第四章

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「瑛太はすでに明彦君からきいたんでしょ。教えてよ」
 瑛太は逡巡していたが、ふーっと息を吐いてはダルそうな顔を向けた。
「別に秘密でもないけどさ、まずはヒントをやるよ。自分で考える方が面白いだろ」
「うん、別にそれでもいいよ」
 私と拓登は瑛太のヒントを待った。
「『艶』っていう漢字を良く見て考えてみな」
「艶は豊かと色が組み合わさってるよね。これがヒント?」
 私が首を傾けている間、拓登はアッとすぐに声を出した。
「えっ、拓登はもう分かったの?」
「いや、わかったっていうのか、ただ連想した事があっただけ」
「何々、教えて」
 拓登は半信半疑で瑛太の顔を見ている。
 その答えが正しいのか見極めようとしているようだった。
 だけど瑛太は無表情で何もリアクションがなかった。
 寧ろ敢えてポーカーフェイスをとっているような、そんな感じにも見えた。
 素直に教えたくないのか、それとも知られるのが憚られるのか、良くわからない不思議な態度だった。
「ちょっと一体、どんな意味があるっていうのよ。豊かな色がどうしたの?」
「しゃーないな。もうギブアップかよ。それじゃ答えを言うぜ。豊かな色というのが、色んな色ってことだ。つまり、この世界は沢山の色があり、それぞれが美しいっていうことなの。そんな色んな色を持って、艶やかに美しく輝くっていう意味を込めてるんだよ」
「へぇ、なるほど、そういう由来があるのか。確かに艶は豊かな色が入ってる。最初はスナックを想像しちゃったけど、そういわれたら、その名前が美しく感じ る。それで、今日ヒロヤさん、色とりどりの派手なエプロンつけてたのか。普段から結構カラフルなエプロンつけてるけどさ」
 私が感心している間、拓登は何かを考え込んで下を向いていた。
「拓登、どうしたの? 拓登が考えていたことと違ったの?」
「えっ、あっ、いや、別なんでもない。そっか、漢字って色んな意味が込められるから面白いね」
 拓登は何かを払拭しようとしていた。
 その隣で瑛太は窓の外を急に眺め出した。
「そろそろだな」
 急に二人の様子がおかしくなったように思えた。
 拓登は一体何を想像したのだろうか。
 瑛太は拓登の想像したことに気がついてるのに、かかわりたくないような雰囲気が漂う。
 どちらも口に出したくないような様子だった。
 時々、この二人は変な行動をして私の理解のできないところにいるような気がする。
 男同士にしか分からないことなのだろうか。
 そうしているうちに、自分達の駅に着いて降りた。
 朝は瑛太に引っ掻き回されて、戦闘状態の緊張感があったけど、終わってみれば、充実した一日だった。
 改札口を出て、私は拓登に向き合った。
「今日は、楽しかった。映画に誘ってくれてありがとう」
 そして次に瑛太に向き合った。
「色々とあったけど、やっぱり今日は瑛太のお陰で楽しかった。瑛太もありがとうね」
 瑛太は私が素直にお礼を言ったことが予期せぬことだったのか、面食らった顔をしていた。
「ほんとに色々あったけど、結局は僕も楽しかったよ。真由も瑛太もありがとう。それじゃまた明日学校で。瑛太もまたな」
 最初に拓登が駐輪所へと向かい、私と瑛太は手を振った。
「それじゃ、私達も帰りますか。じゃあね、瑛太」
「真由、ちょっと待てよ」
「ん? どうしたの?」
「なんか、今日は色々とごめんな。俺、気まぐれだから真由には迷惑だろうけど、でも俺は俺だから仕方ないんだ」
 私が素直に礼を言ったことで、瑛太もどこかで心が軟化したのかもしれない。
「なんだか瑛太じゃないみたい。急に改まるなんてびっくりするじゃないの。それに、瑛太の気まぐれなところは、なんか慣れてきたよ。でも受け入れたわけじゃないからね。どうせまたこれからもネチネチと絡んでくるつもりでしょ」
「おっ、やっぱりそう思うか。その通りさ。それじゃしっかりと覚悟しておいてくれよ」
「覚悟するも何も、そっちこそ、気をつけるのね」
 瑛太は無邪気に笑い出した。
 その笑顔は棘が取れたみたいに、優しいものだった。
「いい顔して笑うじゃないの」
「おっ、俺に惚れ直した?」
「最初から、惚れてませんから」
「そっか、やっぱり拓登が好きなのか。悔しいけど、こればっかりは仕方がないな」
「やっと、諦めてくれますか」
「いや、別に諦めたわけではないよ。この先も出来る限り邪魔はするから覚悟しとけ。やっぱり癪じゃないか」
「瑛太!」
「それじゃ、またな」
 瑛太はその後、走って帰っていった。
 呆れてその姿を見ていると、一度振り返り、そして手を思いっきり振って去っていった。
 そんな瑛太の無邪気な様子は不思議と嫌いではなかった。
 どこかで瑛太との距離が縮まって行くようなそんな錯覚にみまわれた。
 でもそれは友達として楽しい仲間という感覚だった。
 千佳が言った言葉が思い出される。
『分かり合えたら、真由と池谷君ってすごく相性良さそうなんだけど』
 分かり合えたらか。
 さっきは少しだけそういう気分を味わえたような気になった。
 それでもまだ油断はできないけども。
 私もまた家に向かって歩き出した。
 家についたら、母から電話があったと知らされた。
 萌だった。
 そういえば、色々と情報集めをしてもらっているのを思い出した。
 直接私のスマホにかけてくればいいのに、と思ったとき、映画館に入る前に電源を切っていて元に戻してなかったことに気がついた。
 慌てて電源をつけると、萌からのメッセージもあったが、そこには拓登からのメッセージも入っていた。
 先に拓登のを見る。
『色々とあったけど、ものすごく楽しかった。僕のこともこれで少しはわかってくれたかな。でも本当の事がわかっても、僕のことは嫌いにならないで欲しい』
 よほど、海外暮らしを隠していた事が気になってた様子だった。
 こんなことくらいで、どうして嫌いになれるというのだろうか。
 私はすぐに返事を返していた。
『拓登のこともっと知りたいと思った。拓登がどこで育とうと、拓登は拓登のままだと思う。だからそのままで頑張れ〜。私も今日は色々と刺激を受けたから、もっと頑張らないとと思ったよ。特に英語。やっぱり瑛太には負けたくない(笑)』
 以前、頑張れって言葉が好きで、そう言って欲しいっていわれてたから、そんな風に書いたけど、これで変に思われないかな。
「やだ、真由、何一人でニヤニヤしてるのよ」
 リビングルームのソファに座って自分の世界に浸りこんでいただけに、母が側に居るのを忘れていた。
「なんでもない」
 そして送信ボタンに触れ、自分の部屋に行った。
 間もなくするとまた、スマホから反応があった。
『ありがと。真由も、頑張れ。僕は喜んで応援するよ』
 知らずと顔が弛緩してしまった。
 拓登とは本当にいい関係を築いているように思えた。
 急激に事が進むよりも、お互いを良く見て知ってから気持ちが育んでいく。
 そっちの方が私達には合っているように思えた。
 拓登も日本に戻ってきて、こちらの生活に慣れるまで少し時間が掛かるに違いない。
 まだ自分をさらけ出せないことで、過去のことも自由に言えなかったから、あんなに不思議な態度になっていた。
 根本的な原因を知れば、こんなにも氷解するとは思わなかった。
 でもまだ疑問も残ることはあった。
 拓登だけじゃなく瑛太も時々予測できない行動に走る。
 ここは男と女の性別の違いの感覚なのだろうか。
 しかし、あの二人を相手に自分らしいままで接する自分もすごいなとは思う。
 少しだけ、両手に花なのかなと思ってしまった。
 瑛太に指摘されたことだったけど、どこかで女としての自尊心を高めてくれてる実感が、正直あったかもしれない。
 くすっと笑いながら、次に、萌からのメッセージを見た。
『真由、すぐに連絡頂戴。池谷瑛太の新たな情報入れたよ』
 ハッとするや否や、私は萌の電話番号を探してすぐに操作していた。

「真由、今までどこに行ってたのよ」
「ごめんごめん、萌、ちょっと遊びに出かけてて、スマホの電源切ってたのよ」
「まあ、いいけどさ。ところで、例の話だけどさ、池谷君と仲が良かった子は、中三の時の同じクラスのヤマダショウヘイだって」
「ヤマダショウヘイ? 誰だか分からない。ちょっと待って、アルバム見てみる」
 私はスマホを片手に本棚に入れてあったアルバムを取り出し、慌ててページをめくった。
「かなり仲良かったらしいよ。クラスでもいつもつるんでたって噂」
「あっ、この人か。でも私、この人全く知らない」
「それが、中学二年が始まる前にどっかから引っ越してきた転校生らしいから、私達みたいに純地元組ではない」
「えっ、そうなの」
 それでは全く私の思い出に関係ない人だった。
 少しがっかりしてしまった。
「どうしたの? 一体、池谷君の何を調べたいわけ?」
 こうなると萌には本当の事を話した方がいいと思えた。
 私は小学校一年生のキスの話の事を話して、その真相を探りたいと正直に教えた。
「あらま、そんな事があったの。でもそんな昔の事を今更知ってどうするの?」
「どうするもないんだけど、瑛太は教えてくれないし、その真相に何かあるんじゃないかと思ったら気になってさ」
「今、瑛太って呼び捨てしたね。そんなに仲良くなってるんだ。すごいね、真由。やっぱり真由には池谷君を魅了する何かがあるんだ」
「そんなんじゃなくて、私は他に好きな人がいて」
「えっ、何それ、まさか三角関係で、二又?」
「違う、違うって、そうじゃなくて」
 結局、拓登の事も話す羽目になってしまった。
「すごいね、真由。かなりもててるんだ。昔から持ててたもんね。でも真由はそう言うの興味なかったし、受験勉強に必死そうだったの覚えてるわ。そうだよね。あれだけ努力したんだから、高校生でやっと恋に花咲かせるのは当たり前だ」
「花咲かせるほどでもないんだけど、とにかく瑛太が邪魔をするから、色々と瑛太の情報を集めて、何か解決できないかと思っただけなの」
「そういえばさ、小学生のとき池谷君と結構仲良かったのは、阿部君じゃなかった?」
「阿部君? あっ、お母さんが先生だった?」
 阿部君のことは覚えていた。
 母親が先生で、学年は違うけど自分の息子と同じ小学校で教えていた。
 私が覚えていたのは、廊下で阿部先生と阿部君が仲良く話す姿を何度も見ていて、学校でも親子という話は有名だったから。
「そうそう、あの阿部君。さすがお母さんが先生だから、頭がよかったよね。だから、中学は名門の私立に受験して受かったんだっけ」
「それじゃ、学校が違ってもその二人はまだ仲がいいのかな?」
「さあ、それはどうだろう。私も小学生の事はあんまり覚えてない。阿部君だけはお母さんが先生っていうだけで、印象に残って、たまたま池谷君が側にいたなって感じにしか記憶にない。だからこれは勘違いかも。でも一応は阿部君に聞いてみたらいいんじゃないの?」
「えっ、小学校卒業以来、会った事もないし、話したこともないし、いきなり連絡なんてできない。どこに住んでるかも分からないし」
「直接小学校に行ってお母さんに会って息子さん元気ですかって聞いてみたらいいじゃない?」
 萌は他人事だと思って簡単に言ってくれるが、私にはかなりハードルが高かった。
 萌に一緒に行って欲しいとお願いしても、私に男の影を見て取るや、自分で解決しろと少しきつくなった。
 多少の嫉妬心も紛れて、私が二人の男から言い寄られているのが少し気に食わないところなのかもしれない。
 全てを話してしまったのはちょっとまずかったかなと思ったが、ここまで調べてくれただけでも有難いのは分かってるので、充分萌には感謝の気持ちを伝えた。
 電話を切った後、押入れにしまってあった小学校の卒業アルバムを引っ張り出した。
 阿部君の顔を探していたら、阿部君と同じクラスに瑛太も居た。
 さすがに小学生の瑛太はまだガキっぽさが残っていて、あどけなかった。
 その顔を見ていると、うっすらと小学一年生の頃の瑛太を想起した。
 面影はそのままに、さらに幼く無邪気で悪ガキっぽい風貌の瑛太がなんとなく想像できた。
 小学一年生の頃の記憶なんてないに等しかったが、唯一覚えていることを考えてみた。
 理科の授業で朝顔の種を植えたこと。
 これは私のが中々芽がでなくて、すごく不安だったから覚えていた。
 あぶり出しの実験で学校に果物をもっていったこと。
 これは班の中で誰が何の果物を持ってくるかでじゃんけんで決めて、負けてしまって柿に決まったのが嫌だったので記憶にある。
 私はみかんを持っていきたかったんだった。
 忘れていたはずの記憶がふと蘇ってきた。
 そういえば、図工の時間に絵を描いてて、誰かにいたずら描きされて泣いたこともあった。
 どれも嫌な事ばかりが残っている。
 一番印象に残ってるのは、担任の先生が事故にあって落ち着かなかったことだった。
 初めて聞いた時、事故っていうだけで先生が死んじゃったと思ってすごくショックを感じた。
 あの時は皆混乱して、クラスは一時応急処置でバラバラになってしまって、その後で急遽代わりの先生が来たんだった。
 その先生が結構きつい人で好きじゃなかったけど、今となっては嫌な印象だけ残ってて名前も顔も覚えてない。
 その後で事故に遭った担任が戻ってきてやっと元に戻ったんだった。
 それくらいしか覚えてないかな。
 私は暫くぼーっとしながら過去の事を考えていた。
 今まで昔の事を思い出すということをしなかったから、無理に過去に自分を向かわすことで集中し周りの世界と一時切り離された気分だった。
 その時にまたふと新たに過去の記憶が戻った。
 そういえば、三学期が終わる頃に授業で手紙を書く練習をしたことがあった。
 あれは隣の席の子に宛てたんだっけ。
 あの時、何を書いたか内容は忘れたけど、私は確かに書いて渡したというのには確信があった。
 でも、自分が相手からの手紙を受け取った記憶がない。
 それはただ忘れているから思い出せないのではなくて、本当に手にしなかったことを覚えていた。
 なぜなら、すごくその手紙が欲しかったから。
 確かその隣の席に座っていた男の子がなんとなく好きだったんだと思う。
 周りの子は上手く交換してたのに、なんで自分だけもらえなかったのが不思議で、どこかにないかランドセルの中や手提げ袋、机の中を何度も見て確かめたほどだった。
 結局はあやふやになってしまって、もういいかと諦めてしまった。
 そんなことを思い出しているうちに、ふと気がついた。
 阿部君も小学校一年の時同じクラスだった。
 私はアルバムをもう一度見て、阿部君の顔をじっとみていた。
 利発そうで、上品に笑っている。
 何かが思い出せそうで思い出せないそんな感覚に囚われ、これは是非とも会って話を聞かなくてはならないと感じ、連絡する事を決心した。
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