡単じゃないか。君に気づかれないように、後ろからパシャリとすればいいだけだ」
 映見は首を横に振った。
「それはダメ。必ず私だと分かるように顔がはっきり見えることも条件のうち。また遠い場所から小さく写したものもだめ。必ず顔を中心に私を撮ること」
 僕はそれを聞いて少し離れた場所からファインダー越しに彼女を見てみた。三メートルほど離れてしまうと、ズームができなくて被写体が随分小さくなってしまう。
「これかなり近くに居ないと、君のいうように撮れないじゃないか。そんな近くから君に気づかれないように撮れるんだろうか」
「それはやってみないとわからないんじゃない? それが成功したら透は私から解放される」
 僕は手の中のカメラに視線を落とした。
「本当に気づかれないように君を撮れば、僕を放ってくれるんだろうな」
「約束するわ」
 映見と離れるのならやるしかない。僕は一刻も早く関わりを絶たなければならない。その思いから僕は首を縦に振り承諾していた。
「二十七枚だから、二十七日間、毎日一枚のシャッターチャンスってことか。でもどうやって毎日君に会えばいいんだい?」
「それはちゃんと連絡する」
 映見はスマホを取り出し、僕にもそれを出せと催促する。僕たちはお互いの連絡先を交換し合った。
「私が必ず前の日にメールで簡単にお知らせを送る。平日はお互い学校があるから、朝の通学か帰りの放課後になってしまうね。でも土日や祝日はチャンスをあげようではないか」
「どんなチャンスだよ」
「一緒にどこか行くとか、一日中私と過ごすの。ふふふ」
 一緒に居たら僕が居ると気づかれて余計にチャンスがないじゃないか。いつ気がつかれないように撮ればいいのだろう。
 この時僕はまだ写真を撮るということにピンときていなかった。とにかく二十七枚もあれば一枚くらい撮れるんじゃないかと軽く考えていた。だけどもし一枚も映見のいう条件の写真を撮れなかったらどうなるのだろう。
 僕が頭で考えをめぐらしていた時、映見は言った。
「今、失敗するかもなんて考えてたりして」
 図星だ。
「まさか、絶対気づかれないで撮ってみせるよ。結構、僕、自然な姿を写真に写すのがうまいんだから」
 全くのでまかせだ。虚勢を張ってどうするのか、言ってしまった後では取り消しなんてできなかった。
 もし失敗したら映見は僕にどこまでも付きまとってくるに違いない。やるしかないじゃないか。
「それじゃ、開始日はこちらから連絡する。必ず、一日に一枚、二十七日間毎日だからね」
 映見に強く言われて、僕はカメラを握る手に力が入っていた。

 こんなやり取りがあった後、早速映見からメールが入ることになる。

 ――4/23火。午後4時以降、いつもの乗り換え駅を出た周辺で待ってる。

 駅周辺か……。
 車やバスが通る道にそって雑居ビルや店が回りにあり、バスターミナル、タクシー乗り場なども備えた広場のような駅周辺はごちゃごちゃしている。人や自転車などもひっきりなしに通り、うまく行けばそれに紛れて気づかれないかもしれないと安易に思っていた。
 だけどこのゲームの始まった当日、結果はあっさりと僕は気づかれて『はいチーズ』と映見はカメラを意識してポーズを取ったのだった。
 まあ一日目だし、最初からうまく行く方が珍しい。それに、まずは楽しそうに笑っている映見の写真を撮ってからの方が後々彼女も気に入ってくれるかもしれない。一枚目はこれでいい。あと残り二十六枚。チャンスはまだまだある。僕はカメラを手にして自分に気合を入れていた。
「透ってさ、やっぱり笑わないね」
 映見はいつの間にか自分のスマートフォンを撮りだして、僕が考え事をしている写真を撮っていた。
「おい、勝手に写真を撮るなよ……」
 と思ったとき、こんな近くで映見が僕に気づかれないで写真を撮ったことに衝撃を受けてしまった。ご丁寧に映見は今撮った僕の画像を見せてくれた。伏目がちにカメラを見つめながら固く決心している自分の姿に呆れてしまう。
「ほら、気づかれずに写真を撮るのって簡単でしょ」
「ただ油断していただけだ。まさか、僕の写真を撮るなんて思ってなかったし、それにスマートフォンを見ているだけにしか見えなかった。僕だってスマートフォンを使えば同じように撮れるさ」
 スマートフォンを取り出し映見に向けてみたが、映見はすでにピースサインを作っていた。
 行き場の失った僕のスマートフォンは、仕方なくパシャリと映見を写した。アップで撮ったその顔は憎らしいながら、かわいく撮れていた。
「分かっていると思うけど、スマホで条件にあった写真を撮れたとしても無効だからね」
「でもなんで、インスタントカメラで写真を撮るんだ?」
 僕はそのカメラを映見に突き出した。映見はそれを優しく見つめる。
「二十七枚撮りって決まっているのと、一度撮ればやり直しがきかないのがいいからよ」
「それにしても変なこと思いつくよな」
「その方が楽しいじゃない。お互い全力でこの二十七日間を過ごすのも面白いでしょ」
「二十七日間を全力で過ごす?」
「そうよ、透は必死に私に攻めて来る。そして私は透が攻めて来るのを阻止する。これは生きるか死ぬかの戦いよ」
 芝居掛かった映見の言い方は彼女にとったら冗談でも、僕には笑えなかった。俯き加減に表情が険しくなる。
「どうしたの?」
「軽々しく生死をちゃかしたくないんだ」
「あっ、ご、ごめん。そういうつもりじゃなかったの。ちょっと大げさになっちゃった。えへ」
 意外にも映見が汐らしくなっている。映見はどこまでもクレイジーに積極的な女の子だと思っていたから少し驚いた。
 少しだけ気まずくなったけど、それは一瞬に終わり、後はそれを払拭するように映見はにこっと微笑んだ。
「今日のところはここまでにしておこう。また後で明日の予定をメールするからチェック忘れないでよ。はっははは」
 意味もなく得意気に笑っているところをみると、また元に戻ったようだ。
「そこ、笑うとこ?」
「うん。だってなんか楽しいんだもん。透が私の写真を気づかずに撮ろうとしてくる。私はそれを阻止しようと常にカメラを見て笑おうとする。いつも笑ってられるって最高じゃない。笑う角には福来たるっていうでしょ。ほら、透も笑ってみたら」
「僕は笑いたくないんだ」
 映見から目を逸らすと、映見はふーと吐息を漏らした。
「やっぱり筋金入りだね。神野君の言う通りだ」
「えっ、神野? なんで神野を知ってるんだ」
「神野君とは前から友達なんだ。それで透の事をいろいろ聞いていたの。だから透に興味をもったんだ」
 どおりでしつこいはずだ。神野が裏で手を引いていた。神野なら僕をからかうためならやりかねない。
「神野君ね、透はとってもいい人だって言ってた」
「だからって、なんで僕に近づくんだよ。神野に頼めばいいじゃないか」
「神野君はあまり印象深くなくて、気がついたら知り合っていたけど、透を見たとき、なんかフィーリングが合っちゃって、ビビッてきたんだ。透にはそんな魅力があった」
「この暗い僕に魅力?」
 矛盾している。
 一方的に言われても、僕は戸惑うばかりだった。だけど強くそれを拒否できない僕は、ズルズルと映見とこんな事をする羽目になってしまった。
 僕がいい加減な奴ならどれだけよかっただろう。人に言い寄られたりすると変なところで真面目に相手をしてしまう。映見はエキセントリックな女の子だけども、その個性が彼女らしくて特別なものとして僕の目に映っていた。
 僕は昔から人が持つ特殊な個性を好意的に見てしまう癖がある。一般的にそれが人から受け入られないものであっても、僕の目からみれば長所に見えるのだ。
 太っていた和香ちゃんも、埴輪に似ていた郁海ちゃんも、八の字の眉をしていた未可子さんも、そういう個性的な彼女たちの部分が大好きだった。
 だから多少変な人を目の前にしても僕はあまり動じない。それが僕のいいところでもあり、やっかいなところでもあるのだろう。
 でも悠長な事を言ってられない。これはかなりまずい。一刻も早く映見から離れなければ、万が一法則が働いてしまったら取り返しのつかないことになる。
「それじゃ、僕はこれで帰る。シャッターを切れば、もうそれで君と一緒にいる必要はない。そうだろ?」
 急に冷たくなった僕の態度に映見は戸惑うも、またにこっと微笑みを返してきた。
「うん、そうだね。暗くなってきたし、お腹も空いてきたし、今日はこれぐらいにしといてあげよう」
 映見もえらそうな態度をとってきた。
 映見はまた強気に「はっはははー」と笑って水戸黄門のテーマソングを歌いながら去っていった。
 僕はそれを黙って見送った。
 僕も歩き出せば、街中のショーウインドウに自分の姿が移りこんでいるのが見えた。黒の学ラン。そうだ制服のままだった。こんな格好してたら夜の暗闇以外目立ちすぎだ。学ランを目印にすれば、いつだって気づかれてしまう。
 まだ二十六枚残っていても何か対策を考えないと、そう簡単に映見に気づかれないで写真が撮れそうもないような気がしてきた。
 どうすればいいのか、思案しながら考えている時、スマートフォンからメール着信の音が聞こえた。早速チェックする。

 ――明日、24日、学校が終わったら今日と同じように駅で待ってる。

 学校の帰りだからそれほど場所に変化がない様子だ。今日の失敗を教訓に少し作戦を立てた方がいいかもしれない。
 僕はどうすればいいのか考えながら家路についた。
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