第二章


 映見が辺りを見回しているとき、僕は神野に合図する。
 神野も映見がどこにいるか分かった様子だ。
 映見に気づかれないように、僕にカメラを渡しテントの後ろへと隠れた。
 カメラを持つ手を後ろに隠しながら、僕はもう片方の手を振って周りに愛嬌を振りまいて徐々に映見に近寄る。
 時々すれ違う子供に自らちょっかい出して道化を演じ、映見に怪しまれないようにする。
 回りの人はじろじろと見ていくが、映見はウサギの僕を見ても、あまり感心を持っていない。それよりも建物の影や看板の後ろなどそういうところを気にしていた。

 あまり近づきすぎてもいけないし、どの辺りからカメラを向けようかと思案している時、ちょうど下車した人たちがたくさん駅から出てきて、映見はそれに気を取られていた。
 チャンスだ。
 僕はカメラを構え、その一瞬の隙を捉えようとした。
 そのとき、自分の手がもこもこで、肉球の厚みでシャッターが押せないことに気がついた。
 焦ったその時、つるりとカメラを落としてしまい、慌てて拾おうとしゃがめば足元が大きな頭でよく見えなくて、知らずと足に当たって蹴ってしまった。
 無残にもそれは地面を滑り、気づいた映見はカメラとウサギの気ぐるみを交互に見つめた。
 僕がしゃがんだまま動けなくなっている間、映見はカメラを拾って僕の前までやってくる。
「透なの?」
 映見は僕の被っていたウサギの頭を掴んで引き上げた。
 被りものから開放されると、視界が思いっきり開け、汗をかいた額に空気が触れてひんやりとする。
 僕はどんな顔をして映見を見ていたのだろう。映見はウサギの頭を持ったまま愉快とばかりに笑い転げていた。
「まさか気ぐるみでくるなんて思わなかった」
「頭、返して。今、仕事中なんだ」
「仕事?」
 僕は簡単に神野から頼まれたアルバイトの事を説明する。映見がイベント会場に視線を向けると、神野がそれに気づいて手を振っていた。
 映見は僕にウサギの頭を被せ、僕が立ちあがるのを手伝ってくれた。
 僕に付き添い、神野のいるところへと一緒に歩く。
「上手くいったか?」
 神野に訊かれ、ウサギの僕は頭を横に振る。
「その気ぐるみの手じゃ、物は掴めてもシャッター押すのが難しそうだな」
「なんでもっと早く言ってくれないんだよ」
「そんなのやってみないとわからないじゃないか」
 それもそうだけど、また目先のことばかり考えすぎて確認を怠ってしまった。僕は何かに気を取られて夢中になるとどこか抜けてしまうようだ。
 ぼくがガクッとうな垂れていると、小さな女の子が寄って来た。
「ウサギさん、なんか悲しそう。大丈夫?」
 その時、その子が一瞬和香ちゃんに見えた。でも良く見たら全然違った。
 僕は女の子の頭を撫で、ピョンピョン跳ねて元気をアピールする。女の子も一緒になってキャッキャと喜んでくれた。
 ウサギの気ぐるみを着ている以上、ウサギを演じなくてはならない。
 映見は神野と何かを話し、法被を手渡されていた。映見もこのイベントを手伝う様子だ。
 映見が飛び入りしてくれたことで、町興しの会長が喜んでいた。映見が笑顔でチラシを配れば、みんな手にとっていく。映見も楽しそうにしていた。
 お昼が近づくと気温が上昇し、僕も息苦しく汗だくになっていた。気ぐるみを着ていると熱中症の恐れがあったので、ここでストップが掛かる。
 気ぐるみを脱いだあと、映見が冷たいスポーツドリンクのボトルを差し出してくれた。喉が渇いていた僕はその気遣いが嬉しかった。
 遠慮なくそれを手にし、ごくごくと喉に流し込む。映見は側で静かに僕の様子を見ていた。
 飲み終わった後、映見は僕にカメラを手渡した。
「今日のチャンスはまだあるから、掛かってきなさい」
 煽るように挑戦してきたけど、僕はその場でカメラを向けた。映見は優しいスマイルですぐに応える。
「もう撮るつもり?」
「最大のチャンスはもうなくしたから、今日は何をやっても無理だ」
 僕はシャッターを押す。相変わらずいい笑顔だ。
 僕は気遣ってくれた映見の優しさをカメラに収めたかった。僕の気まぐれで撮ったような写真だったかもしれない。まあ、着ぐるみ着て疲れていたのもあったけど、映見を巻き込んで働かすことになってしまった僕のお詫びだ。
「ちょっと助かったかも。今日は私も疲れちゃった」
「だよね」
 カメラのフィルムは残り二十一枚。日にちにすれば三週間。まだまだチャンスはある。この時はその数字ばかりに目がいって優雅にそう思いこんでいた。
 でも僕たちは別々の学校に通う学生で会う時間は限られていたし、それぞれの融通の利かない予定も含まれていた。
 その数字がそのままチャレンジできるほどに回数が残されていないことはあとになって気がつくことになってしまう。
 実質本気で映見に挑む日にちは思ったよりも少なかった。
 
 次の二十九日の月曜日。ゴールデンウィークもまだまだ続き、もう一度ウサギの着ぐるみを着ることになった。映見ももれなく僕に付き合う。イベントを手伝っている間は撮影不可と映見が条件を定める。映見も働いてる時はさすがに警戒できないと思ったようだ。
 ウサギになりきった後疲れてしまって、僕は隠し撮りをする気力がなくやっぱりまた適当に映見の写真を撮ってしまった。
 僕は適当でも映見の表情は生き生きとしている。映見だって疲れているはずなのに、笑顔のパワーはどこから出てくるというのだろう。
「なんでいつもそんなに楽しく笑えるんだい」
 シャッターを押した後に僕は訊いてみた。
「それはね」
 映見はスマホを取り出し、簡単に操作してから画面を僕に向けた。それは茶色い犬の画像だった。しかも笑っているように見える。
「うちの犬ね、私がカメラを向けると笑うの。両親や妹だと笑わないんだ」
「えっ?」
「だから、この犬の気持ちと同じってこと」
 犬が笑う。映見が笑う。
 辻褄が合わなくて意味がわからず、詳しい説明を求めて映見をみればそこにはいつもの笑顔があった。
「あと残り二十枚だね」
 映見がカメラの枚数を確かめる。
 この時点では二十枚もあるからまだまだなんとかなると僕は余裕だとふてぶてしく粋がった。
 鼻で笑って虚勢を張っている僕の目の前で、カメラを見ながら映見が小さく呟く。
「二十日か……」
どこか寂しそうにも聞こえたが、すぐさま口元を上向きに戻していた。
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