第五章


「ねぇ、拓登」
 電車のドア付近に一緒に立って、電車に揺られながら私は拓登を見た。
 それまでの間、学校の校門を出て、周りに人がいないのを見計らいながら、いつ話そうかとずっと話すタイミングを窺っていた。
 それでも中々勇気がでずに、どうやって聞き出そうか思案をしている時に限って、拓登の方が話したい話題に尽きずに、いいタイミングに恵まれなかった。
 乗り換えも済まして、自分の最寄の駅に向かい、これを逃したらまた同じ繰り返しで悶悶としてしまうので、やっと覚悟ができたその時、真剣に向き合った。
「どうしたんだい、急に真面目な顔して」
「あのさ、拓登はアメリカに住んでたけど、時々、日本には帰ってきてたの?」
「ああ、そうだな、おじいちゃんとおばあちゃんがいるから、夏休みとか長期で休みに入る時は、帰ってきてたけど、それがどうかしたかい?」
「その時、誰かに会った?」
「誰かって誰?」
「えっ、その友達とか、会いたい人とか」
「まあ、知り合いくらいは会ってたよ。親戚もいたしね。でもそれがどうしたんだい?」
 そこには瑛太はいたの?
 私はそれが聞きたかったのに、中々言えない。
 これを聞くと、私は拓登に対して疑っているようにも思えて、それがすごく不自然な質問に思えてならなかった。
 それにここではっきりとその質問をして、正直に答えてくれるのだろうか。
 もし会っていたとなれば、拓登と瑛太の行動が全てお芝居になってしまう。
 私は、急に怖気ついてしまった。
「えっと、別に大した事ではないんだけどね。でも、そうしたらさ、私とどこかですれ違ってることもあったのかな、なんて思ってさ。お互い知らない間に、子供の頃にどこかですれ違ってたら面白いかなと思っただけ」
 わざとらしかっただろうか。
 拓登の眉が少し動いたように、困惑した顔をしている。
 そしてまた笑顔に戻ると、楽しそうに声を発した。
「そうだったら、真由はどう思う? お互い過去にこの町のどこかで出会っていた。それもありえるかも。実際そうだったかもね」
 上手く返してくれた。
 それで私はなんだかほっとした。
 やっぱり拓登に聞くより、これは瑛太じゃないと、はっきりといえない。
 瑛太なら、例え罵っても思いっきり自分の意見をぶつけられる。
 瑛太の方が思った事を何でも言えるって、なんかおかしいけど、瑛太には気を遣わないで接する事ができるのはやっぱり相性がいいってことなのかもしれない。
 千佳が言っていた言葉が思い出された。
 似たもの同志。
 まあ、いろんな意味で似たところがあるのかもしれない。
 なんといっても、好きな人が同じなんだから──。
「真由、真由?」
「あっ、何?」
「どうしたんだい。急に考え込んで。さっきから呼んでるのにぼーっとしてさ」
「あっ、ちょっと色々と思うことがあって」
「もしかして、明日からの連休のことかい? 真由はどこかへ行くの?」
「ううん、これといって予定はないけど、溜まってる本は読みたいなとは思ってる」
「あっ、そうだ。本で思い出した。あのお薦めしてくれた本、読んだよ。すごかった。最初は説明ぽくって、読めるかなって不安になったけど、すぐに面白く なってハラハラした。あんなに夢中になって読んだことなかったくらい、興味を鷲づかみにされたよ。教えてくれてありがとう」
「そういってもらえれば、紹介してよかった」
 拓登はその後も色々とその本について話し、そしてお気に入りのキャラクターの話がでたとき、私はふと思った。
 あの話には多くの子供達が出てくるが、同性愛が許されている部分があって、むしろ大人になるまでの間は異性とは性的な関係をもてないが、同性同士だけは許されているという設定だった。
 そこに覚と瞬という男の子達がいるが、覚は瞬に憧れている描写が生々しく出てきていた。
 その場面を急に思い出し、そんな話を薦めてしまったことに、私は突然はっとした。
 まさか、拓登も瑛太に気があるとか…… 
 つい私は勘ぐってしまう。
 拓登も実はどこかで瑛太に興味を持っていて、それをカムフラージュするために、私に気があるようにしているだけとかないだろうか。
 私がいることで、拓登も瑛太も三角関係を装って堂々と一緒にいる事ができるし、世間では何も不自然には思われない。
 これもありえるだけに、私はなんだかもう何を考えていいのか分からなくなってきていた。
 でももしそうだったらどうしよう。
 私は不安げに拓登をじっと見つめてしまった。
「どうしたんだい、真由。なんか今日は変だね。何か心配事でもあるのかい?」
 心配事?
 大いにある。
 でもそんなこと口が裂けても言えない。
「ううん、なんでもない。なんか本のこと思い出してたらちょっと異次元に飛ばされた」
「そうだよね、あの本は僕も余韻を感じて、暫くずっと考えていた」
 拓登は澄んだ瞳で、曇りのない爽やかな笑顔を見せてくれた。
 まさか、この笑顔の影に拓登がアレってことは……。
 一回疑うと、私はどうしようもなくそれに囚われてしまって、急に体がムズムズと痒くなってくるような気分だった。
「真由、もし暇があったら、連休中のいつか僕と会ってくれない?」
「えっ、あっ、うん。もちろん」
「外にでたら混み合うかもしれないけど、今度は瑛太に邪魔されないように二人でどこか行きたいな」
 さりげなくさらっと言ってくれたが、まるで魔法をかけられたように、私はその言葉で目が覚めた。
 拓登は瑛太よりも私を選んでくれている。
 普通それが当たり前なんだろうけど、はっきりと本人から聞かないと分からないこともあるだけに、私はその言葉が素直に嬉しかった。
 少しはほっとするが、ふと考えれば私達はまだ正式に付き合っているわけではなかった。
 私と拓登の関係も何かが捻じれている。
 拓登がはっきりと私との関係を決め付けるのを避けるように、付き合うことを保留状態にされた友達同士で、この先が一向に見えてこない。
 やっぱり、私は拓登と瑛太の関係のための小道具なのだろうか。
 怪しまれないように、時々まともな事を言えば、真相はその裏で誤魔化される。
 これではいつまでも堂々巡りで、疑い出したらキリがなくなってきた。
 頭がくらくらするのを必死で持ちこたえようと、摑まり棒を力強く握っていた。
 暫く、走って行くような移り変わる景色を見てたら、本当に目が回りだして気持ちが悪くなっていくようだった。
「真由、なんか顔色悪いけど、大丈夫かい?」
「えっ、あっ、流れる景色を見つめすぎたら、酔ってきちゃったのかも。大丈夫、大丈夫」
「この辺はビルや建物が密集してるからね。そういう時は遠くのものや空を見るといいよ」
 私は言われた通りに、とりあえず空を見てみた。
「なんだか雨が降りそう」
「うん、今夜から降るとは言ってたけど、先に降れば残りの連休は晴れるだろうから、その方がいいかもね」
 曇り空のせいで、すでに外は薄暗かった。
 夕方六時だと、すでに暗くなっているのではないだろうか。
 そんな時に灯りがない神社に待ち合わせというのも、変な気がした。
 果たして阿部君は本当に来てくれるのだろうか。
 天気のせいにはしたくないのだが、こんなどんよりとした空を眺めていると、気分はどんどん落ち込んで行くように思える。
 阿部君に会うのもとても気が重かった。
 拓登にこの事を話せば、もしかしたら一緒に行ってくれるんじゃないだろうか。
 思い切って話してみようかと思いつつ、拓登の顔を見るが、拓登の爽やかな笑顔が却って言い出しにくくなってしまった。
 それに、小学一年生の話とはいえ、キスをした犯人を拓登に紹介してどうなるというのだろうか。
 私はひっそりと解決する事を決め、それでこの過去の記憶を封印することにした。
 阿部君がまだ私にかすかに思いを抱いていようとも、私にはどうすることもできないし、はっきり言うつもりでもいる。
 これも瑛太がこれ以上私の過去の記憶を出汁にして、変に絡んでこないようにするためでもある。
 私は決心するように体に力をいれ、気合を入れる。
「真由、さっきから落ち着きがないようだけど、一体どうしたんだい?」
「ううん、なんでもない。ほら、あれ。拓登も言ってたじゃない。雨のときはやっつけたい気持ちになるって」
「ああ、あれか。僕さ、雨の少ない地域に住んでたから、傘持つ事が滅多になかったんだ。降っても傘差さない人が多くて、濡れても平気な人たちが多かったんだ。それに慣れちゃうと、傘持つのが面倒になって、つい挑戦的になっちゃうんだ」
「そっか、そういう意味があったのか。でも、その気持ち分かるかも」
 特に、今日みたいな日は降って欲しくないから、私は挑むように流れて行く景色の上でゆっくりと闇を広げている雲を睨んでしまった。
 これからがまた一仕事。
 負けてなるものか。
 複雑な気持ちを抱えている今、一つでも早く片付けたい気持ちが、やる気を奮い起こさせていた。 
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