Pure Dark

第十六章

53 愛しき人を胸に

 引きとめようとするアメリアを強く払いのけ、ブラムはヴィンセントにシャープな視線を突きつけてゆっくりと距離を縮めていく。
 静けさの中の張り詰めた空間。ブラムとヴィンセントの気持ちはぶつかり合い、押し込めるような重苦しさが二人にのしかかる。
 背筋が伸び、自信たっぷりに貫禄を見せ付けるブラムに対し、ヴィンセントは黒光りする肌のあちこちから皮膚が裂けた赤いラインが浮かび上が り、すでにボロボロの状態だった。
 だが負けられないと気迫だけは辺りを溶かしてしまうほどに熱く燃え滾る。
 二人は至近距離からにらみ合った。
 美しい姿のブラムと恐ろしい野獣の姿のヴィンセントは天使と悪魔の対決を連想させた。
「わかってると思うが、私を殺すにはお前は私のライフクリスタルを奪わなければならない。ここだ。ここから光を吸い取れば奪い取れる。それができない限り、どんなに私にダメージを与えたところで、私は自分で傷口を治せることを忘れるなよ」
 自分の胸を押さえブラムは余裕の笑みを見せ付け、ヴィンセントを見る目は冷たく見下していた。
「本気で殺せということか」
「そうだ。情けをかけると命取りになるということだ。私は愛するもののためなら手段を選ばない。それはお前も同じなはず。覚悟してかかれ」
「その通りだ。ベアトリスを守るためならどんなことだってやってやる」
 緊迫した空気が二人の間にピリピリと流れる。ブラムが片方の口角を上げてニヤリとしたとたん一瞬にして姿が消え、ヴィンセントの後ろに現れると手を構えてダメージを与える光を素早く向けた。
 ヴィンセントは予め読んでいたのか、上空にジャンプしてそれを避ける。そして真上から破壊の力を手のひらに溜め込み、青白い炎とともにブラムに放した。
 ブラムは余裕で笑みを浮かべて姿を消し、ヴィンセントの破壊の力はかすりもしなかった。
 ヴィンセントが地面に足をつけると、ブラムは同時に目の前に現れ、ヴィンセントの腹めがけて拳をお見舞いした。
「なかなかやるな。だがやはりお前には私は倒せない。力を使わなくとも素手でやっつけられそうだ」
 ヴィンセントは咳き込み、前屈みになりながら後ずさりした。
 コールとの戦いの傷とパトリックから受けた傷が酷く不利にさせた。腹部を殴られただけで体は悲鳴をあげてしまった。
「ダディ、もうやめて。こんな戦いフェアじゃない。ヴィンセントの体は限界にきている」
「言ったはずだ、これは真剣勝負。どちらかが死ななければこの問題は解決しない」
「ヴィンセント、逃げて! このままではあなたは殺されてしまう」
「嫌だ! 俺はベアトリスを守るんだ」
 アメリアが何を叫ぼうともう二人を止めることはできなかった。
 パトリックも無茶な戦いに我慢がならず、デバイスの剣を手にした。だがいつのまにかリチャードが側により、そっと剣を持つ手に触れた。言葉なく、ただ首を横に振っている。
「リチャード、自分の息子が殺されようとしてるんですよ。何もしないで見ているだけなんですか」
「これは男と男の真剣勝負。そこに第三者は入り込めない」
「そんな悠長なことを言ってどうするんですか」
「私も愛するものを失ったもの。どちらの気持ちも痛いほどわかるんだ。私がブラムならやっぱり同じ事をしていたと思う。愛するものを取り戻す方法があるのなら、誰しもそこから抜け出せずそれに執着してしまうことだろう」
 パトリックは黙り込んだ。リチャードの言う通りだった。だが自分は何もできないとがっくりと膝を落として地面を何度も叩いて嘆き出した。リチャードはパ トリックの肩に優しく手を置き、そう思うことも当たり前の行為だと肯定してやった。
 ヴィンセントが必死でブラムの動きについていこうとするが、常に瞬間移動をされ捕まえることも側に寄ることもできない。
 振り回されて余計な体力を使い消耗が激しくなる。
 動きが鈍った隙をつかれ、ブラムが四方八方から再び現れるときに攻撃を受け、さらなるダメージを受けていた。
 ヴィンセントはそれでも諦めず、鋼鉄の気力をもって挑んだ。捨て身の戦いだった。
 コールは消え行く命の中、横たわりヴィンセントとブラムの戦いを見ていた。
 命がけで愛するものを守る姿勢を見ていると、かすかにマーサの姿が浮かんできた。死を直前に気弱になり、最後の最後で何かを大切に思う気持ちに気づいたことを自分らしくないと嘲笑った。
 そして暫く一緒に過ごしたゴードンのことも脳裏によぎる。一人で強がっていても、何かに慕われて側で支えてくれていた有難さがこの時になって身に染みる。
 これが人生の最後に考えることなのかと死の淵でありながらおかしくなり、弱々しくも笑っていた。
 全てを覚悟して、その時を迎えるまでコールは目の前の戦いを見続ける。
 客観的に見ていたとき、ブラムの動きに不自然なところを見つけた。瞬間移動するとき、必ずと言っていいほど、ブラムは一度両手を合わせていたことに気づいた。
 はっとすると同時に、腹から声を絞り出して必死に伝える。
「ヴィンセント、奴の手を狙え。そいつは両手を合わせないと瞬間移動できない!」
 その声が届いたのか、ヴィンセントはブラムが瞬間移動で手を合わせないように咄嗟に破壊の力を数発連続で送り込んだ。それを避けようとブラムが気を取られている隙をつき、ヴィンセントはブラムの前に素早く移動し、彼の片方の手首を掴んだ。
 まじかで顔を合わせ睨み合いながら、ヴィンセントはありったけの強い力を出し切ってブラムの手首を握り潰すと、うめき声と共に鈍くボキボキと砕ける音が聞こえた。
「それで私の動きを封じ込めたつもりかね」
 ブラムは全く応えていないとヴィンセントの腹に膝で蹴りこむ。
 ヴィンセントは蹴りをまともに受け、苦しい歪んだ表情でふらつきながら後ずさった。その間にブラムは砕けた手首をもう片方の手で握り締めると、手首は乳白色の光に包まれて、元に戻っていった。
 その手首を動かし無駄だったとヴィンセントに見せ付ける。
「言ったはずだ。私は自分で傷を治せると。まあいいだろう。瞬間移動ばかりではまともに戦うこともできないだろうから、それは封印してやろう。それにそろそろとどめをさす頃だ」
 息を切らして激しく肩を上下にヴィンセントは動かしていた。この時ブラムの攻撃を受けたらひとたまりもないことをヴィンセント自身体で感じ取っていた。
 気力で立っているだけでもう攻撃する力も残っていない。そのとたん悔しさを滲ませてヴィンセントは元の姿に戻った。せめて死ぬときは人間の姿でいたいというつまらない意地だった。
「そっか覚悟を決めたということか」
 ブラムはクリスタルが幾つも隆起したような光を構えた手から発生さすと、それをヴィンセントめがけて放ちた。
 それを見ていた誰もがヴィンセントの死を予想した。
 父親であるリチャードも歯を食いしばり、我が子が目の前で殺されるのを助けることもできずにひたすら直視していた。
 ブラムの放した光はヴィンセントの体を突き抜けた。
 ヴィンセントは倒れそうになるのを必死に堪えて死に場所を求めベアトリスの元へ足を動かした。
「ベアトリス…… ごめん、俺、君を救えなかった」
 誰もブラムの前では何もできず、ただその光景を悲痛な思いで静観することしか選択はなかった。
 ベアトリスはヴィンセントの声をキャッチした。ありったけの思いを込めてヴィンセントを強く求める。ヴィンセントは思い人を呼び寄せる力によって、ベア トリスの側に瞬間移動した。
 ベアトリスを覗き込み、笑みを浮かべて、最後の力を振り絞りヴィンセントはしっかりと彼女を抱え抱き上げた。
「俺にこんな風に抱かれるのが嫌だっていつか言ってたね。でも俺はほんとはあの時こうしたかったんだ。君を大切に抱きかかえたかった」
 ベアトリスは涙を流し、消え入りそうな声で囁いた。
「ヴィン…… セント、あ…… いして…… る」
「俺もだ」
 ベアトリスを抱えながら、ヴィンセントは尻餅をつくように倒れこんでしまう。
 ベアトリスを抱きしめる手は決して放さなかった。ベアトリスを胸に抱きヴィンセントは一つになろうと愛しく抱擁する。二人は重なったまま静かに倒れこんだ。それでも一緒に死ねることが最高の幸せだとでもいうくらい二人は満ち足りた幸福の顔をしていた。
 アメリアはそれを見て泣き叫ぶ。怒り狂うほどの炎が見えるくらいの目でブラムを呪った。ブラムに近寄り、手を彼の胸の前にかざす。
「私があなたのライフクリスタルを奪ってやる。嫌なら今度は私を殺すといい」
 ブラムはアメリアの手首を握り、その時ばかりは父親らしい目で自分の娘を愛しく奏でるように見つめた。
「父親らしいこと何もしてやれずにすまなかった。それでも私は君のことをいつもいつも愛していたよ。エミリーと同じ目を君はしている。その目で見つめられ るのが私の喜びだった。私が犯したことは最低だ。自分でもよくわかっている。さあもっと憎むがいい。その方が私も救われる」
 ブラムは握っていたアメリアの手を自分の胸に近づけ自ら自分のライフクリスタルを掴ませた。
 アメリアは、目の前の光景に気が動転して抵抗することもなくブラムのなすがままになっている。
 ブラムのライフクリスタルがアメリアの手の中で形をなしたとき、ブラムは自ら指を噛み血を流す。その血をライフクリスタルに滴らせた。
「ダディ、どういうこと」
「さあ、これをヴィンセントに埋め込むんだ。早く」
 ブラムは宙に浮いていたベアトリスのライフクリスタルに向かって、指で何かの指示を与えると、それはベアトリスの胸へと戻っていった。
 誰もが予期せぬブラムの行動に驚きを隠せなかった。
「ヴィンセントが息を引き取る前に、早くそのライフクリスタルをはめ込むんだ。さあ、もたもたするな」
 背中を押され、何が起こってるかわからないままアメリアはヴィンセントに近づく。後ろを振り返ると、ブラムは呼び寄せる力を使ってエミリーを抱きかかえていた。
「ヴィンセント!」
 ベアトリスが命を吹き返した。そして血だらけで倒れているヴィンセントを見て取り乱して叫んでいる。その声にはっとしてアメリアは咄嗟にかけより、ブラムのライフクリスタルをヴィンセントの胸に埋め込んだ。それはすっと彼の胸の中に溶け込んでいく。
 まぶしい光がヴィンセントの胸で閃光を放つと、彼もまた命を吹き返し体を起こした。ベアトリスは素肌を露にしたヴィンセントに激しく抱きつく。
「一体どうなってるんだ。なんで俺生きてるんだ? 傷も治ってる」
 ヴィンセントとベアトリスは一緒に立ち上がり、目の前のブラムに説明して欲しいと、疑問の目を向けた。
「この世界もそろそろ崩れてしまう。ベアトリスその前に、あそこにいるコールの傷を治してやってくれないか。今ならまだ彼を救える」
「私が? でもどうやって」
 何もわからないまま、ベアトリスはコールに近づいた。コールはベアトリスを目の前に情けない表情を浮かべどうしていいかわからないでいた。目を思わず逸らした。
「彼の傷口に手をかざすんだ。そして心にイメージしたままの気を込めるといい」
 ブラムに言われて、ベアトリスはその通りにしてみた。ぼわっと乳白色の光が傷口を包み込む。そして気力が回復されてコールもまた体を起こし、何が起こっ たか手で体のあちこちを触りまくって確かめていた。
「お前もほんと馬鹿だな。殺そうとした俺を助けるなんて」
 ふんと鼻でコールは笑っていたが、その瞳は優しく輝き、ギラギラしたダークライトの野望が一切消えていた。
 ベアトリスも思考能力が状況に追いつけない。キョトンとして自分の両手を見つめ、またブラムに視線を移した。
 ベアトリスの側にヴィンセントが寄ると、リチャードもパトリックも助かってよかったと集まってきた。
 パトリックはヴィンセントの肩に軽くパンチをお見舞いした。そしてベアトリスを見つめる。二人がお似合いだとパトリックは見守った。もう心の整理はできているようだった。
 アメリアはブラムとエミリーを前に、悲しみに明け暮れた顔をして立っていた。
「ダディ」
「これでやっとエミリーと同じ世界にいける。最初からこうすべきだったのかもしれない。だけど私は意気地なしだった。だが、ヴィンセントとベアトリスが死 の淵で幸福な顔をしているのを見て思ったよ、死も悪くないってね。もういい加減永遠の命にも飽きてしまった。これ以上君が私より年を取るのも見たくないし ね」
「ダディ、ダディ! 私、ダディを愛してる」
「そんなこと判ってたよ、愛しのアメリア。さあ、私の力も弱くなってきた。この世界は崩れる。地上に戻ろう」
 白い何もない空間から、辺りは朝日が柔らかく差し込むあの屋敷の中へと戻っていた。
 そしてブラムとエミリーは地上の時間の流れに溶かされるように、その姿は突然に風化して輝く砂となって床にこぼれていく。そして最後には風にでも吹き飛ばされるかのようにすっと消えていった。
「ダディ、ママ。」
 アメリアは笑顔で見送った。
 ベアトリスがそっと側に寄り優しくアメリアを抱きしめた。
「これでよかったのよ、私のことは心配いらないわ。これからは自分とヴィンセントのことを考えなさい」
 ベアトリスはヴィンセントを見つめた。全ての真実を知り、ようやくヴィンセントと向き合える。
 リチャードもパトリックも祝福するように見ていた。

「コール! 一体どこへ行ってたのよ。急にみんなで姿を消すからビックリしたわよ。ところでライフクリスタルはどうなったの?」
 マーサがコールに抱きついた。
「ライフクリスタル? そんなものもういらない。俺だけ長生きしたってお前がいなきゃ意味ないだろう」
 コールはマーサを愛しく抱いた。
「どうしたの? なんだか急にやさしくなったみたい」
 ヴィンセントとベアトリスに視線を移すとコールは声を掛けた。
「と、言う訳だ。もう俺はお前達を狙わない。だけど他のダークライトには気をつけるんだな。まあ襲われそうになったときは助けにいってやってもいいがな」
「ああ、その時は頼むよ」
 ヴィンセントもコールに対してわだかまりはもうなかった。全てを水に流すことにした。
 コールはバツが悪そうになりながら照れた笑みを返し、そして今度はリチャードに許しを請う。
「リチャード、俺はこの後どうすればいい? 罪を償うためにもお前に逮捕されるべきか」
「さあ、ザックの件は証拠があがれば逮捕できるが、あの状態ではお蔵入りだ。ザックには悪いが、お前は一生をかけて自分で罪を償え。もう悪いことしないと誓ってな。そうすれば私も見て見ぬふりだ」
「そっか、今すぐには中々変えられないだろうが、人を殺すことは封印するよ」
「当たり前だろうが!」
 リチャードが突っ込むと辺りはブラックジョークにも取れる受け答えに少し苦笑いした。
 だが、凶悪なコールが心を入れ替えたことは歓迎していた。
 どこか和やかな雰囲気が漂う中、全てがこれで解決して終わるはずだと誰もがそう思っていたその時、突然十数人の白い服を着たものが現れ、ヴィンセントはその中の二人に素早く腕を掴まれ押さえ込まれた。
「お前達は誰だ。俺に何をする」
 アメリアだけがその事態を飲み込み、真っ青になった。

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