第四章


 金曜日やっとテストが終わってほっとしたのも束の間、僕の重荷はまだ残ったままだ。
 限られた時間の中で、やれることはやったけど、僕には勝利の女神はいなかった。死神は自分の勝負にも邪魔をする元凶なのだろうか。
 あまりにもあっけなくフィルムを消費してしまうことから、僕はこのテスト週間の間は延期してずらそうと予め提案したほどだ。そこは例外にお互いがそれでいいと認めたらそれで済む事だったのに、頑なに映見は拒んだ。
「だめ、予定は変更できない」
「なぜだよ。無意味に写真撮るのはベストを尽くさずにチャンスを放棄することじゃないか」
「ごめん。透には不利になってしまうのは悪いと思う。でも、続けてきた事を中断するのは私は嫌なの」
 映見らしくない無理強いを感じた。それに流されて僕は映見の言う通りにするしかなかった。
 その時僕も急に諦めモードになっていた。
 そのうち、僕の中でも死神の呪いよりも映見と過ごす楽しさが強くなっていることに気がついて、僕は首尾一貫になれない心の弱さを感じていた。
 だけど最後の数日にもう一度強く賭けの目的を肝に銘じようと思う。僕のせいで映見を不幸にしてはいけない。まだこの賭けに勝つチャンスは残っている。やれるだけの事をやるしかない。
 頬を叩いて気合を入れようとするも、僕の気持ちは複雑すぎて一向にすっきりしなかった。

 午前中で学校が終わり僕が昇降口で靴を履き替えているとき、映見からメールを受信した。

 ――今、透の学校の近くに居ます。ここからはコンビニが見えて、その向こう側は大通りがあって車が走ってます。さて私はどこにいるでしょう。

 クイズ形式になっていた。
 学校の近くのコンビニと聞いて、思い当たるところはひとつしかなかった。僕はそこへ向かった。
 だが、映見の姿はどこにも見つからない。コンビニの中も覗いたけど、髪の長い女の子は見当たらなかった。
 またメール受信音が鳴る。

 ――先入観を捨てよ。

 はあ?
 何の事が分からず、その辺りをキョロキョロと見回すと、コンビニからジーンズを穿いたおかっぱの女の子が出てきた。真っ直ぐ僕に近づいてきて、それが映見だと気がついたとき僕は口をあんぐりと開けていた。
「えっ、髪切ったの?」
 見たら分かる事を僕は訊いてしまう。
「あれ、気がつかなかったの? ずっと少しずつ切ってたんだよ」
 そうだ、確かに僕は映見の写真を撮った後何か違和感を感じた事があった。あれはコロッケを食べた時だった。
「でもなんで急にそんなに短くしたの?」
「徐々にちょっとずつ切って遊んでたんだけど、透が気づいてくれないからばっさりと切っちゃった。もうちょっと切ろうかな」
「それ以上短くするの?」
「髪の毛なんてすぐに生えてくるしね。どうってことないよ」
 そういうものなのだろうか。あれだけ長く伸ばすには数年の歳月が掛かりそうな気がして、僕の方が勿体ないように思えた。
「さて、今日はまだ時間があるし、チャンスをあげようか? それともこのまま戦わずして写真を撮る? さあどっち」
「もちろん挑む」
「そうくると思った」
 映見は僕に紙を渡した。簡単な地図が手書きで書いてある。
「この河川敷の辺りが犬の散歩コースなの。ここに四時くらいから犬を連れているから。この辺探してみて」
「わかった」
「どんな犬なのか訊かないの?」
「笑う犬だろ。前に見せてくれたじゃないか」
 確か柴犬だったように思う。
「そうだったね、フフフフフ」
 映見の笑いは何か企んでそうなわざとらしい感じがした。

 僕は一度家に帰って着替えをしてから、地図を頼りに映見が指定した場所に向かう。そこは大きな川がゆったりと流れる側で緑の草に覆われた河川敷が広がっ ていた。その向こう側にはビルや建物が見える。憩いの場らしくジョギングや散歩をしている人、ボール遊びをしている子供たち、自転車やバイクなど人がひっ きりなしに通っていた。
 一部分だけ緑のネットで囲まれている場所があり、そこで犬たちが自由に走り回っている。近くまでいけば『ドッグラン』と書かれた看板が出ていて、ここだけ犬を放し飼いにして、自由に走らせる事ができるようだ。
 犬を連れてくるということはここに映見が現れるに違いない。僕は辺りを見回して映見と柴犬が来てないか確認する。柴犬のような犬は居るが、映見は見当た らない。僕は用意した伊達眼鏡をかけプチ変装をしていた。ジャケットのポケットにはカメラが入っている。すでに手を一緒に突っ込み、いつでも写真が撮れる ように準備していた。
 犬が生き生きと駆け回り、飼い主同士それを見ながら話をしている。
 こんなところにぽつんとひとり立っていたら、映見にすぐに気がつかれてしまいそうだ。どうしようかと思いつつ、隠れる場所はどこにもない。
 うろうろと柵の側を歩いていると、目深に帽子を被った男の子と柴犬が向かい合っている姿が目に入った。柴犬はちょこんと座り、男の子が手をちょっと動かすだけで、その柴犬は立ち上がった。
 ぐるぐると手を回せば、柴犬は同じようにぐるぐると円を描いて回りだす。
 その男の子はまるでトレーナーのように犬を調教していた。
「すごいな」
 僕は思わず声をもらした。
「この犬は私が大好きなんです。私がカメラを向けると笑うんですよ」
「えっ?」
 なんだかどこかで聞いた話だ。っていうよりも、あれ?
「写真撮らないんですか?」
 その男の子は帽子を脱いで僕に微笑んだ。
 僕よりも髪が短い。でも微笑んだその顔は映見だった。
「映見なのか? なんでまたそんな短い髪に」
「柴太君、Go!」
 突然叫んだ映見のその命令で、柴太君と呼ばれた柴犬が僕に向かって駆けてきた。ひえぇ。
 フェンスの外にいたのに僕はひるんでしまう。怯えた僕を柴太君は臆病者とでも言いたそうにじっと見ていた。
「あーあ、折角のチャンスをまた棒に振って」
 映見も僕の傍にやってくる。
 柴太君は映見を見上げて尻尾を振っていた。
「まさか、また髪の毛を切ってるなんて思わなかった。まるで男の子みたいじゃないか」
「ほら、また偏見をもってたから私だってわからなかった。残り三枚だから、こっちだって本気だしたんだから。眼鏡をかける変装なんて甘い甘い」
 また映見にしてやられてしまった。
 映見は柴太君を抱き上げ、僕に向かって微笑んだ。仕方なくカメラを出してシャッターを押した。柴太君は映見の頬をぺろりと舐めて、映見はくすぐったそうにしていた。
 写真撮影が終わると、柴太君はリードに繋がれ、映見と一緒に囲いの外に出てきた。
 僕の足元を鼻でくんくんしてから、唸る声を上げていた。僕を警戒して今にも噛み付きそうだ。
「柴太君、No! 透は私の大切な人」
 映見が僕の腕を取って自分の腕を絡ませてきた。
「おいっ!」
 映見の体温が感じられるほどに密着したのはこれが始めてだ。僕の顔が熱くなって、胸がドキドキと激しく動き出した。
「柴太君に友達だってアピールしないと、柴太君は本当に噛むよ」
「えっ!」
「私には忠実で甘えん坊なんだけど、自分よりも下だと格付けすると、それはそれは怖いよ」
 柴太君をみれば、まだ僕をどう位置づけていいのか迷っている様子だった。
「ちょっと散歩してみよう」
 映見にリードを手渡された。
「なんで僕が」
「柴太君、Go!」
 映見の掛け声で柴太君が歩き出す。リードを持っていた僕は及び腰に柴太君に引っ張られてしまう。
「ほら、堂々として。柴太君に自分の方が強いって思わせないと」
 そんな事を言われても、噛まれるんじゃないかとびびってしまう。
「あと残り二枚だね」
 どこを見てるわけでもなく、映見は真正面を向きながら独り言のように呟く。それが物悲しくて、前にもこんな感じに思った事を思い出した。
 あの時僕は『なんでいつもそんなに楽しく笑えるんだい』と尋ねた。
 その時に柴太君の画像を見せてくれたんだった。そこに笑う柴太君が写っていて、自分以外の家族には笑わないって言っていた。その後で、『だから、この犬の気持ちと同じってこと』と言ったんだった。
 僕はその意味がその時よくわからなかった。
 でも映見はさっきこう言っていた。
『この犬は私が大好きなんです。私がカメラを向けると笑うんですよ』
 この意味を考えた時、僕の心臓がドキッとはねる。
 僕が映見にカメラを向けると映見が笑う理由。僕はドキドキしながらも、否定する。
 ただの思い過ごしだ。映見はエキセントリックで、気まぐれに僕とゲームをしているだけだ。だから僕はこのゲームに勝たないといけない。
「透、どうしたの? さっきから思いつめて」
「いや、あと二枚だから、もう負けられないって思ってた」
「この勝負、私がもらった、あっはっはっはっは」
 ここまできたら最後まで挑戦するしかないけども、最後で逆転勝ちができるのだろうか。
「映見はただ意地になってるだけだ。このゲームには意味がないんだから」
「意味ならあるよ。私が勝てば、きっと全てがうまく行く」
 映見チャレンジは僕が放ってほしいから、そうするために条件を出してきたゲームだ。これに僕が勝てば僕は映見から離れることができる。でももし、僕が負けたら、映見は僕に何を望んでいるというのだろう。
 全てがうまく行く……一体何がうまく行くのだろう。
「さあ、あと二枚! ベストを尽くすぞ」
 映見が叫んだ。
「一体どんなベストを尽くすというんだ。まさか次はさらに意表をついて丸坊主になるとかやめてくれよ」
「丸坊主? もしかして見てみたい?」
 映見ならやりかねないような気がするから恐ろしい。
「いやいやいや、さすがに丸坊主は」
「そんなのウィッグで隠せば問題ないよ」
 映見はなんでもないことのように笑っていた。
 柴太君が振り返り僕と目が合った。僕たちが何を話しているのか気になっているのだろうか。少しだけ先ほどの殺気が消えたような気がした。
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