第一章


 雨が降ったあとの次の日、朝からきりっと清々しい青空が広がっていた。
 天気だけ見れば気持ちがいいが、前日に池谷君との接触で驚きの真実を知り、しかも頬にキスされるという不祥事にかなり衝撃を受けたことは忘れていない。
 池谷君の唇が少し頬に触れただけで、事故と思えばまだ我慢できる部分はある。
 池谷君も完全に遊びで、一種のデモンストレーションとでもいうのか、私が過去の事をどれだけ覚えているか試していたようなところがあった。
 お陰であの時の犯人が池谷君だということははっきりしたが、心の中ではどうも違和感というものを感じてしまった。
 なぜ高校生になって、あの時の事を、今更、白状する気になったのか。
 ずっと接点がなかったとはいえ、同じ学校に通っていたし、池谷君も町で私を見かけていたとも言っていた。
 私の事が気になっていたのなら、もっと早くにアクションを起こしてなかっただろうか。
 まだ幼すぎてそれだけの勇気がもてなかったのか、それとも山之内君という存在を見てしまって急に刺激を受けたからだろうか。
 そこが引っかかっていた。
 だけど人にはモテキという時期があるらしいが、もしかしてそれが今なのだろうか。
 男の子からアプローチされると、どうも自惚れの感情が出てくるようで、一応プライドがある乙女心なだけに、ちょっとそう思う自分が嫌。
 つい頭をブンブン振り回してしまい、心の中の嫌な感情と無意識に戦っていた。
 とにかく池谷君に惑わされないようにすればいい。
 それと、急に声を掛けられて距離が近くなってしまった山之内君とは、今後どう接すればいいのだろう。
 池谷君は会う機会はあまりないけど、山之内君とは同じ学校で隣のクラスだけに、顔を合わせる機会は非常に高い。
 この朝だって、通学路が全くどんぴしゃりと被るだけに、もしかしたら山之内君と会う可能性だってある。
 でもよく考えたら、前日までそんな風に思ったことがなかったし、学校生活が始まってから朝一緒になることもなかった。
 それなのに駅に着いたら、キョロキョロと周りを確かめてしまう。
 そこには朝も一緒に通いたいと思う願望が密かに隠れていて、やっぱり声を掛けてもらって浮かれていたんだと我に返ってしまった。
 山之内君にしたら傘を貸したことで、お礼がてらにただ私と話したかっただけなのかもしれない。
 あまり自惚れても、後で痛い目に遭いそうな気もしてきて自重してしまう。
 自分でもどこまで落ち着かないでいるのか、浮き沈みの激しい感情に朝から疲れてきた。
 それよりも自分のことに精一杯で、教室内で友達に取り囲まれ、前日の事を根掘り葉掘り訊かれる事を想定してなかった。
 私が学校について教室に入ると、皆が興味津々に集まってくる。
 嫉妬も入り混じって質問してくるのが鬱陶しく思えた。
 普段喋りもしないグループの違う女の子達が寄ってきて、山之内君と一緒に帰った感想を求めてくる。
 それは朝の挨拶と共に愛想だけは振りまいて適当に誤魔化した。
 相手は物足りなさそうにしていたが、別に話さなければならないと言う義務もないから、それでお互い仕方がないと納得だろう。
 だが、自分のグループ内ではそういう訳にはいかなかった。
「ちょっと真由、一体昨日はどういうことなの?」
 グループのリーダーでも言うべき存在の中村かの子が噛み付いてくる。
 しっかりしているから、思ったことは何でも口にしてしまうタイプだけに、代表者のようにこの場を仕切っていた。
「どういうことって言われても、住んでる町が同じだし、学校に通う前に近所で一度面識があったからそれで話しただけ」
「ちょっと、どうしてそんな大事なこと私達に言わなかったのよ」
「別に、言うほどのことじゃ……」
 横で笹屋みのりが私の制服の裾をそっと引っ張った。
 グループの中では大人しく控えめな存在だが、見るところはしっかりと見ている観察やだった。
 その場の雰囲気を見て周りに合わすのが上手い世渡り上手なところがある。
 早く言えば計算高いという事でもあるが、この時、みのりがまるで逆らうなとでも言いたげに、そっと私に知らせてくれていた。
 彼女曰く、こういうときは控えめにしているのがいいらしい。
 かの子は全てを把握していないと気がすまなくて、リーダー格な性分なために知らない事があるとイライラするみたいだった。
 それをなだめるために、私は意味もなく謝る。
「ご、ごめん」
「まあ、かの子もそこまで責めることないじゃない。これは私達には関係のないことだと思うよ。真由も気にしないでいいからね。かの子はちょっと羨ましいだけだから」
 井沢千佳は少し男勝りのあるさっぱりした性格だった。
 唯一かの子に口出しできる立場なために、いつも客観的に意見をいうところが頼もしかった。
「そうよ、羨ましいから訊いているのよ。ちょっと、一体どんな事があったのか全部白状しなさい」
 かの子は自分の感情をそのまま出すが、自分自身も認めているところがはっきりしていて潔い。
 結局はそれぞれの役割があって、私を含めたこの4人のグループは上手くいっている。
 その中で私の役割というのは何かと訊かれたら、自分ではわからないけど、この三人からは好かれていることは確かだった。
「わかった。全部話す。でも学校ではちょっと言い難い」
 私の話を聞きたいと耳を傾けている女子が何人か周りにいた。
 その影に男子もいて、興味なさそうな顔をしながら耳に入ってきたら聞いてやろうという態度だった。
「じゃあさ、放課後、ちょっと寄り道して帰ろう。落ち着いた、いい店知ってるんだ。皆にも紹介したい」
 千佳が何気に提案した。
「あっ、それいいね」
 控えめなみのりも賛成している。
「よし、決まり。この話の続きは放課後ってことだね。覚悟しとけよ、真由。私は全てを訊くぞ」
 かの子は嬉しそうに含み笑いをしていた。
 高校一年生になって、女子たちが一番話題にしたいのは、異性の話であり、ましてやカッコイイ人気の男子と接点のある女子が自分のグループにいるのは、興味を鷲づかみにしてしまうらしい。
 それくらいの情報を提供するくらいどうってこともないし、喜んでくれるのなら私も話の中心人物になれてやっぱり気持ちのいい事だった。
 これが女子高生らしい日常だと自分でも思っていたくらいだった。
 かの子、千佳、みのりもこの学校に来るだけあって、勉強は一生懸命する人たちで、その分物分りもいい。
 お互いライバルでもあり、助け合う仲間でもある。
 まだ知り合って間もないけど、すでに意気投合したものがあって、私も結局はこの三人が好きだった。
 
 この日の休み時間、廊下に出るときがあると、つい一組を意識して山之内君に会わないかドキドキしてしまう。
 直接会ったわけではないが、後姿を見るだけでなんだか逃げたい気持ちになってしまうのは、意識をしすぎてるからだろうか。
 一度一緒に帰っただけで、こんな気持ちになってしまうのは少し辛かった。
 そこに池谷君のあの頬のキスがフラッシュバックしてしまい、忘れようにも忘れられなくて落ち着かない。
 とにかく、池谷君が来たせいで山之内君が何か誤解していないか、それが気になる。
 私があんなチャラチャラしたようなのと付き合いがあるなんて思われるだけで癪だった。
 その点だけは誤解を解きたかったが、それを聞かれてもないのに、自ら直接言うのも変なことのように思えて、少しモヤモヤしてしまう。
 山之内君に私のことを変に思って欲しくないのは、やはりどこかで私も何かを期待しているのだろうか。
 そう思うのもなんだか自惚れのいやらしい気持ちのようですっきりしない。
 山之内君にあこがれている周りの女の子達も、変な目つきで私をみているような気がする。
 だけど、山之内君があんな風に近づいてくるから、私も多少はちょっといいように思いたい気がしていた。
 前日の事があってから、山之内君のことが、一編に気になって仕方がなかった。
 なんとかまた話ができないだろうかと思いつつも、いざ姿をちらっと見かけるとドキッとして隠れてしまう。
 それの繰り返しで、挙句の果てには教室から出られないくらい、トイレに行くにも緊張してしまった。
 そんな中でこの日は終わってしまい、やっと学校から離れられると思った放課後、また山之内君が私の前に現れ名前を呼んだ。
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