第一章
3
前夜に上手くお城を抜け出したジュジュは、心細くなりながらも心に秘めた思いを胸に抱いて森を駆けていた。
何も思い立って抜け出してきたわけではない。
早くから準備を進め、その手伝いをしてくれるものもいた。
この王国を出るには欠かせない援助だった。
暗闇の森を抜ければ、そこは月明かりに照らされた草原が広がっていた。
そこで大きな黒い岩が不自然に陣取っていたが、ジュジュが近づくとそこから長い首が現れ、ゆったりと夜空に向かって持ち上げられた。
「モンモンシュー」
ジュジュが呼べば、「キー」という高い音が響き、その大きな塊がムクリと動いた。
大きなその塊は、伸びをするかのように羽をひろげ、体をほぐした。
そこをめがけてジュジュは飛び込んで、手を広げてもまだ足りない大きな体ながら、愛情をこめて抱きしめようとする。
大きい塊はそれに応えようとして、顔をジュジュに近づけ擦り擦りとこすりつけた。
月に照らされた光の中で、種別を越えた友情がさらに輝きを増している。
ドラゴンと王女。
まるで一枚の絵になるような光景だった。
「とうとうこの日が来たわ」
「クー」
喉から優しく響く音は、ジュジュの門出を祝っているようだった。
言葉が違うのに、お互いを理解し合える気持ちの繋がりが、そこにあった。
「モンモンシュー、私の愛しいドラゴン」
「プキー」
恐ろしさを植えつける体の大きさにも係わらず、丸く優しい瞳を持ったそのドラゴンはジュジュには猫のように人懐こく甘えていた。
「私をあの山の向こうの国まで運んでくれる?」
「クォ?」
半信半疑に、それが安全なことなのかモンモンシューは不安で瞳に影を落としていた。
「心配してくれてるの? でも大丈夫よ」
ジュジュは心配して首を寄せているモンモンシューの顔に軽く触れた。
モンモンシューは目を細め、ジュジュの小さな手から伝わる暖かみを感じ取っては、そして覚悟を決めるように目を見開いて首をまっすぐと月夜に向かって伸ばした。
「クゥー」
モンモンシューが背中に乗れと首で指図すると、ジュジュはにこやかな笑みを向けた。
モンモンシューの足元には予め用意しておいた自分のバッグがある。
肩紐が長く少し大きめのショルダーバッグに、持ち運べる最低限の必要なものを入れておいた。
それを首に掛け片腕を通してから、モンモンシューの背中によじ登った。
「準備はいいわ」
モンモンシューにしっかりとしがみ付き、ジュジュは目を閉じて体を強張らせた。
その直後、モンモンシューは足で大地を蹴り上げ、すぐさま羽根を広げて、あっと言う間に夜空に高く飛び上がった。
怖くないといったら嘘になるが、恐れに負けない勇気を出してジュジュは目を開けた。
空から見た月に照らされた天空の王国は、幻想的に美しかった。
それが遠くなり、どんどんと小さくなっていく。
暫しのお別れに少し寂しくなるが、これから始まる冒険の事を考えると、ジュジュの胸はドキドキと高鳴っていた。
ジュジュがこれから目指す先は、一度訪れた事もある場所だった。
一年程前、ジュジュは社会見学を兼ねて、城の外に連れて行かれたことがあった。
それはお忍びの旅行であり、ジュジュにとっても世界を知る教育の一環だった。
その時、訪ねた場所で、運命の出会いをしてしまう。
といっても、実際それが出会いと言って良いものか疑問なところがある。
ジュジュ自身も半信半疑ながらも、あの時自分が出会った男性になぜか心惹かれるから、出会いと決め付けている。
それはどういうことかというと、まずはなぜそんな事が起こったのか順序通りに説明しないといけない。
ジュジュは城の外に出る時は、素顔を隠す仮面を身につけなければならない。またその仮面には魔術がかけられ、それを被っていると、見るものには仮面と思われずに素顔とみなされる。
その仮面はお世辞にも美しいとはいえない。
これは自分の身を守るためであり、むやみに人と接触をすることを避けるための安全策でもあった。
だが、楽しい旅行であるのに、己を偽り、自由な部分がなく、全てにおいて制限されているために、ジュジュにとっては不満だらけだった。
そんな中、ジュジュは監視の目を潜って抜け出し、仮面を外して一人で外に繰り出すことをやってのけたのだが、その時がその出会いへと導いた。
ジュジュは冒険心に溢れ、怖いもの知らずなところがあり、未知なる場所であっても恐れず駆け巡る。少々、お転婆な王女様。
素顔で外に出ることは、心が解放されて、ジュジュには最高の気分だった。
一応すっぽりと体を包むフードつきの地味な色のマントを被り、目立たず一般市民を装って、お忍びを楽しんでいた。
だが、街は自分の王国と同じように人が多いだけで、期待するほど特に面白いと思う事はなかった。
店があり、商人が行き交い、そこで商売がなされる。
それはそれで、活気があり、一般の人々の様子は見られるが、ジュジュの好奇心は満たしてくれなかった。
最初は抜け出した満足感と、開放感で気持ちは高ぶっていたが、次第にただ歩くだけでは飽きてしまっていた。
しかし、このまま宿泊先に戻るのも叱られるのは目に見えてるし、何も得られないまま、叱られ損では勿体無い。
何か面白い事はないかと探していたそんな時、街の人々の話を耳にした。
街角で、屋台を引いてすれ違った商売者同士が語らう情報交換に、偶然居合わせて、その人達の会話を聞いてしまった。
何かの儲け話はないかと話している時に、この先の森の奥の事が話題に出た。
その森の奥には、そこでしか取れない野菜や果物、薬草、鉱物があり、資源が豊富に存在するらしい。
それが自由に手に入れば、かなりの儲けになるのに、残念な事だと、愚痴を言い合っていた。
そこは野蛮で人を襲うオーガが住む場所らしく、一般の者がそこに行くのはかなりの危険が伴う。
オーガも自分の土地なので、人間達を警戒し、そして入り込む輩が居れば容赦なく攻撃を仕掛けては、命を狙うのだった。
危険を承知で武装して入り込む輩もいるが、必ず襲われてしまい、何も手にできずに命からがら逃げ帰ってくるのが関の山だった。
その中でも、その森の奥に入り込んだ時に、黄金に輝く美しい花が生い茂った沼地を見つけた者がいた。
その見事な光景はこの世の物とは思われないくらい、目を奪われ、神秘的でまさに金が埋まっているのではと思うような土地に見えたらしい。
その後、それを見てから、良いことがあったとまで言うからその話は伝説化されていた。
ジュジュもまた、そんな話を耳にして、好奇心が疼き、自分も見たくてたまらなくなった。
美しく輝く黄金の花。
一体どんな花なのか。
頭の中で想像するも、実際見てみたくてたまらなくなる。
この世で一番恐れられるドラゴンを操るジュジュにとって、オーガが怖い生き物といわれていても、あまり実感が湧かないのも、危機感が薄れていた。
それどころか、きっと仲良くなれるとまで思い込み、オーガが危険な生き物と街では噂されていてもお構いなしに、ジュジュはその話を鵜呑みにしてして、その森へと向かって行ってしまった。
どうしても黄金に輝く花を見てみたい。
ただそれだけのために、危険を冒して、深い森の中へと歩いていく。
どれだけ自分が危険なことをしているのか、全く考えられないまま、ずんずんと森の奥へ進み、時折、不気味な動物の声を耳にしても怯む事もなかった。
しかし、歩けど歩いても、噂に聞いた黄金の花などどこにも見当たらなかった。
そのうち、疲れてきては、休む場所を見つけ、ジュジュは手ごろな横たわっている木の幹に腰掛けた。
「本当にあるんだろうか、黄金の花」
辺りは薄暗くなり、段々と心細くなると共に、自分がどこに居るのかわからなくなってきた。
そろそろ引き戻した方がいいと思った時には、完全に道に迷い、さすがにジュジュも心細くなってくる。
そんな時に、甘い香りがかすかに鼻をかすめ、ジュジュは鼻をクンクンとしては、その匂いの元を探し出した。
もしかしたら、これが黄金の花の香りなのかもしれない。
そう思うと、再び元気が出てきて、ジュジュはその匂いを追った。
ジュジュの頭の中には、輝く黄金の花が咲き乱れ、まさにお花畑のような考えをして、危険とは無縁な状態だった。
良いようにしか考えられない楽天的な性格は、あたかもカラフルな色に包まれて幸せ一杯に、薄暗い森の中でもファンシーなおとぎの国のように思っていた。
フィルターを通して見ていた森の本当の姿はそんなものではなかったと、突然がさこそと木の葉がこすれるような音がした場所を振り返った時が、ジュジュの修羅場となってしまった。
そこには牙を持つ大きな醜い生物が、仁王立ちして目をギラギラと光らせて鋭く王女を見ていた。
眉が釣りあがり、大きく見開いた目はまさに敵意を持って自分を見ていると、王女は感じ取った。
それでも王女はニコッと引き攣ってまで笑ってみせるが、体は緊張し、知らずと後ずさっていた。
目の前の生物は、まさに市民から恐れられている生物、オーガに違いない。
口が大きく開いた時、牙がさらに鋭くむき出しになり、それと共に威嚇するように恐ろしい声が轟いた。
それが耳に届くや否や、ジュジュはさすがに怖くなり、咄嗟に走って逃げてしまった。
オーガはそれを見てはっとすると、ジュジュを捕まえようと手を伸ばすようにして追いかけてきた。
「うそっ」
足には自信がある王女でも、恐怖の中では体は極度に緊張して中々思うように動けない。
時々躓きながらも、必死でオーガから逃げる。
後ろからは「グォー」というライオンの雄たけびにも似た声が聞こえ、ジュジュは戦慄の中、森を駆け抜けた。
木と木の間を潜り、枝をかわし、草むらに飛び込んで身を隠す。
息を潜めてじっとし、気がついたときオーガは近くには居なかった。
逃げおおせたと、ホッとしては、一息つくも、ここからどうやって森を出るか思案していた。
そんな時、また甘い香りが先程よりも確実に鼻に届き、黄金に輝く花の存在が頭にちらついた。
怖い思いをしたというのに、その匂いを嗅ぐや否や、急にトロンとするくらい、それに魅了されしてしまった。
やはりその匂いを追いかけたいという感情に襲われ、オーガの事も忘れ、ふらふらと王女はそこへ足を向けてしまった。
「なぜこんなに甘く、そして私を誘うようにそれは香るのだろう。この香りは心の中にまで入り込んでくる。なんていい匂いなの」
その匂いがもっとも強く感じた場所に辿り着いたとき、そこには腰掛になりそうなくらいの大きさで、赤に黄色のドットがあるキノコがいくつか生えていた。
「この香りは花じゃないの。これはキノコ? それにしても大きい。でも部屋におきたいくらいかわいい」
そのキノコはインテリアにもなりそうで、椅子としても実用的な形をしていた。
ジュジュが鼻から息を吸い込めば、そのキノコから甘い香りが漂っている。
このような派手なキノコは毒毒しく、面妖で食べてはいけないものとはわかるが、香りを嗅ぐだけでは害はないだろうとジュジュは思っていた。
注意しながら、そのキノコを見つめ、よく観察していると、そのキノコの周りだけ不自然に草木が生えておらず、土で覆われているのが目に付いた。
誰かがここで座って座談会でもしそうなくらいに、そこは森の中に置かれたインテリアにも見える。
もしかしたら、これはキノコではなく、椅子なのかもしれないと思えてくるから不思議だった。
甘い匂いに誘われるまま、ジュジュはつい好奇心からそのキノコの上に腰掛けた。
その時、キノコの傘の部分から花粉のようなパウダーが辺り一面に飛び散り、それは霧のごとくジュジュを包み込んでしまった。
ジュジュは何度かくしゃみを催し、目には一杯涙を溜めて、最後には咳き込んだ。
「やだ、何これ」
辺りが急に霞みだし、視界がぼやけだし、周りがぶれて見え出した。
ジュジュは立ち上がり、ふらふらとしてしていると、急に地面が動き出して土から何かが突き上げるように上に伸びていた。
それはまるで蛇かと思うくらい生物に見えたが、視界がすでに霞み、ジュジュには黒い影にしか見えなくなっていた。
それは植物ではあったが、先端が丸く、まるで蛇の頭をもった生物に見えた。
それがジュジュに向き、突然パカッと真っ二つに割れ、まるで大きなく口のように開いた。
尖った緑の棘棘が、人間の歯のように一杯ついており、まさに大蛇のごとく飲み込もうとジュジュを狙っていた。
ジュジュはやっとこれが危険な植物だと知ったが、すでに目をやられてしまい、辺りがよく見えない。
ふらふらとしながら、逃げようとするも、また甘い香りが鼻をつき、感情が麻痺される。
しかし、充分危険な事と頭の隅にあるために、ジュジュは襲ってくる人食い植物の攻撃をひらりとかわした。
「キノコは囮だったんだわ。これで人々の感情を麻痺させて、おびき寄せて狙うというものだったのね」
頭上に人食い植物が口をあけてジュジュめがけて襲い掛かってきた。
ジュジュは悲鳴と共に頭を押さえ込んでしゃがんでしまうが、運よく、植物の動ける範囲が決まっていて、それはジュジュに届かず足元に倒れこんだ。
それはじたばたとジュジュをめがけて何度も口を大きく開閉させていたが、ジュジュに届かないことを悟るや悔しがっているように見えた。
ジュジュは視界の悪い中、それをシルエット的に判別していた。
甘く香る匂いはまだ気になるが、それを振り払い後ろに下がってその場を去った。
何度も目をこするが、先ほどまともに被ってしまったキノコの菌のせいで、視力が回復しない。
そして耳の中もグワングワンと篭って、正常に音が聞こえず、平衡感覚が失われていた。
覚束ない足取りで、森を彷徨い、そして甘い匂いがやっと遠ざかった時、初めて自分が危ないことをしていると気がつき、先ほど追いかけられたオーガの恐怖も蘇った。
甘い匂いを嗅いでいるときは、恐怖心を抱かず魅了されていたが、あの匂いは人を惑わす恐ろしい罠だったと認識すると、今頃になって大いにぞっとした。
さらに不運は続き、視界の悪い中では足元がよく見えずにジュジュは闇雲に歩き、知らずとこんもりと盛り上がった場所に入り込む。
その先が崖になっているのも気がつかずに、挙句の果てに足を滑らして転げ落ちてしまった。
「あっ」
と声を出した時、すでにバチャと自分の体が地面に叩きつけられ、かなりの高さから落ちたような気がした。
しかし、地面が柔らかく、幸いどこも怪我をする事はなかった。
ジュジュは辺りを確かめようと手で地面を探れば、そこはどこかじめじめとして湿っていて、水を感じた。
しかし、横たわっていると徐々に自分の重みで泥に体が食い込んでいく。
「もしかして、ここは沼地?」
体制を整えようとジュジュが立ち上がろうとするが、すでにふらふらで、足元もぐちゃぐちゃで体が踏ん張れない。
ゆっくりだが、地面に飲み込まれていく感覚を感じ、ジュジュはぞっとした。
なんとか身だけは起こすも、座ったまま立ち上がれなくなった。
体は泥にまみれ、泥の中に消えていきそうなくらいに静かに沈んでいく。
「やだ、今度は底なし沼なの?」
一難去ってまた一難。
そんなとき、また雄たけびが聞こえた。
先ほどのオーガが近くにいる様子だった。
目はかすみ、周りがよく見えず、体の芯まで凍るくらいの不安と恐怖でジュジュは震えていた。
一貫の終わりと悲壮な思いに捉われ、これで人生が終わってしまうと悲しみに暮れていると、何かが自分の近くに飛んできた。
霞んではっきりと見えないが、飛んできたものに触れれば、それはロープだった。
藁をも掴む思いで、咄嗟にそれを掴むと、そのロープは手ごたえがあり、ジュジュを引き上げようとする力を感じた。
そのロープをジュジュはしっかりと握り、そして沈みかけた体は、引っ張ってくれるロープによって持ち上げることができた。
ロープに頼って体を持ち上げ、そしてそれはさらに強い力でぐいぐいと引っ張っていく。
ジュジュはよたよたと引っ張られる方に体を任せながら、必死に足を動かした。
足元が泥から脱して安定したと感じたとき、誰かが体を抱き上げる。
ふわりと抱っこされ、温かな胸元を感じた。
「大丈夫か」
ジュジュにはその人物の容姿が霞んで見えなかったが、かろうじてぼやけた視界の中で、シルエットだけうっすらと見えていた。
それは自分よりも体の大きい男性だった。
がっしりとした手で、ジュジュを優しく抱き上げ、運んでいく。
安心したと同時に、ジュジュは気力が抜けて、そしてその男性の腕の中で気を失ってしまった。
時間の感覚もなく、パチパチと暖炉の火が爆ぜるかすかな音が耳についた時、ジュジュは目を覚ました。
徐々に意識が戻り、ジュジュは暖かな部屋でソファの上に寝かされていることに気がついた。
「ここはどこ?」
「安全な場所だ」
助けてくれた男の声は、エコーが掛かったように、遠く耳の奥で篭った。
男がジュジュに近づく気配がするが、まだ視界がぼやけ、目の前には男性のシルエットが見えるだけで、詳細が何一つわからない。
男の声も鐘の中で響いて聞こえるように、すっきりとしない。
キノコの菌に体をやられて、機能が正常に働いてないのが伺える。
戸惑って不安になっていると、男性の手がジュジュの頭をやさしく抱え、少しだけ身を起こされ、口元に何かを押し当てられた。
「薬草だ。これを飲めばよくなる」
ジュジュは言われるままそれを口にする。
それは苦く、決して美味しいものではなかったが、どろりと喉を流れていくと、すっと気持ちが落ち着いた。
喉が爽やかに冷たさを感じ、息がし易く、気分がすっきりする。
キノコの菌が体から抜けて、自分がクリーンになっていく感覚があった。
「あ、ありがとうございます」
感謝のお礼を言えば、男はそれには答えなかったが、男の息遣いが感じられた。
それは目の前で笑いながらも自分をしっかりと見ているような、そんな照れが伝わってくるようだった。
目が見えないのがもどかしい。
何度も目をこすっていると、男はその行為をやめさせるようにジュジュの手を優しく掴んだ。
「心配しなくていい。一時的なものだ。すぐに見えるようになる。今はゆっくり眠るがいい。目が覚めた時は全てが元通りになってるはずだ」
ジュジュはコクリと首を振る。
薬の作用のせいか、体はまどろみ、眠気が襲ってきていた。
瞼が重くなっていくが、必死に目を開けて何かを見ようとしたとき、暖かさが感じられるその方向に、かすかに暖炉の炎の明るさが見えた。
その暖炉のマントルピースの上に絵画が飾られていたのがぼんやりと見え、フィルターがかかったように鮮明ではないが、なんとなくの形が判別できる。
それは誰かの肖像画だと認識したとたん、意識が遠のいていった。
その時、優しく頬を撫ぜられ、安心感と男の優しさを感じ心地よかった。
そんな気分の中でジュジュは、助けてくれた男性とダンスをしている幻想を見ていた。
軽やかなステップ。ふわふわと舞うようにジュジュをリードする。
やがて立ち止まり、その男性はジュジュを真剣に見つめる。頬をピンクに染めながらジュジュはトロンとして酔いしれ、そしてゆっくりと顔が近づきその後は優しいキスをされて……
ジュジュの夢。でも本当にそれは夢だったのか。気持ちだけがいつまでも残る。
顔もはっきりとわからないまま、ジュジュは助けてくれた男性に恋をしてしまった。
そう、ジュジュは好きになった人の顔を知らないで恋に落ちていた。