第二章


「な、なんだよ。急に大きな声だすなよ。みんな不審に見ていくじゃないか」
 僕が周りを気にしているのとは対照的に映見は堂々として喜んでいる。
「私のこと、初めて映見って呼んでくれた」
「だって映見じゃないか」
 何気ないふりをしたが、呼び捨てて彼女の名前を口にしたと意味していることくらいわかっている。それまでは、二人称の君で済ませていたのだから。あまり面と向かってそういう事を指摘されると、僕の不安がまた膨らんだ。
 自然に呼び捨てできたのも、すでに映見に馴染んでしまったからだ。
 僕が不自然に目をそらせば、映見は頓珍漢に答える。
「わかんないよ、他の名前だったかもしれないし。例えばアイコとか」
「はぁ?」
 そんな風に大げさに呆れた態度をとったけど、お陰で気恥ずかしさが少し紛れた。
「私は映見でよかった。エミって笑いの笑みって発音と同じだし、見たものを映すってなんか自分が鏡になったみたいで、全てを偽りなく見せるみたいで好きなんだ」
 エミは色んな漢字で表せるが、『映見』と記すのは珍しいかもしれない。
「ねえ、お腹空かない? ハンバーガーでも食べに行こう」
 僕の腕を掴み、映見はくるっと向きを変える。優しい水色のワンピースの裾が翻った。制服もお嬢様のようなデザインだけど、私服も清楚で上品だった。
 安っぽい服を着ている僕とは合わないレベルの違いを抱いてしまう。
 レベルの違い?
 自分でいった言葉に反応する。それ以前に僕は死神だった。ここ最近それをすっかり忘れていたような気がする。僕は思わず映見に掴まれていた手を振り払った。
 不思議に思った彼女は立ち止まり僕に振り返る。
「ハンバーガー嫌だった?」
「違う。そうじゃない。もうこのゲーム終わりにしないか? このまま一緒に居たら映見に不幸が訪れるかもしれないんだ」
「何を恐れているの?」
「それは、その」
 もちろん、僕が映見の命を奪ってしまうかもしれないことだ。それを口にするのが自分でも怖かった。
「あのね、透は人を幸せにしているよ。少なくとも私は一緒にいるのが楽しい」
「でも、僕には呪いがあって」
「呪い?」
 過去の全てを言ってしまおうか僕が迷っていると、映見は微笑む。
「そんなのないって。自分で思い込んでるだけ。それにもしあったって私には効かない。鏡は見るものを映すだけじゃなく跳ね返す事だってできるんだから。ほら、混み合う前に早く食べに行こう」
 どこまでも映見はポジティブで陽気だ。僕は結局強く抗えなかった。へたれな自分に失望してしまう。こんなんだから、ベストを尽くさず写真も上手く撮れない。映見と離れたければ、条件にそった写真を撮ればいいだけだ。本当に離れたいのならそうするしかないのだから。
 僕は今日中に片付けるつもりで腹に力をこめる。
「よし、とにかく腹ごしらえだ」
「そうこなくっちゃ」
 僕たちは目に付いたハンバーガーチェーンに入っていく。カウンター奥の上に掛かっているメニューを見つめる映見は、好奇心たっぷりにわくわくしていた。 まるでハンバーガーを食べるのが初めてというような顔だ。順番が来るまであまりにも熱心に考えているその時、僕はハッとする。これはシャッターチャンス だ。
 僕はそっとカメラを取り出し、メニューを見るふりをしてカメラを向けるタイミングを計る。
「あっちも美味しそうだし、これも捨てがたいな」
 小声で独り言を呟いている映見。まだ僕のやろうとしていることに気がついてない。
 よし、いまだ。カメラを映見の斜め前に構えてシャッターを素早く押す。
 やったか。
「あのね、そのカメラ、一メートルは離れないとぼやけるよ」
 にこっと微笑みをカメラのレンズに向けながら映見は答える。
「やっぱりだめだったか」
「残念だったね。でもこれで今日はゆっくりと買い物に集中できる」
 もう少し待てばよかった。チャンスは一日に一回しかないのに、こんなに早くから無駄にしてしまった。
「今日の分は終わったから、帰っちゃだめかな」
「もちろんダメ。私の買い物に付き合ってもらう約束だし、これからの連休をどうするかも話し合うんだからね」
 折角の意気込みは吹っ飛んでしまった。

 腹ごしらえのあと、映見はショッピング街へと僕をいざなう。
「一体何を買うつもりだ?」
「パジャマが欲しいの」
「パジャマ?」
 そうしているうちに映見はデパートの中へ入っていく。休みの日だけあって、人が多く歩きにくい。もたもたしていると映見とはぐれそうだ。
 映見は時々後ろを振り返り、僕がついてきているか確かめながら目的の場所へと向かう。
 僕はパジャマのようなおしゃれな寝巻きを着て寝ない。古いTシャツやスウェットパンツで事が足りる。
 休日はそのまま着替えないでいても部屋着として過ごせる。パジャマなんてそんな上品なものが欲しいなんて、思ったことなかった。
 エスカレーターを利用して上にいくうちに、映見の目指す階に着いた。映見はすでに売り場を把握しいて、すぐに目的地へと足を向けた。
 僕がその後を追っていくと、目の前にパジャマやバスローブなどがディスプレイされているのが目に入る。
 明るく優しい色合いで統一されているその売り場は心地よい眠りを誘うような雰囲気だ。
 映見が好みのものを探し出したので、僕も適当にどんなものがあるのか見てみた。
 胸に小さな馬のマークがあるだけのシンプルなパジャマの値段を見て目が飛び出る。
「何かお探しですか?」
 ご丁寧に年配の女性から接客を受け、僕はしどろもどろになりながら映見に指を差した。
「あっ、お連れ様ですね。どうぞごゆっくりご覧下さい」
「どうも」
 そういい残して、僕は映見の場所へと向かった。
 映見はラックに掛かっていた中から二つ取り出し、僕にどっちが似合うかを見せたくて交互にそれを自分にあてていた。
「花柄もいいし、水玉もいいし、迷うな」
「なんでも似合うと思うよ。それに寝るときに着るだけなんだから、柄なんてどうでもいいんじゃないかな」
 ちらりと値段を確かめながら僕がいうと、映見は首を振る。
「やっぱり寝ているときだって自分の気に入ったものを着たいわ」
 女の子はそういうことに拘るのかもしれないけど、上下合わせて千円もしないようなものを着て寝ている僕には理解できない。
「直感で選べばいいんじゃないの?」
「それがどれもいい感じだから、迷うんじゃない。だったらさ、透が決めて」
「えっ、僕が? 変なの選んだらどうするんだ?」
「それでもいい。透が選んだものを着るのも中々楽しい」
 簡単に僕が決めていいのだろうか?
 僕はラックの中から目に付いたものを手に取った。少し明度が低い黄色生地に太い青の線と細い茶色いの腺が混じったチェック柄のものだった。僕にはその色合いが向日葵を想像させた。値段も手ごろだと思う。
 それを映見に渡した。
「透はこれが私に似合うと思ったんだね」
「似合うっていうのか、これが映見っぽいカラーに思えた」
 はっきり言って、結構派手だ。そこが映見の性格を表しているかに見えた。
 映見は満足そうにそれを眺め、そのままレジへと持っていく。
 果たして本当に気に入ったのだろうか。
 僕に選んでといった手前、例え映見が気に入らなくて取り消せなかったとしても僕はそれでいいと思った。あのパジャマはきっと映見に似合うはずだと自分でも不思議なくらいの直感が働いていた。
 映見が寝ていたとしてもあのパジャマを着ていれば、夢の中で元気いっぱいに走り回っている姿が想像できた。
inserted by FC2 system