第二章

10
「マスカートどうした?」
 ムッカに声を掛けられ、マスカートはビクッと体を飛び跳ねさせた。
 ムッカを一度見てから震えながら前方を指差し、声が喉に奥に引っかかったような喘ぎ声を微かに出して目を見開き示唆する。
 そのマスカートの様子に、ムッカもカルマンもようやく何事か察しがついた。
「オーガか」
 ムッカは小さく呟き、喉をゴクリとならした。
 マスカートは軽く首を縦に振りそれに答えると、カルマンは腰の剣に手を掛けた。
「カルマン、剣に手を掛けるのはよせ、ジュジュを怖がらしてしまう。ここはさりげなく、屋敷に引き返そう。ゆっくり歩いて刺激しなければ、向こうも相手にしないだろう」
「でも一体どこにいるの? マスカートはほんとにオーガを見たの?」
「ああ、黒い影がカサカサと音を立てて動くのを見た。そして微かな唸り声も聞こえた。向こうも隠れてかなり警戒している様子だ」
「だけど、不思議だ。今までオーガはこの辺りをうろついた事がない。ここは街に近い。オーガも分かってるはずだ」
 ムッカが怪訝な顔つきをした。
「そんなのオーガの勝手でしょ。僕たちがそう思いこんでて、今まで偶然に出会わなかっただけなんじゃないの?」
「カルマンの言う通りかもしれない。私達はかなり油断していたんだろう」
「だけどさ、俺達、何も持ってないじゃないか。それに何も荒らしてもない。こんな街の麓に近い場所にオーガが何で出てくるんだ。なんかおかしいって。あい つの縄張りはもっと奥深くじゃないか。俺達は大体の習性を把握してるから、こんな危ない商売でも危険をかわしてできるというのに」
「ムッカは何をごちゃごちゃいってるんだよ。もしかして怖いの?」
「うるさい、カルマン!」
「ムッカの方が、よっぽどうるさいけど」
「二人ともこんな時に言い合いするなって!」
「ねぇ、皆どうしたの?」
 緊張していた三人の後ろに、いつの間にかジュジュが近づいてきて、声を掛けた。三人はびっくりして「わぁ!」と驚いて飛び跳ねてしまった。
「えっ!?」
 ジュジュもそれにびっくりして身を怯ませ、肩に止まっていたモンモンシューも突然慌てて飛び回った。
「あっ、チビ、動くんじゃない」
 マスカートが捕まえようとしたが、モンモンシューは我を忘れて派手に飛びあがった。それと同時に、前方で何かが動き、威嚇している呻き声が聞こえ出した。
 一触即発の危機。
 モンモンシューも辺りの違和感に気がつくが、それが何か知りたくて勇敢にも突進してしまった。
「チビ!」
 マスカート、ムッカ、カルマンが同時に叫び、その後ろでジュジュが戸惑ってオロオロしていた。
「一体どうしたの?」
 一人だけ状況が飲み込めないまま、ジュジュが不安になっていると、後ろに人の気配を感じ、ジュジュはゆっくりと振り向いた。
 木の間から長い髪をなびかせて誰かがこちらを見ていた。
 ジュジュがそれをそっと三人に知らせようとするが、それどころじゃない男達は前方だけに気を取られていた。
 ジュジュがもう一度振り返った時、その人影は森の中へ歩いていく。時折振り返り、まるでジュジュに着いて来いと誘うように、口許が微かに笑っていた。
「あの人、誰なんだろう」
 そう思った時、モンモンシューに矢を放った人物がこの森にいるのを想起し、ジュジュはハッとした。
 あの人に訊けば何かが分かるかもしれない。モンモンシューを元に戻したい一心が強くなり、ジュジュは無謀にも後を追いかけた。
 オーガ騒ぎでジュジュが離れている事にも気がつかず、マスカート、ムッカ、カルマンは緊張して前方を見つめたままだった。 
 ジュジュは髪の長い人物を追いかける。
 そうするように仕向けたその人物は、セイボルだった。
 セイボルは早足に、どんどん深く森の中にジュジュを誘い込んだ。
 長い金髪が時々木漏れ日を浴びてキラキラと光ってなびいている。ジュジュは近くで見てみたいと興味を持つほど、夢中になって追いかけた。
「あの、待って下さい」
 暫く小走りになってたところ、ジュジュの息が上がっていた。
 それを察して、セイボルはやっと立ち止まり、ゆっくりと後ろを振り向く。ジュジュが近くに来るのを背筋を伸ばして待っていた。
 長身で髪の長い男性。至近距離で向かい合って見た時、その顔を見てジュジュは既視感を覚えた。
「あなたは?」
「私はセイボルだ」
「セイボル……」
 どこかで聞いたことのある名前。ジュジュはまじまじと見つめ、目をパチクリした。どうしても知っているとしか思えない感覚が現れるのに、記憶とまだ一致しない。
「ジュジュ王女、今すぐこの森から出て城に帰るんだ」
「えっ、どうして私の事を? あなたは一体誰?」
「私の事はどうでもいい。とにかく城にお送りしよう」
「あの、待って下さい。今はまだ帰りたくないんです。どうしてもやらなければならないことがあって、それが終わるまで私はまだ帰れません」
「しかし、この森は安全ではない。ジュジュ王女のいるような場所では……」
「あなたは城の者に私を探し出す様に頼まれたのですか?」
「まあ、そんなところだが」
 自分の意志も入っていたが、城に従事している姉のエボニーに探し出すよう言われた分、嘘は言っていない。
「どうか、私がここに居る事は暫く黙ってて下さい。お願いします。用が済めば必ず城に戻りますから。もし願いを聞いて下さるなら、あとで必ずお礼をします」
「お礼?」
「はい、あなたが望むものならなんでも差し上げます」
「なんでも?」
「何がお望みですか?」
「望み…… いや、そ、それは」
 セイボルは言おうか言わないでおこうか、少し葛藤していた。自分の望みは、ジュジュそのもの。そんな事言えば、ドン引きするだろうと、一人で悶々として固まってしまった。
 そこまで悪役にはなれない自分の性格がもどかしい。
 一応魔王なのに──、と一人で突込みまで入れていた。
 目の前で、セイボルがお礼について真剣に検討していると思い、ジュジュはそれを好意的に解釈した。
「それじゃ、黙っててくれますね?」
「えっ、あっ、ああ……」
 セイボルが我に返ったとき、つい弾みで返事してしまった。
 ジュジュは、満面の笑みを浮かべ、喜び勇んでセイボルに抱きついていた。どこかで見た事があると思った親しみのせいで、無意識に出てしまった行動だった。
 素直に抱きつかれ、セイボルはドキッとしてしまう。ジュジュ王女を手に入れるように姉のエボニーから言われてるが、実のところジュジュはセイボルの好みだった。だからこそ手に入れたいと強く願ってしまう。
 セイボルはこの時、飾らない自分の素の姿をさらけ出して、ドキドキとしていた。
 人には魔王と呼ばれているが、実際のところ、その名称はセイボルにとって虎の威を借る狐くらいのものとしか思っていない。黒魔術の力は本物でも、自分が力を誇示して冷淡になれるものではないくらい充分承知だった。
 しかし、侯爵の地位を継いでからは、馬鹿にされないためにも、セイボルは威勢を張っている。それが時には負担であっても。
「わ、わかった。ジュジュ王女の仰せのままに」
「ありがとう。セイボル。お礼はまた後でゆっくりと考えて決めて下さい。それと、私が天空の国の王女だという事はどうか秘密にお願いします。くれぐれも王女とは人前で呼ばないで下さい」
「ああ」
 ジュジュの笑顔は間近で見ると一層可愛くて、セイボルは身悶えしてしまう。自分とは違い、逞しい行動力を持ち、明るくバイタリティな性格も魅力的だった。そして飾らなくてもそこに気品が備わり、自然で美しいと思える女性だった。
 この時、セイボルは一層ジュジュに惚れてしまい、心の純粋さがでている輝いた緑の目に吸い込まれそうになりながら見入っていた。
 ジュジュも同じようにセイボルをしっかりと見つめているが、やがて頭の中の靄が消えゆき、その後ハッと疑問が解けた。
「あなたは……」
 ジュジュが突然戸惑って、落ち着かないでいる。
 セイボルも敏感にその様子を感じ取った。
 ジュジュが何か言おうと口を開きかけた時、遠くから自分の名前を呼ぶ声がする。その声は段々強まると共に、必死さが伝わってきた。
 マスカート、カルマン、ムッカがジュジュが居なくなった事に気がついて、死に物狂いで探していた。
 近づいてくる男達と対面することを覚悟するように、セイボルの体に力が入り、顔つきが引き締まった。
 ジュジュはそのセイボルのかしこまった表情を見て、益々戸惑いを覚えていた。
「あ、ジュジュ!」
 カルマンが真っ先に駆けつけるが、その側にいる長身の男の存在に気がついて立ち止まってしまった。
「ジュジュ、何してるんだ。早く逃げて」
「えっ? カルマンどうしたの?」
「そ、そいつは、魔王だ」
「魔王? えっ?」
 ジュジュがキョトンとして、セイボルを見れば、セイボルは別人のようにカルマンを睨んでいた。だがその怖い表情になればなる程、ジュジュの記憶が呼び起こされた。
 一定の距離をあけ、カルマンとセイボルがにらみ合っている。
 そこにマスカートとムッカも加わり、状況を把握すると、力強くセイボルを睨み返した。
 その彼らの頭上でモンモンシューが飛んでいた。
「オーガが現れておかしいと思ったら、やはりセイボルが絡んでいたのか。道理であのオーガは様子が変だった訳だ。私達の注意をそらす目的だったのか」
 マスカートが怒りを露にした。
「くそっ、卑怯だぞ、セイボル。ジュジュを返せ」
 ムッカも食ってかかる。
「ちょっ、ちょっと、一体どうなってるの? この人は悪い人じゃないわ。この人は……」
 ジュジュは城の関係者だと言いたかったが、それを言ってしまうと自分の正体がばれるために言えない。
「ジュジュ、早くこっちに来るんだ。そいつはこの森をオーガと組んで支配する魔王だ。かなりの悪者だ。そんな奴と一緒に居たら危ない」
 マスカートが必死になって呼びかけるも、ジュジュは完全に訳がわからない。
「あの、皆落ち着いて」
「ジュジュ、あの者たちの言い分は信じるな。あれは勝手な思い込みだ」
 セイボルが応酬する。
「セイボル、なぜ嘘をつく。一体ジュジュをどうするつもりだ」
 マスカートは責任者ながら、一番先頭に立ち、そしてじりじりと近づく。その手にはすでに剣を構え、セイボルに向けていた。
「仕方がない。ここは一旦引き上げるしかないようだ。ジュジュ、また後で」
 踵を返し、セイボルは森の奥深くへと走り去っていく。
 ムッカとカルマンは後を追った。そしてモンモンシューも一緒になって追いかけた。
 その直後、爆発音がはじけるように聞こえ、煙幕が広がった。二人は口許を多い、咳き込む。モンモンシューも慌てて引き返しジュジュの側に戻った。
「くそっ、魔術を使いやがったぜ」
 目の前で手をパタパタさせて、ムッカは悔しがっていた。
「でもしょうもない子供だましじゃないか。今時こんな手、子供でも使わないよ」
 カルマンは嘲笑っている。
「とにかくジュジュが無事でよかった。まさかセイボルに連れて行かれるとは、本当に危なかった」
 緊張感が解けたマスカートは、胸をなでおろしていた。
 ジュジュは全く何が起こってるかわからず、モンモンシューが肩に止まっても構うことなく呆然としていた。その姿を恐怖で慄いていると勘違いし、三人は心配しだす。
「ジュジュ、もう大丈夫だぜ。あいつは逃げていった。また来ても俺達が守ってやる」
 ムッカは安心させようと、力強く自分の胸を叩く。
「今度は絶対僕たちから勝手に離れないでよ。ジュジュは本当に怖いもの知らずなんだから」
 カルマンは呆れて溜息を吐いた。
「しかしだ、セイボルがジュジュに近づいてきたからには安心できない。このまま街に返したところで、また狙われるかもしれない。これはやぶさかではないぞ」
 マスカートは腕を組んで今後の事が心配になってしまった。人を疑うことを知らないジュジュは、セイボルの毒牙にかかってしまうのではと思うと許せない。
「こうなったら、屋敷に連れて帰ろうよ。セイボルに狙われているってリーフに言えば、絶対に助けてくれるよ」
「俺も、カルマンに賛成。リーフはセイボルが関係すると必ず行動を起こす。あの二人はいつも対立してるしな」
「カルマンもムッカもそう思うか。実は私も同じ事を考えていた」
「じゃあ、話は決まり、すぐに屋敷に戻ろうよ。またオーガが出てきたら、僕嫌だよ」
 カルマンが催促すると、二人も頷き、引き返そうとする。
「ちょ、ちょっと待って下さい。私には何が起こってるのかさっぱりわからないんですけど。あのセイボルって、魔王とか言ってますけど、一体何なんですか?」
 セイボルを見たときに感じた既視感。厳しい顔つきになった時にはっきりと記憶と重なったあの瞬間。
 あの顔は自分の知ってる人物とそっくりだった。
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