第四章

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 その次の日。自分が植えた種がどうなっているか気になるから見に行きたいと映見がリクエストしたことで、ばあちゃんの家に訪ねてくることになった。
 ばあちゃんに、映見が来ると伝えるととても喜んだ。
「寿司でも取ろうかね。それとも若い人はピザの方がいいかね」
 ばあちゃんは、いざと言う時のために取っておいたデリバリーのチラシを引っ張り出して見ていた。
「なんでもいいよ」
 僕のそっけない答え方にばあちゃんは手元を止めて振り返る。
「透、もう少し映見さんのことを大切に考えなさい」
「僕は、映見と一緒にいるのは本当は嫌なんだ」
「天邪鬼だね。本当は惚れてるくせに」
「ばあちゃん!」
 僕は大声で叫んでしまった。
「図星の時は慌てるもんだ」
「だけど、僕は――」
 一緒にいたら呪いが発動して不幸が訪れる。
 こんなことばあちゃんに言っても一蹴されるだけだ。未可子さんが死んだのも僕の呪いのせいなのに、和香ちゃんと郁海ちゃんの事を言ったとしてもばあちゃんのような頑固者には理解してもらえないだろう。
「お前、映見さんが何を植えたか知ろうともしないんだな」
 当て付けっぽくいうばあちゃんが急に意地悪くなったように思えた。
「だって、教えてくれないし」
「ほら、気にも留めてない。気になるんだったら、お前は自分で水をやり注意深く観察するはずだ」
 ばあちゃんは遠慮することなく呆れ顔を見せた。
 僕は気まずくてばあちゃんから視線をそらす。
「映見さんが畑を見たとき、そこに植えたいものがあった。でも私はプランターに植えさせた。なぜだか分かるか?」
「そんなのわからないよ」
「映見さんは、その植物が自分に似てると私に教えてくれた。透に何を植えたか教えなかったのは、映見さんはその植物を植える意味を透に気づいてほしかったからだ」
 ばあちゃんは僕の心の中を見るような深い眼差しを向けた。
「そんな事言われてもさ……だけど、なんでばあちゃんはそんな風に思うんだよ」
 映見は普通とは違う突拍子もない行動をする。種を撒くくらい、映見にとったらただの思いつきだ。
「映見さんはきっと恐れてるんだと思う」
「恐れてる? いつも能天気に大胆な事をする映見が一体何を恐れるというんだ?」
 ばあちゃんの見解に僕は意表をつかれた。
「それは私にもわからない。でも映見さんは透に安らぎを求め、恐れに立ち向かおうとしているように見えるんだ」
「ばあちゃん、考えすぎだよ。映見はただの変わり者で予測不可能なだけだ」
 僕は鼻で笑い、相手にしないでいると、ばあちゃんの双眸が悲しげになった。
「未可子がね、あんな感じだったんだよ」
「ばあちゃん、突然何を言うんだよ」
 僕はつい声を荒げてしまう。それは僕を不安に陥れ、毛穴が開ききるような恐怖を感じさせた。
「私は甘ったるいことは言わない。すでに大切なものを失くしているから現実を冷静に受け止められる」
「僕だってそれは同じだ」
「いや、透はいつも逃げ道を探している。ただ嘆いて文句をいうだけで、何も前には進んでいない。透自身が与えた幸せも否定する」
 ばあちゃんの言葉が胸に突き刺さる。でもそれは僕が死神だからだ。どうしようもないじゃないか。幸せを与える前にそれ以上の不幸を与えているんだから。
「未可子はね、とても幸せだったんだよ。未可子のその気持ちだけは忘れないでくれ」
 ばあちゃんは映見を見てから未可子さんとオーバーラップして混同し、勝手に自分の中でしかわからない感情に揺さぶられて困惑してるだけだ。
 僕たちが重い空気の中にいるとき、突然感嘆の声が外から聞こえてきた。それは大きく「あーっ!!」と脳天を|劈《つんざ》く叫びだった。
 縁側に出て庭を見れば、映見がプランターの前にいて小躍りしてた。
「映見、そこで何してるんだ」
「発芽の舞」
 ばあちゃんもやってきて、ふたりして縁側に突っ立ってプランターの前でクネクネと踊る映見を唖然として見ていた。

「こんなにもいっぱい芽が出てる」
 映見が大喜びしている。
「映見さんなのかい? えらく髪を短く切ったもんだ」
「おばあちゃん、こんにちは。腰の具合はどうですか?」
 映見は踊るのを止め、きりっと立って挨拶をする。
「まだちょっと痛いけど、動けるようになったから大丈夫だ」
 ばあちゃんは縁側の下に置いていたサンダルを履いて、映見の下へ行く。
「たくさん芽が出ましたね。嬉しいな」
 はしゃぐ映見。
「いい感じに芽がでたけど、少し間引きした方がいいな」
 ばあちゃんが芽に触れながら言った。
「間引き? 抜いちゃうんですか? なんかもったいないな」
「大丈夫、すぐに大きくなって増えるから」
 ばあちゃんがアドバイスしながら、映見はそれに従って作業する。僕はそれを見ながら、ばあちゃんが言っていた事を頭の中で反芻していた。
 無邪気に喜んでいる映見を見る限り、ばあちゃんが言っていた恐れなんてどこにも感じられない。髪を短く切ったことで、ボーイッシュになって益々元気になっているようにしか見えなかった。
 映見はプランターの苗に夢中になり、僕の存在を忘れているようだ。
 あっ、僕こそこんなところで突っ立っている場合じゃない。シャッターチャンスじゃないか。ばあちゃん、そのまま映見と話しておいてくれ。
 僕はそっと後ろに下がりカメラをとりに行く。今度こそいける。カメラを手にしてそろりと縁側に戻る。映見はまだプランターに夢中だった。
 よし、これで逆転ホームランだ。
 カメラを構え、ファインダーから覗いたとたん、映見とばあちゃんが待ってましたかのようにリズムよく寄り添って僕に視線を向けた。
「はい、チーズ」
 ばあちゃんがピースサインを向けた。撮らないわけにはいかなかった。
 映見はいたずらっぽい笑顔を向けて、イヒヒヒと笑っていた。
 これでとうとう残り一枚になってしまった。

 この日、ばあちゃんの畑仕事を手伝いながらのんびりまったりと過ごす。出前で頼んだ寿司が居間のちゃぶ台の上に乗って、僕たちはそれをつまんでいた。
「ここは時間が止まっているみたい。こういうところで住んでみたいな」
 縁側の外を見つめ、映見は寿司を口に頬張る。
「将来はここで住むかい?」
 ばあちゃんがいうと映見は目を見開いた。
「いいんですか?」
「部屋は空いてるし、映見さんが来てくれたら私も嬉しい」
 ばあちゃんは映見をすっかり気に入っている。
「おばあちゃんもひとり暮らしは寂しいもんね。透が居ても頼りなくてご飯も作ってもらえないだろうし」
 映見は僕を横目で見ていた。
 反論したくてもできないのが悔しい。
「一番いいのは、将来ふたりがここで暮らしてくれると嬉しいんだけどね」
 ばあちゃんは湯飲みを手にして平常心でお茶をすする。僕たちがもじもじと黙り込んでいる間、その音が妙に耳についた。
「へへへ」
 映見は意味もなく笑い、また寿司をひとつつまむ。それを楽しそうにはずんで口に頬張った。嬉しい気分だとでも言いたげに。

 夕方の帰り際「またいつでもおいで」とばあちゃんは映見に言った。
「はい。必ず戻ってきます!」
 力むことかというくらい、強くばあちゃんに約束していた。
 それは僕にとって、このゲームに負けたと決め付けられたようで複雑だ。それなのに、映見と一緒に駅へと向かうその途中、田園風景に囲まれながら映見はぼんやりとした顔をしていた。
「なんか心配ごとでもあるのか?」
「うん、ちょっと妹と喧嘩しちゃったから、家に帰るのが気まずいんだ」
「喧嘩の原因はなんだよ?」
「些細なことなんだけど、この間からずっと衝突してたんだ。能天気な私を見ると、慎重で疑り深い妹はイライラするんだって」
 映見は僕を見て肩をすくめ苦笑いする。
 姉妹間のことは自分には皆無だけど、映見の行動は確かに突拍子もないから身内にとったら笑ってすませられないものがあるのだろう。
 僕ですら、映見と一緒に居ると色々と葛藤してしまう。
「よいしょっと」
 映見は道と畑を分け隔てるように積み上げられたブロックの上に飛び乗った。両手を広げてバランスをとりながらその上を歩く。
「危ないよ」
「大丈夫。透のそういうところが妹と同じ。妹も私を心配しすぎるんだ」
「でももしバランスを崩してこけたら、そんな高さでも怪我するよ」
「その時は、透が受け止めてくれるでしょ」
 その刹那、映見の体の力が抜け、本当に僕の方へ倒れてきた。
「おい」
 僕は無我夢中で受け止める。僕の腕の中にすっぽりと映見が入り込んだ。
「へへ、透が抱きしめてくれた」
 映見の顔がとても近くにあって僕の体は熱く火照った。
「ん、もう! いい加減にしろ。こんな無茶するから妹も我慢ならないんだよ」
 僕は映見を跳ね除けた。
「無茶なんてしてないもん。私は自分の思うようにしたいだけ」
「思うようにしすぎるから無茶っていうんじゃないのかな」
「違うよ、思うようにやりたい事を頑張るのは努力なんだよ。例えそれが無駄だったとしても私は最初から投げ出さない。いつかどこかで何かに繋がることだってあるから」
 自信に溢れた映見の笑顔が僕に向けられる。僕はそれに圧倒され喉で音が跳ね返るだけで、何を言っていいのか声が引っかかっていた。
「なんてえらそうなこといっちゃったけど、そう思うまで葛藤したのも確か。だけど透のお陰で私は毎日笑っていられた」
「でも、明日はそうはさせない」
「そっか、残りあと一枚か……」
 映見はそれが寂しいのか黙り込んだ。
「明日はどこで勝負を挑めばいいんだ?」
「透が望むところでいいよ」
 そういわれると、すぐには決められなかった。
「今晩じっくり考えて、明日メールしてもいいかい?」
「ええ、もちろん。こっちもそれなりに対策練って小道具揃えておく」
 何を一体揃えるんだと思いつつ、僕たちは最後の戦いに熱い火花を散らした。

 駅まで一緒に歩きながら僕は映見チャレンジを振り返る。全てが裏目に出て失敗し、いくつかはやむを得ず勝負を諦めざるを得なかったものもあった。
 僕は映見と離れるために映見チャレンジをしていたのに、本末転倒でどんどん親しくなっていたように思う。
 僕の呪いは今のところ発動してないけども、見知らぬ者から警告のメールは二度届き、死神の呪縛からは僕自身逃れられなかった。
 もしかしたら明日次第で変化が起こるのではないだろうか。
 映見に僕の死神の呪いが降りかからないためにも明日はどんな手を使っても勝たなければならない。
 それが映見のためでもあるのに、僕は映見を見ると胸が苦しくなってくる。僕の思いは一体どこへいくというのだろうか。
 また無性に映見の手を握りたい衝動にかられ、僕はそれに耐えるのに必死だった。
 映見は無邪気に僕に微笑み、日が暮れていく最中、それはセピア色に包まれようとしていた。傾く夕日が雲の間から眩く光を放つのを背景に映見はそれに負けないぐらいの輝く笑顔を僕に見せつける。それがとても美しすぎて、僕は泣きたくなる衝動に切なく、思わず目を細めた。
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