第五章


 先生が教室に入って来たとき、皆慌てて席に戻るが、千佳はその前に耳元で私だけに囁いた。
「放課後、少し付き合ってもらえる? 話したい事がある、二人だけで。ヒロヤさんの店に来て」
 「えっ」と驚きつつ、返事を返す間もなく、千佳は席に戻っていった。
 私は千佳の顔を振り返ると、千佳も私を見ていたのでとりあえずは頷いて自分の意志を伝えた。
 千佳はニコッとし、その直後「起立」という声が掛かったので立ち上がって先生に礼をすると、授業が始まった。
 千佳の事が、気になりつつも、授業をおろそかにはできないのですぐに切り替え、私はノートをとる準備に入っていた。
 授業が終わった時はまたいつもの四人で集まったが、千佳は何事もないように普通の調子でいた。
 放課後、私はそわそわしていたが、千佳は用事があると一人で先に帰った。
 ヒロヤさんの店に先に行って待っているということだった。
 かの子もみのりにも言わずに私だけに話したいこと。
 一体なんだろう。
 先に帰って行く千佳の後姿を見ていた。
 かの子は掃除当番だったので、先に帰ってと私とみのりに言った。
 私もヒロヤさんの店に行かなければならなかったので、素直に言う事をきいた。
 拓登とは廊下で会ったが、友達に囲まれて男同士でつるんでいるようだったので、さりげなく「またね」と手を振って帰った。
 毎回一緒に帰る義務はないし、それぞれ友達付き合いもあるから、それは臨機応変になっていた。
 私が挨拶した後、後で拓登が冷やかされているのを耳にしながら、みのりと歩いていた。
「すっかり公認の仲になってるみたいだね」
 みのりがぼそっと言った。
「でも、まだ私達付き合ってるわけじゃないんだけど」
「そう思ってるのは真由だけだと思う。山之内君は真由のこと本気で好きみたい」
 みのりはさらりと言ってくれるのだが、しっかりと観察しているだけに、その言葉だけでドキドキとさせられた。
 みのりと二人だけで帰るのは初めてだったかもしれない。
 いいチャンスだとばかりに、みのりは拓登と私の話題ばかりを話す。
 拓登が普通の高校生には見えずに、しっかりとしすぎていると何か違う雰囲気があると言ったとき、それはきっと帰国子女であり、海外で育った積極性な面がでているのだろうと、私は思った。
 私も最初そのように感じては拓登が大人っぽいと思っていた節があったし、今はその理由がわかるだけに非常に納得する。
 でもこれは話せないので私はふんふんとただみのりの話を聞いていた。
「みのりは好きな人いないの?」
 私達の事を言われるばかりでは悔しいので、みのりに話を振ってみた。
「秘密」
「えっ、どうして?」
「そのうち、真由みたいにネタができたら話すね」
「ちょっと、ネタってそれ、何よ」
「だって、真由はなんか波乱万丈でさ、私なんかの話では太刀打ちできない。まずは真由が落ち着いてから。その前に千佳もだった。千佳もヒロヤさんに片思いなんだよね。あれもきっと辛いだろうな」
 これから私はヒロヤさんのところへ行くとついいいそうになったのを押さえ込んだ。
「みのりの目から見て、千佳とヒロヤさんのことはどう思う?」
「ヒロヤさんは、千佳のことすごい大事にしているけど、それ以上の発展はなさそうに見えるんだ。ヒロヤさんにはすでに忘れられない人が心に居る感じかな」
「えっ、なんでそんなことまで分かるの?」
「うーん、なんていうんだろう。ヒロヤさんはとっくに千佳の気持ちに気づいてると思うんだ。でも敢えてそれに気がついてないフリをしていてさ、そこにはヒ ロヤさんには好きな人がいるからどうしようもないからなんだと思う。それに千佳もその事を承知してるから、遠くから見ているだけになっちゃうんだろうね」
 千佳も確かに叶わない恋だとは言っていたが、ここまで冷静に見ているみのりが怖くなった。
「みのりって、普段どんなこと考えてるの。そこまで気が付くなんてすごすぎる」
「だから、真由がちょっと鈍感なのかな。山之内君のことにしたってさ、あんなに大切にされ、思われてる事を理解してないんだもん。まあ、こういうのは当人には見えないもんかもね。傍からだから見えるっていうのがあるのかも。やっぱり自分のことになるとわかんないもんね」
 急に一人で話して気分が沈んでいった。
 そこにはみのりの恋事情が絡んでいて、お得意の観察力も好きな人の前では役に立ってないという事が感じられた。
 確実にみのりはどこかで誰かに恋をしている。
「そっか、みのりも、その人の事が好きでたまらないけど、どうしていいのか分からずに、何も言えずに見ているだけなんだね」
「やだ、真由、どうしたの、急に」
 みのりの慌てぶりは見ものだった。
 やっぱり図星なのか、相当焦っては誤魔化そうとしている。
 皆、人のことは冷静に見られるけど、自分のことになると冷静になれずに、小さな事を見落としがちになるということだった。
 私はやっとみのりをやりこめた事が嬉しくて、そこばかりネチネチと攻めた。
 それでもみのりはポーカーフェイスを装っていたが、内心穏やかではなさそうで息が少し乱れていたのを私は見逃さなかった。
 
 主要の乗り換え駅で私は一度電車を降りて、違う路線に乗り換えるが、みのりはそれに乗ったまま、その先の駅へと向かう。
 だから変に気を遣わずに、私はすんなりとみのりと別れ、途中下車をしてヒロヤさんの店に向かった。
 私が店に入った時、やっぱり周りにお客はいなかった。
 千佳はすでにテーブルに座って、教科書とノートを広げて宿題していた。
「あっ、真由ちゃん、いらっしゃい。この間はありがとうね」
「いえ、こちらこそ美味しいデザートありがとうございました。その後、決まりましたか?」
「うん、当分は無難路線の定番パンナコッタでいくことにした。ソースは見た目も奇麗で美味しいラズベリーに決定」
「もう、それメニューに加えたんですか?」
「うん。あるよ」
「それじゃ、それ下さい」
「おっ、ありがとう」
 ヒロヤさんは嬉しそうに準備を始め出した。
 私は千佳の前に座ると、千佳は「ちょっとだけ待って」とやりかけていた数学の問題を解いていた。
 その間に、ヒロヤさんは水と一緒にパンナコッタを持ってきてくれた。
「ヒロヤさん、これすごいじゃないですか」
 大きな丸いワイングラスに、タップリとパンナコッタが入っていて、上には真っ赤なラズベリーソースがかけられて、ミントの葉がそえられていた。
 見た目だけで美味しそうと圧倒された。
「定番だから、そこに何か『艶』名物になるような一工夫がいると思ってさ、大きさに拘ってみたんだけど、どう?」
「これは、すごいです」
 ヒロヤさんは味も気になっていたみたいなので、私はすぐに試食した。
 スプーンをさしこんだとき、柔らかくとろとろとしながらもぷるんとした白いゼリー状の手ごたえがあった。
 それをすくうととろけそうなプルプルした震えがあり、それを口にしたとき、見たままに口の中でとけ、クリーミーさと甘酸っぱいラズベリーのハーモニーが広がった。
「これ、試食したときのより、美味しくなってます」
「よかった。あれから固さにも拘ってみたんだ。その固さが出るまで大変だったんだけど、真由ちゃんが気に入ってくれたのですごく自信がついたよ」
 私は虜になったように、何度もすくって味わっていた。
「それじゃ、私も同じの下さい」
 千佳が教科書を閉じて、ヒロヤさんに伝えると、ヒロヤさんは喜び勇んで用意をしだした。
 それを見てるとすごく可愛く思えて、私は笑っていたが、千佳も同じように感じているはずなのに、どこか瞳が暗く見えた。
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