第一章
2
女王と殿下は詳しい話が聞きたいと、プライベートルームにグェンを呼び寄せた。
グェンは付き添いと一緒にやってきたが、付き添いは下がることを命じられ、グェンだけが二人の前に呼ばれた。
グェンは跪(ひざまず)き、頭を垂れて、震えていた。
「何も怖がる事はないわ。顔を上げなさい」
優しく女王に命じられ、恐る恐る顔を上げれば、女王は慈愛深く笑みを向けていた。
「正直に何があったか全てを話して欲しいの。ジュジュのことだからきっとこれには訳があるはず」
そこには母親としての女王の姿があり、その側で娘の事を心配している父親の姿もあった。
その様子を見てしまうと、黙っていることができず、グェンは一部始終を話した。
それを聞いたとたん、女王も殿下もどこかほっとして肩の力が抜け、そして顔を見合わせてクスクスと笑い出した。
「あの子は誰に似たんでしょうね」
女王はそういうと、側に居た自分の夫の手を握った。二人は全てを受け入れた上で、ジュジュの取った行動に怒る事はなかった。
それよりもどこか応援したいと、口元をほころばせて楽しんでいる様子にも見える。
教育係のカーラも最後まで落ち着いていたように、この二人もどこかでジュジュの行動は起こって当たり前のように捉えていると思えてならなかった。
「わかりました。ジュジュが戻ってくると約束したのなら、必ず戻ってくることでしょう。しかし、この城にジュジュが居ないということが世間に知られるのは都合が悪いには変わりありません。グェン、それまでジュジュのフリをして貰えますか」
女王の命令とあらばそれに従うのは当たり前だが、それ以前にジュジュを応援したく、その覚悟はすでに持っていた。
グェンは力強く「はい」と頷いた。
グェンは年恰好もジュジュと同じであるし、ジュジュが世間に顔を知られていないだけに、なんとでも誤魔化しが利く。
城の中のものが秘密を口外しなければ、ジュジュが戻ってくるまでやりきれそうだった。
ただ、重病説と噂が広まった後は、国の存亡がかかってくるだけに国民、そしてその周辺の国々の不安は中々拭えそうもなかった。
ジュジュが戻ってくるまで、一筋縄ではいかない問題は充分抱え込んでしまった。
ジュジュが居なくなったお城では、その緊急対策として、ジュジュを探しに行くかの話し合いが、真実を知るものの間で、されている。そこには教育係のカーラとエボニーの姿もあった。
カーラはジュジュが居なくなっても始終落ち着いている。それとは対照的にエボニーは心配でイライラしていた。
「今すぐにでも兵に探しにいかせるべきです」
エボニーが主張すれば、カーラは反対する。
「派手にこの国の兵が動けば、よからぬ噂が立ってしまいます。ましてや王女を探しているとばれてしまえば、それこそ王女の身に危険が迫るかもしれません」
「それなら、隠密に探せばいいだけのこと、一刻も早く連れ戻さないと」
「いえ、今はとにかく様子を見るだけに留めるのがよいのです。それに必ず戻ってこられるといってる以上、下手に動かない方がいいのです。王女は賢い方です。どうすべきか弁(わきま)えていらっしゃる」
「何を言ってるの、カーラ。ジュジュ様はやっと16歳になったばかりの少女ですよ。女の子が一人で一体どうやって、この王国以外の荒くれた場所で過ごすというのですか」
「それもまたいい経験」
「何が、いい経験ですか。カーラはジュジュ様がお城から居なくなることをまるで応援しているみたいな言い草だわ」
「私は一人で生きていくだけの知恵を教えましたからね。それを実践してもらえるのは、教師冥利につきるというもの」
「馬鹿げてるわ。ジュジュ様が危ないというのに、それを手助けして城から出て行くようにしたみたいに聞こえるわ」
カーラはその言葉で、鋭い眼差しをエボニーに向けた。
「エボニーこそ、ジュネッタージュ様をペットのように飼いならし、甘やかしてきた。まだここへ来て間もないのに、まるでジュネッタージュ様のお気に入りに
なろうとしてましたね。そしてその恩恵を受け、あなたはこの地位にのし上がってきました。今、ジュネッタージュ様がいない事で、その地位がなくなるのが不安なのでは?」
「な、何をいうの。そ、そんな事ある訳ないでしょ。話を摩り替えないで」
「いえ、ジュネッタージュ様もお年頃。好きに生きたいと思う事もおありです。それを経験の浅いものが口出しするのは控えた方がよろしいかと」
「やはり、あなたがジュジュ様に外へ目を向けるようにしていたのね。道理で慌てないはずだわ。もし何かあったら、あなたはどう責任を取るつもり?」
「さあ、その時はその時です」
「なに、そのなげやりな言い方。あなたはどこまで仮面を被って素知らぬ顔をするつもり?」
「そちらこそ、どこまで優しい振りしてこの国に取り入るつもり?」
どちらも何かを企んでいるかのようにお互いを悪者に仕立てていた。
周りの者は口を挟めず、二人のやり取りにあっけにとられて、一歩引いていた。
「わかりました。それならば私にも考えがあります」
エボニーは椅子から立ち上がり、強くカーラを睨んでから、部屋を出て行った。
バタンと体に響くような音を立て、ドアが閉められると、周りの者は肩を竦(すく)めた。
「あの、我々は一体どうすれば……」
そこに座っていたこの城に仕えている男がカーラに問う。
「私達ができる事は、秘密を洩らさぬよう、そして王女がいるように振舞うだけ。異存のあるものは?」
もちろん誰も反対意見を述べるものは居ず、その場はしんとする。
カーラが何を考えているのか誰もわからず、ジュジュがこの先どうなるのかすら考えるのが怖くなり、不安だけがその場に取り残された。
「あー、もう腹が立つわ」
エボニーはむしゃくしゃする気持ちを抱え、外の空気を吸うために城内を出た。
城の中も、外もジュジュの誕生日パーティの突然の中止に困惑し、訪問客で溢れていた。
諦めてすぐ家路に着く者、未練がましくその場を動かない者、ジュジュの様子を知りたくて中の様子を探ろうとする者、その場で知り合った者同士話し込んでる者、様々にごった返している。
その間をエボニーは通り抜け、そしてある人物を探していた。
人気のない、林の中を通り、その先に黒い馬と共に一人の男が周りを気にして立っているのを見ると、エボニーは走りよった。
「セイボル!」
つい大きな声でその男の名を呼んでしまうと、口元に人差し指を当て窘められた。
「声が大きい。エボニー」
「わかってるわよ。ちょっとイライラしてて、気持ちが高ぶってるの」
二人は人に見られていないかもう一度周りを良く見て確認する。
誰も居ないことに安心し、セイボルは肩の力を抜いた。
「一体城の中で何が起こってる? 王女は重病なのか?」
「まさか」
「は?」
「もっと最悪の事態よ。王女が逃げた」
「なんだって? でもなぜ?」
「理由ははっきりと聞いてないけど、きっと外に好きな人がいるに違いないわ。そうじゃなければ、この大切なときに城から抜け出そうなんて思わないでしょうから」
「好きな人? 誰だ、それは?」
「知らないわよ。でも昨日はあたかも今日という日を楽しみにしてたのよ。しかも『私は絶対、失敗なんてしないわ。私は私の好きな人を選ぶのよ!』なんて力説してたくらいだから、その人に会いに行ったとしか思えないわ」
「一体いつ出会ったというのだ」
セイボルは眉を顰めて考え込んだ。
「なんてことなの。セイボルを一目見れば、きっと気に入るはずだったのに。こんなにハンサムなんですもの。私だって、チャンスがあったら……」
エボニーはセイボルの頬をそっと一撫ぜした。
「よせ、気持ち悪い。血の繋がった姉なんだから」
「わかってるわよ。だからこそあなたには最高の女性と結婚して欲しいのに。なんのために私が苦労してここでこの仕事についたと思ってるの。全てはあなたと王女をくっ付けるためだったのよ」
愚痴をこぼす時のエボニーは、セイボルにとって苦手だった。耳を塞ぎたいばかりに、顔を歪めた。
そんな事もお構いなしに、カーラとやりあってむしゃくしゃしているエボニーの小言は止まらなかった。
「早くに両親を亡くして、父親の爵位だけはあなたは継いだけど、私達はその身分に合うくらいのお金はなかったわ。でも一応立派なお屋敷に住んでるからいつも見栄を張り、侯爵と呼ばれるに相応しい威厳だけは忘れなかった。
それがプライドとなって偉ぶり、若造のくせにと世間からは疎ましがられたわ。それに私達には地位はあっても、呪われた家系だから、隠れて後ろ指もさされるし、悪い噂も蔓延(はびこ)って、もう最悪よ」
「母親が黒魔術を操る魔女だったから、それは仕方がない」
「何が他人事のように仕方がないよ。あなたは魔王って影で呼ばれてたのよ」
「今も呼ばれてるが」
「何そこで、ボケてるのよ」
「ボケてなどおらぬ。私はなんと呼ばれていても構わない。恐れられる事もまた自分を大きく見せる力となる。それに、実際私は母の血を引いて魔術を使えるのも事実だ」
「そう、あなたは全てにおいて最強なの。だから高見を目指さなくては。力ずくでも王女を必ず手に入れなさい。そして見返すように世間をあっと驚かすのよ。誰も楯突けないようにね」
「エボニーの言いたい事はわかっている。しかし……」
「何を怖気ついてるのよ。あなただってこの話に食いついたでしょ」
「そうだが、私は……」
頼りない弟に苛立ったエボニーは、つい手が出てしまい、セイボルの背中をパシッと叩いた。
「とにかく、しっかりしなさい! そして王女を一刻も早く見つけなさい。王女の顔はわかってるでしょ。私が王女のスケッチ画を見せたことあるんだから」
「わかったって」
セイボルは姉の気迫に負け、顔を歪ませ渋々としていた。
そして、木の葉っぱを一枚つまんで強く引っ張り、それを宙に放り投げる。
それは、くるくると踊るように虚空で回った。
人差し指を額に当て、目を細めて神経を集中した時、その葉っぱは突然煙を出し、ぱっとはじけるように炎が現れると、それは流れるように一定方向へと消えて行った。
「何がわかったの?」
「方角を占っただけだ。ここから南を目指す」
「えっ、南? あらまあ、なぜにそっち方面? そこに行けば王女がいるの?」
「わからない。だが、王女の覚悟を決めた意気込んだ思いがそこの方角に反応した。その後を追うしかない」
「あなたのその力があれば、きっとジュジュ王女を見つけられるわ。その時は魔術で王女を自分に惚れさすのよ」
「いや、それはできない」
「どうして? 自分に自然に惚れてほしいという自惚れ?」
「違う。それが、ここの王族には私の力は通じない」
「えっ、どういうこと?」
「なぜか知らぬが、余程の強い力を持ち、魔力を弾くとしか言えない。ドラゴンを意のままに制するだけ、やはり強力な力が宿っている」
「あなたの力が及ばないなんて」
「何も悲観する事はない。私の力が弾くのなら、それはそれで面白いと思っている。返ってその方がいいし、私も本気が出せる」
「そうよ、そしてこの国を手に入れるのよ。そして本物の魔王になればいい」
エボニーは邪悪な笑みを向けた。
「ちょっと、待て。それでは我々は悪役ではないか」
「悪役でもなんでもいいわよ。とにかく王女を捕まえてここに連れてきなさい。その時は王女に惚れられてないといけないわよ」
「ああ」
セイボルは馬に跨り手綱を手に絡ませた。その後はエボニーを力強く一度見て、そして足で馬の腹を蹴り上げる。
体が黒く艶やかに光るその馬は、セイボルを乗せ、森の中を軽やかに走っていった。
その姿を見つめ、エボニーは祈るように、弟の行く末を案じていた。