Pure Dark

終章

エピローグ

 次の日の月曜の朝、ベアトリスが起きるとパトリックの姿はどこにもなかった。部屋を覗けば、誰も使った形跡がないほどにきれいに整理整頓されていた。
 そしてベッドの上に一枚の紙が置かれていた。
 ベアトリスはそれを手にした。

 親愛なるベアトリス

 別れが辛くなるので、僕は何も言わずに出て行きます。
 今まで本当にありがとう。
 君の幸せをいつまでも願っているよ。

 愛を込めて、パトリック


 短いメモのような手紙だった。
 いつも前向きで、何事も諦めなかったパトリックが数行のメモだけ残して潔く何も言わずに去っていった。
 その短い言葉の中にパトリックの気持ちが凝縮されてベアトリスの胸が一杯になる。
 パトリックは新しい道を進む決心をした。ベアトリスへの想いを過去の想い出と変えるために。
 ベアトリスは、もう一度室内全体を見渡し、パトリックがいないことを再確認した。
 少し寂しい感じもしたが、自然と笑みがこぼれる。パ トリックとの想い出が詰まった箱を閉じるように最後に静かにドアを閉めた。
「なんか寂しいわね。一人いないだけでこんなに静かになるなんて」
 ダイニングテーブルについていたアメリアが、コーヒーを飲みながら呟いた。
「賑やかな人だったもんね、パトリックは。今頃どの辺を車で走ってるんだろう。パトリックのことだから、夜も寝ずに、昨晩私達が寝た頃に出て行ったんだろうね」
 ベアトリスは朝食のトーストをかじり、台所を見つめながらパトリックのエプロン姿を思い出していた。
 パトリックはその時くしゃみをしながら、小さな町の中で車を走らせていた。
 少しお腹が空いて、軽く食べられるものでも手に入れようと車を停める。
 ストリート沿いにドーナツショップを見つけそこに向かって歩いていると、小さな女の子が後ろから走ってきてパトリックを抜いていった。
 その後姿をじっと見てるとどこかベアトリスの子供の頃の姿とオーバーラップする。
 微笑んで見ているとき、その女の子はばたっと勢いよくこけた。
 パトリックは思わず駆け寄って起こしてやった。大泣きすると思っていたが、女の子はありがとうとニコッと笑った。
 パトリックは泣かなかったことに感心して頭を撫ぜてやると、後ろから母親が呼ぶ声がした。
「ベアトリス!」
「えっ? お譲ちゃんベアトリスって言うの?」
 女の子はうんと元気よく頷いた。
「すみません。ご迷惑かけませんでしたか。この子はおてんばでちょっと目を離すと勝手にどこかへ行っちゃうんです」
 息を切らせて走ってきた母親を見てパトリックは驚いた。暫く呆然と口を開けて見つめていた。
「あの、何か私の顔についてますか?」
「えっ、いえ、あのその、知ってる人に似てたのでちょっとびっくりして。その人の娘さんの名前もベアトリスだったので二重にびっくりでして」
「そうですか、偶然ってあるんですね。私はこの子を遅くにして授かったので、体力がなくてついていくのが大変なんです。その方の娘さんはもう大きいんですか?」
「ええ、高校生です。とても素敵に育ちました」
「そうですか。じゃあこの子も同じ名前なのでいずれそうなりますね」
「ええ、もちろん」
「さあ、お兄ちゃんにバイバイってしようね。パパが向こうで待ってるよ」
「うん、お兄ちゃん、バイバイ。またね」
「ああ、バイバイ」
 その親子は手を繋いで去っていった。遠くで父親らしい人も見えた。その人物にもパトリックは見覚えがあった。
「なるほど、こういうことか。リチャードはまたお得意の闇を使ったってことなんだ。いつかベアトリスにも話してやらなくっちゃ。君のパパとママは元気だって」
 パトリックは想い出を絡めて暫くその親子を遠くから見つめていた。

 ベアトリスは背筋を伸ばして学校に向かった。あれだけ気乗りしなかった毎日の登校がこの日はハツラツと足が動く。
 その勢いで学校に到着したが、めちゃくちゃになったプロムの話題が耳に入ってくると、全ては自分のせいだとベアトリスは罪悪感で心が痛かった。 折角伸びていた背筋が申し訳なささで縮んで丸くなる。
 教室の入り口の前で、気持ちを整えようと一度大きく深呼吸をした。
 そして、教室に足を踏み入れれば、後ろの窓際でヴィンセントが外を眺めているのが目についた。
 それを見るなり、ベアトリスは笑顔で走り寄っていった。
「おはよう、ヴィンセント。今日は早いのね」
「おはよう。なんだか早く学校へ来たかったんだ」
 普通に交わす朝の挨拶。だが二人には特別だった。
 二人っきりでこんなに近くいることが貴重なことに思える。暫く二人は笑みを浮かべながら見詰め合っていた。
「これから一緒にいられるね」
「もう君に弾き飛ばされないなんて、却ってなんか不思議に思えるくらいさ」
「だけど、ジェニファーが一緒だったとき近くにいられたのはなぜ? サラのときもそうだった」
「ん? あっ、そんなことどうでもいいじゃないか」
 ヴィンセントは知らない方がいいだろうとシラを切った。少し後ろめたいのか、髪の毛をかき上げて視線を逸らして誤魔化している。
 ベアトリスは首をかしげた。
 そこにポールが教室に入ってきた。ベアトリスもヴィンセントも「あっ」と軽く驚いたような声を出してじっと彼を見てしまった。
「あの、何か?」
 ポールはおどおどとして答えると、何もないですと二人はただ愛想笑いを返していた。それでもまだジロジロ見つめていた。
 ポールの記憶は、念のためリチャードが影を使って塗りつぶしていた。
 コールやゴードンと接触した部分は覚えてないはずだった。
 それとコールが体を乗っ取っていたときの記憶もなかった。
「ちょっと、ポール! あんた酷いじゃない。プロムで私を置いて帰るなんて」
 アンバーが教室に入るなりポールを見つけて走りより、すごい剣幕で食いかかった。
「えっ? なんのこと?」
「とぼけないで」
 二人の話は噛み合わず、ベアトリスもヴィンセントも真実を知ってながら正直に教えてあげられないとお悔やみの気分で二人を見守っていた。
「ちょっとあんたたちさっきから横で何をジロジロみてんのよ…… あれっ、ベアトリス、その髪の色」
 アンバーがベアトリスの髪の色が変わってることに気がついた。
「何、色気ついちゃってるの?」
「ほっといてよ。濃い化粧のアンバーには言われたくないわ」
 ベアトリスは言い返した。
「ちょ、ちょっと何よ、その言い方」
「アンバーの真似をしただけだわ。だけど、アンバーはおしゃれするの上手いと思う。今度教えてくれない? 私もアンバーみたいにおしゃれしてみたい」
「えっ、ああ、いいけど……」
 積極的なベアトリスにアンバーはすっかり押され気味になった。しかしはっとすると、またポールに文句を垂れていた。
 今度はジェニファーが教室に入ってくる。
「おはよう、ジェニファー」
 ベアトリスは突然駆け寄って声をかけてみた。ジェニファーはベアトリスの髪の色に驚きながらも無視をする。それでもベアトリスはお構いなしに話しかけた。
「ジェニファーまだ怒ってる?」
 ベアトリスは時間がかかってもまたジェニファーと寄りを戻そうと試みた。
 今度は本来の自分の姿で接してみたい。
 以前のようなおどおどした自分ではなく、対等に向き合いたい気持ちがあった。
「何をどう言っていいのか、わからないわ」
 ジェニファーはまだ心の整理がついていないながらも、それが正直な気持ちだった。
「うん。こうやって口を聞いてくれただけでも嬉しい」
 ベアトリスが笑みを浮かべると、それに負けたかのようにジェニファーが口元を少し上げた。
 何も畏れずに前向きになってるベアトリスに圧倒されるものがあった。
 この先二人の関係はどうなるか予測が付かないが、ベアトリスは遠慮することなくジェニファーに気持ちをぶつけていく。
 ベアトリスはジェニファーと引けをとらないくらい、魅力的に見え、二人が一緒にいても誰も違和感を感じなくなっていた。
 ベアトリスが殻を破ったように生き生きしてる様子に、ヴィンセントは教室の隅で微笑んでみていた。
 ベアトリスは見違えるように自信を取り戻し、以前のように消極的ではなくなっていた。
 これから何かが変わっていく。
 新たな学生生活の始まりに、ドキドキするようだった。
 放課後、授業が終わったとたんベアトリスは勢いよく立ち上がりヴィンセントの前に現れた。
「ねぇ、どこか寄り道していかない? 二人っきりで」
 ウィンクをしてヴィンセントをいたずらっぽくそそってみる。
「それって、デートのお誘いかい?」
 ベアトリスは答える代わりにヴィンセントの手を握り強く引っ張って、無理に椅子から立ち上がらせた。
 そして早く二人っきりになりたいとせかしながら教室を出ては、ヴィンセントを引きずるように廊下を走っていく。
 偶然廊下に居た、サラ、レベッカ、ケイト、グレイスが振り返り、二人が走り去っていく様子を目で追った。手を繋いでいる様子から全てがうまく行ったことを悟ると、四人は顔を見合わせほっとしたような笑みをこぼしていた。
 廊下の先の出口に近づくと、外の日差しがまぶしく感じ、ヴィンセントは目を細めた。
「ベアトリス、そんなに慌てなくても…… でも二人っきりになって何をしたいんだい」
 ヴィンセントが茶化した。
「もちろん、ヴィンセントが考えていることと同じことよ」
 茶目っ気たっぷりにベアトリスは答えた。
 それを聞いたとたんヴィンセントはベアトリスを引っ張るように、もっと早く走り出していた。


 <The End>



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