第四章


 その次の日、映見チャレンジはいつもの駅から少し離れた住宅街の中にある公園を指定してきた。
 スマホで調べた地図に沿ってそこに向かえば、多目的なスポーツに利用される広々とした空間が現れ、それは適度に植えられた木に囲まれていた。
 そこに足を踏み入れると、パグの散歩をさせている初老の男性と入れ違いにすれ違った。そのパグは立ち止まり、真ん丸い目を僕に向けて首を傾げていた。愛 嬌ある顔だった。僕と見詰め合っていると、飼い主にリードを引っ張られてせかされる。ハアハアと息をはきながら、テトテトと歩いていってしまった。
 それを僕が見送っていると、キャッキャと楽しく笑う声が耳に届いた。その方向を見れば、フィールドを駆け回っている元気な男の子たちがいた。小学三、四年生くらいだろうか。サッカーボールが子供たちの間で激しく転がっている。
 そのボールの行方を見ていると、背の高い長い髪の女の子が元気いっぱいにゴールへ向かって一蹴りした。シュートが見事に決まると「やったー」と甲高い感嘆が聞こえた。
 まさかそんなところでサッカーをしているなんて思わず、映見だと認識するまで多少の遅れがあった。
 何やってんだ……。
 子供たちに紛れて夢中になって一緒に走り回っている。
 僕は驚いて唖然としていたけども、これはシャッターチャンスだと気がついてカメラを手にした。
 僕に気がついても、ボールを蹴っていたら僕の方を意識して向くことは難しい。ボールに集中している限り、これはいけるかもしれない。
 僕は距離をつめ、映見がボールを蹴るその時にカメラを構えたときだった。
 気づくよりも早くボールが僕の方向にビューンと勢いつけて飛んできた。すでにシャッターを押したときはボールが写り込んだに違いない。あまりにもそれはナイスシュートだ。そして僕はボールに頭を打ちのめされてひっくり返った。
「透、大丈夫?」
 映見が駆け寄ってくる。
「わざと僕に向かって蹴っただろ」
「偶然よ」
 嘘を隠し切れないニヤついた映見に手を引っ張られ、僕は立ち上がる。服についた砂を映見も一緒になってはたいてくれた。
 子供たちは僕を指差して笑った後、僕が手を挙げて怒りを表すと蜘蛛の子のように散らばった。
「じゃあ、みんな行くよ、そーれー」
 映見がボールを勢いよく蹴り上げた。子供たちは再びサッカーゲームに夢中になっていく。それを見つめる映見の眼差しが優しく、そのあとその目を僕にも向けて微笑んだ。
「で、写真撮った?」
 映見は地面に転がっていたカメラを拾う。
「ああ、サッカーボールのね」
 僕は口を尖らせて虚しく答えた。
 映見は巻き上げダイアルを回す。ジーコジーコと響いてカチッと止まった時、フイルムカウンターの数字を読み上げた。
「十」
 映見がカメラを僕に手渡す。
 僕はひったくるようにそれを受け取った。
「透、あと十日だよ」
「そんなのわかってるよ」
「それじゃカウントダウン開始!」
 映見がはしゃいでいる横で僕は複雑な気持ちを抱いていた。
「ここまで来たんだから、残りは楽しくやろうよ。透の機嫌が悪いままなんて私嫌だな。それで私にもし勝ったとしたらその時は笑うんでしょ」
 考えてもみなかった。僕がもし勝った時、僕は喜んで笑っているのだろうか。
 この勝負、勝っても負けても僕は笑ってないに違いない。負けるわけにはいかないけども、勝ったときに残るものは映見に会えない虚無感だ。
「そうだね、残りは楽しくやろうか……」
 そんなの出来るわけがないのはわかっているから、どこを見てるかもわからない虚空な目をして、感情のない声をロボットのように口にした。
 隣で映見のため息が微かに聞こえた気がした。
「そしたらさ、まずは手っ取り早い勝負といこう」
 僕の腕をぎゅっと掴み、映見はサッカーをしている子供たちに向かって叫んだ。
「おーい、みんな、このお兄さんもサッカーがしたいんだって」
「えっ、僕そんなこと言ってないよ」
 嫌がる僕の腕を引っ張り、僕たちはフィールドの中へと入っていく。子供たちにあっという間に取り囲まれた。
「お兄ちゃん、サッカー上手いの?」
 こういう年頃には友達とよくサッカーしていたけども、あとは体育の授業でたまにやるだけで、大きくなるにつれ真剣に挑むことは全くなかった。だけど、子供相手ならなんとかなるだろう。
「まあ、普通よりかは出来る方かな」
 少しだけ虚勢をはった。
「それじゃ、このお兄さんのチームと私のチームに分けて真剣勝負といこうじゃないの。みんなどっちのチームになりたい?」
 映見が仕切ると、子供たちは全て映見の方へと集まった。
「ちょっと待て、僕のチームには誰も入りたくないのか?」
 僕が訴えると、映見は笑い転げていた。
「みんな、この人を虐めないであげてね」
「それじゃ仕方がないな、俺、お兄ちゃんのチームに入るよ」
「じゃあ、俺も」
「僕も」
 次々に名乗りを上げくれたお陰で、半分半分になった。
「それじゃ、本気出して頑張ろう」
「おー」
 映見のチームが輪になって気合を入れている。
「お兄ちゃんもなんか言ってよ」
 子供に催促され、戸惑いながらも僕は手を前に出した。
 すると次々とそこに子供たちの手が重なってくる。
「よし、必ず勝つぞ!」
「おー」
 僕の掛け声でみんなが団結する。なんだか急にわくわくしてくるから不思議だ。
「それじゃ手加減しないからね。ベストをつくせよ」
 映見が含み笑いを見せてわざとらしく挑発する。
「ああ、負けるもんか」
 負け続きが続く毎日を払拭するために僕は受けて立つ。
 久しぶりに本気でボールを追いかければ、夢中になっていく。
『透ちゃん、うまいうまい。将来はサッカーの選手だね』
 子供の頃、僕にボールを投げてくれた未可子さんを思い出す。あの頃は本気でサッカー選手になりたかった。
「お兄ちゃん、こっちにパス!」
「うぉ!」
 腹から声が出て僕はボールを蹴る。上手い具合にその男の子に届いてそれが連係プレイとなった。
 そのままその男の子は走ってゴールを決めた。
「アイツやるじゃん」
 僕は駆け寄り、手を合わせてその子と一緒に喜びをかち合った。
「お兄ちゃんのお陰で決められたよ」
 素直に僕を持ち上げてくれる気遣いが嬉しくて照れくさかった。僕も昔はこんな子供だったような気がする。
 さぞかし映見が悔しがっているだろうと思って振り返れば、映見は僕によくやったと親指を立てていた。
「えっ?」
 中指じゃなくて親指?
「よおし、みんな負けてらんないぞ」
 映見のチームは更なるやる気に火がついていた。
 そうやって、暫くフィールドでボールを追いかけ続ける。僕も一心不乱に子供たちと楽しんだ。
 夕方の日が徐々に落ちていくまどろんだ色合いが濃くなっていくと、子供たちは時間を気にしだした。
「僕、もう帰らなくっちゃ」
「俺も」
 そうやってひとりひとり帰っていくと最後は映見と僕だけが残された。
「ふう、汗かいちゃったね」
「で、この試合どっちが勝ったんだ?」
 どっちも点数を入れていくから、試合に夢中になっていると最後で分からなくなってしまった。
「透が決めたらいいじゃない」
 額の汗を拭い、映見がさらりといった。
「そういう問題なの?」
「だってさ、子供たちが私たちを受け入れて真剣に勝負してくれたからさ、私たちふたりの問題じゃない気がしてね、勝負なんてどうでもよくなっちゃったんだ」
 それもそうだった。僕たちが勝った負けたと議論するのが馬鹿げてくる。勝利はあの子供たちであって、僕たちではない。
「また、あいつらに会えるかな」
「会えるよ」
 映見に言われると希望が湧き出て心が軽くなっていく。
「さて、明日どうするかな」
 映見は暗くなっていく空を仰いで大きく腕を伸ばしていた。そこには気の早い星がすでに顔を覗かせまたたき始めていた。
 映見の汗ばんだ肌が光沢を帯び、映見自身が星のようだと思った。
 僕は無性に映見の手を取ってぎゅっと握りたくなって、それをぐっと堪えるのに必死だった。
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