第三章


「何を今更、あんなこと覚えてるのは本人しかいないじゃないか」
「でも、他にも覚えている人がいる。それはあの時一緒にいた子供たち。瑛太はキスをした本人じゃなくて、取り巻きの一人だったから覚えていただけ」
 瑛太はじっと私を見ていた。
 その目はどこまで私が思い出しているのか見極めようとしているようだった。
「瑛太、どうして嘘をついたの?」
「なんで俺が嘘ついてるって思うんだよ」
「瑛太は青い傘を突き出して走ってきたって認めたよね」
 瑛太はその時、はっとした。
 自分でもどこに問題点があったか気がついたみたいだった。
「もしかして、傘のことか?」
「そうよ。あの時キスをした男の子は青い傘なんて持ってなかった」
「それなら、ただの勘違いだったってことじゃないか。俺だって、傘の色がごっちゃになってたかもしれない」
 それでも瑛太は自分が嘘をついているとはまだ認めなかった。
 どこかで誤魔化せるかもしれないと粘っている。
「それはありえないのよ。あの時の傘の色は間違える方が不自然なの。それじゃ私が持っていた傘の色覚えてる?」
「えっ、それはピンクか赤だろ」
「ほら、やっぱり適当に言ってる。あの時私が持っていた傘、そして私にキスをした男の子が持っていた傘、そしてついでに瑛太が持っていた傘もみんな同じ傘だった」
「同じ傘?」
「私は誰が私の頬にキスをしたかは覚えてない。でもあの時の傘のことはしっかりと覚えてるの。あれは学校が支給した置き傘だったから。突然雨が降ったとき の対策のために置き傘を学校に置いていた。あの時、帰る時になって雨が降ったから、皆、置き傘を使ったの。だから皆、黄色い傘を持っていた」
「置き傘?」
「瑛太も結局ははっきりと覚えてなかったってことじゃないの? だから私が訊いても答えられないからあんな言い方をした。そう考えたら辻褄が合う」
 瑛太はふっと息をもらすように鼻で軽く笑った。
「へぇ、さすが真由。俺を引っ掛けるなんてやってくれるもんだ」
「それじゃ、嘘ついたって認めるのね。でもなぜそんなことをするの?」
 瑛太はまだ何かを探るように私の目を見て、様子を見ている。
「確かに俺はあの時、側に居て、真由がキスされるのを見ていた。囃し立てていた一人だった。でも本当にキスするなんて思わなかったんだ。子供ながら大胆な 行動に出たことでびっくりしたもんだった。あの後、真由が先生や親に告げ口して、俺は怒られるんじゃないかって恐れていたくらいだった。でもそれもなかったから、 真由も結局はキスしたそいつの事が好きだったんだろうかってずっと疑問だった。そうやって真由のこと考えてたらさ、なんか気になってさ、それでずっと胸に潜めてたって訳。そん なときに、拓登と一緒にいるところを見ただろ。そしたら急にいてもたってもいられなくなったってわけ。そこで成りすましてみようと思ったのさ」
 瑛太は開き直って潔く嘘を認めたが、どこかまだ信用できない部分を感じてそれが100%本当の話だとは私は思えずにいた。
「それじゃ、私にキスをした男の子って誰なの?」
「本当に真由は覚えてないの? 同じクラスにいたんだぜ」
「瑛太のことですら、すっかり記憶から飛んでいたのに、小学一年のことなんて覚えてないわよ。嘘ついて私を騙そうとしてたんだから、お詫びに教えなさいよ」
「知ってどうすんだよ。わかったら、会いに行くのか?」
「別に会いに行くとかそういう問題じゃなくて、こうなったら真相を知りたいじゃない」
 瑛太はまた主導権を握ったように得意げに笑みを浮かべていた。
「そうだな、教えてやってもいいけど、条件がある」
「この場に及んで、まだ条件とかいうの?」
「ああ、その方が面白いじゃないか」
「で、どんな条件なのよ」
 バカバカしいと思いながらとりあえず訊いてみた。
「そのキスした奴の気持ちに応えてやる」
「えっ、なんでそうなるのよ。かなり昔のことなのよ」
「だって、可哀想じゃないか。あいつ、ものすごく真由の事好きだったんだぜ」
「だからといって、今も私のこと好きってことはないでしょ」
「それがさ、たまに会うんだけど、やっぱり好きみたいだぜ」
「瑛太の友達なの?」
「ああ、俺の親友さ」
「親友なのに、成りすまそうとしてたの?」
「親友のためにも、真由が覚えているか確認してやろうと思ったんだけどさ、俺にしてもチャンスだったって事だったし、嘘がばれた今じゃ、そいつにやっぱり 悪いなって思うから、こうやって頼んでるんじゃないか。どうだ? その条件飲んで見る? そしたら真相はすぐわかるぞ。その真実を知ったら、真由はどう思 うんだろうな」
 私は馬鹿らしくなって、瑛太を無視して歩き出した。
「おい、真由どうしたんだよ」
「もう、いい。そんな馬鹿げた条件だされたら知らなくてもいいって思うようになった。そんな大昔の時の気持ちになんて応えられるわけないじゃない。こっちは誰だかも覚えてないし、知ったところで興味ないと思う。だったら私は未来に生きるわ」
「おいおい、真由、そんなけち臭いこというなよ」
「あのさ、あまり変なことしたくないの。ただでさえ、瑛太が絡んできてややこしくなっているのに、これ以上問題を持ち込みたくないの」
「それって、拓登が関係してるのか? やっぱり真由は拓登に気があるのか?」
 瑛太は急にしょんぼりとしだした。
「私、拓登のこと真剣に見るって約束したし、それにやっぱりどこかで気持ちが拓登に向かってるの。過去のことなんてどうでもいい!」
 その時、瑛太の表情が強張って、真剣な面持ちで私に警告した。
「拓登は真由が思ってるほど簡単には付き合わないぜ」
「ちょっと、一体どういうことよ」
「拓登はさ、見せ掛けだけで気に入られたりするのが嫌なタイプなんだよ。だから真由には拓登の中身を見てほしいっていう意味で、真剣に考えてくれって言ったんだろ。もし真由が拓登の表面だけしかみてなかったら、アイツは真由から離れるだろうね」
 私は瑛太の言葉に聞き捨てならないものを感じ取った。
 拓登が近づいてきて仲がよくなったとは思うが、それ以上の距離が一向に縮まらずに曖昧な部分だけが残っていることにずっと疑問を抱いていた。
 真剣に見て欲しいと言われたが、付き合ってくれとは意味してなかった。
 拓登が瑛太に刺激された部分はあるかもしれないが、その一方で拘っている部分もあった。
 それが今瑛太が指摘したことだと、ピントが合ったようにクリアになった気がした。
「でも、なぜ瑛太にそんなことが分かるのよ」
「真由が居ないところで拓登と出会ったのさ。その時奴がそう言ったからさ」
 朝の電車の中だろうとすぐに思った。
 二人は私の事で何かを話したのだろう。
 その時、拓登は話したに違いない。
 瑛太はその後を続けた。
「自分は真剣だけど、相手が自分の思うように好きでいてくれなかったら諦めるしかないって。あいつ、高校に入ってすでに何人も告られたらしいぜ。それで嫌 気がさした部分があるんだろ。真由がそういう女じゃないって事を証明しないと難しいぜ」
 瑛太の言葉には、私を納得させるキーワードがあった。
 自分もミーハーな部分を持ってるとすでに認めているだけに、これは耳が痛い。
 その時の私の顔は血の気が引いて青ざめていたかもしれない。
 瑛太はそれを面白がっているのか、嫌味っぽくニヤリとした。
「それで、真由はなぜ拓登に興味をもったんだ?」
 瑛太に質問されて、私は切羽詰って追い込まれたものを感じてぐっと体が突っ張った。
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