第二章


 マスカートに引っ張られる形で突然に引き寄せられて、ジュジュはバランスを崩し、力が働く方向へ簡単によろけていた。
 薄暗く明かりがなくなった部屋で、訳がわからないままにマスカートに倒れこむ。
 それはまたマスカートのバランスも崩すことになり、ジュジュを抱えたままよろけてしまった。
「うわぁ」
「きゃっ」
 お互い声を出し、踏ん張って体制を整えようとするが、その努力もむなしく、そのまま二人は密接に抱き合い床に転げてしまう。
「いたたたたた」
 マスカートが声を上げる側で、ジュジュは暗闇の中、気が動転していた。
 かろうじて廊下から漏れる光でぼんやり浮かんだ二人のシルエットは、もはや一つの塊となり、ジュジュを上にして完全に体を密着して横たわっていた。
「あっ、あの、その」
 ジュジュは慌ててマスカートから離れようとするも、マスカートは危機感から咄嗟にジュジュを抱きしめ動きを封じ込めた。
 強く抱きしめられるあまりの大胆さに、ジュジュはすっかり慌ててしまって、喉から強い力が働き、金切り声が思いっきり出てしまった。
「キャー」
「ち、違うんだジュジュ、誤解だ。ちょ、ちょっと待ってくれ」
 ジュジュは、じたばたと必死にマスカートから離れようと抵抗する。
 それでもマスカートはジュジュを離そうとはしなかった。いや、離せなかったと言う方が正しい。
 ジュジュは力の限り、手足をばたつかせ、それがマスカートの顔や足を直撃し、マスカートも苦痛の悲鳴をあげていた。
 そこにジュジュを助けようとモンモンシューも加わっていたため、思いっきり足をかまれてしまった。
「痛!! ジュジュ、落ち着いて、ご、誤解なんだ。あーんもう。おーい、誰か来てくれ!」
 マスカートも必死に助けを呼び、ドタバタする騒ぎとその声に、ムッカが何事かと一番に駆けつけた。
 ドアを全開すれば、廊下の光が入り込んで、マスカートが横たわってジュジュを羽交い絞めにしている姿が目に入った。ムッカは目を見開いて大いに驚いた。
「おい、一体何やってるんだよ」
「ち、違うって、ご、誤解だって。それより、あれ、あれだよ」
 マスカートは顎を何度も突き出して部屋の奥を示す。ムッカは目を凝らして部屋の奥を見るなり「うわぁ!」と驚いて、脱兎のごとく部屋に駆け込んだ。
「早くなんとかしてくれ」
 マスカートが催促すると、ジュジュは何かがおかしいと様子を確かめようとする。
「一体、何が起こってるんですか」
「いや、な、何でもない」
 慌てたマスカートはジュジュを今ある問題から遠ざけたいと、身動きできないように再び抱きしめていた手に力を入れ、彼女の頭を自分の胸に押し付けた。
「きゃっ」
 マスカートが必死になればなるほど、ジュジュは強く羽交い絞めにされてしまう。
 二人はまだ床に転がって重なりあったままだった。
 マスカートもこれがいい状態とは思ってないが、今はジュジュに見られては困るものがあるため、なりふり構ってられなかった。
「ムッカ、早く片付けてくれ」
「わかってるって。でも俺一人じゃ、無理がある。おいっ、チビ、邪魔するな、あっちいけ」
 興奮したモンモンシューがムッカに纏わりついていた。
 そこへ、カルマンとバルジも現れ、最初はジュジュとマスカートが抱き合って床に転がっている様子に唖然としたが、奥のムッカの様子を見て、事態を把握し機敏に駆け出した。
 バルジが、素早い動きでムッカの邪魔をしているモンモンシューを掴み、そして何も心配はいらないと目で知らせると、じたばたしていたモンモンシューの動きが鈍くなり、次第に落ち着きだした。
 バルジが解放してやると、モンモンシューは困惑してただ宙に浮くまま、目の前のものを見て首を傾げていた。
 三人はテキパキと暗い部屋の奥で何かを片付け、それぞれ分担してそれらを担ぐと、マスカートに視線を向けた。
 それと同時に、マスカートはさらに強くジュジュの頭を自分の胸に押し付けた。
 その隙に、部屋の奥から何かを持った三人は素早くどこかへ行ってしまった。
 危機を脱したかのように、マスカートはとりあえずほっと一息ついて、やっとジュジュを自由にした。
「すまなかった、ジュジュ。大丈夫かい?」
 ジュジュはすぐさまマスカートから離れ、そしてモンモンシューを呼び寄せて抱きしめた。
「一体、何だったんですか?」
 納得のいく説明が欲しいとジュジュは責め立てた目をして見つめた。
「いや、ちょっと、その、なんていうのか、あの」
 要領を得ない、誤魔化した言い方をしながら、マスカートはランプを再び手にして、そして一度部屋の外にでた。
 暫くして入ってきた時、マスカートはすっかり落ち着きを取り戻していた。
 火が灯ったランプを手にし、部屋の中のランプにも火を灯していった。
 部屋はすっかり明るくなり、中の様子がはっきりと見えた。
 先ほどの失態がなかったことのように、無理に平常心を装い、思いっきり笑顔を見せては、「中々いい部屋だろ」とジュジュに尋ねた。
 実際部屋は悪くはなかった。
 シンプルだが、寝心地よさそうな大きめのベッドが備え付けられ、物をしまう最低限の家具もあり、きっちりとした印象があった。外に続く大きな吐き出し窓もあり、自由に外に出られる開放感も感じられ、部屋はとても広々としていた。
 しかし、今は部屋の事よりも、なぜマスカートが変な行動をしたのかを、ジュジュは問い詰めたくてたまらない。
 誤魔化そうとしているマスカートに敢えて挑んでみた。
「説明して下さい」
「えっ、何を?」
「何をって、先ほど、思いっきり抱きしめて床に倒れこんだじゃありませんか」
「あっ、あれか、あれはその、なんていうのか、事故だよ、事故。ご、ごめん」
「私には故意としか思えませんでしたが」
「いや、ほんとにごめん。でも……」
「でも、なんですか」
「その、なんていうのか、ちょっとジュジュには見られたら困るものがあったってことなんだ。本当にごめん」
「一体なんだったんですか」
「うーん、なんていうのか、男として、あれだあれ、その、ちょっと恥かしいものだったんだ。ごめん、これ以上はどうか許して欲しい。本当にごめん」
 困り果て、狼狽しきってるマスカートの姿を見ると、ジュジュはそれ以上問い詰める気が失せた。
 元はといえば、勝手に自分が押し掛けたから、このようなことを引き起こしてしまった。厚意で部屋に案内してもらい、そこに見られて困るものがあっただけのこと。マスカートにしてみたら、慌てただけに違いない。
 それを責める資格などないと気がつくと、ジュジュも申し訳なくなってしまった。
「ごめんなさい。あまりにも突然なことだったから、ついびっくりしてしまって。私がとやかく言えることではなかったです」
「いや、そ、そうでもないんだけど、承諾を得ずにジュジュを抱きしめてしまった事は、これは男として恥かしいことだ」
 抱きしめる行為にわざわざ承諾を取ってするものなのかと思うと、ジュジュはなんだかおかしくなった。
 父や母、家庭教師のエボニーやカーラ、世話係の人達には自ら抱きつく癖があるだけに、承諾など必要ないことくらいジュジュもわかっていた。
 それは時と場所、目的にもよって意味は違ってくるだろうが、それよりも、そういう言葉がでてくること自体、マスカートの人柄が見えるようだった。
 この人は真面目で、筋道を立てる人だ。
 ジュジュは咄嗟に機転を返し、そしてマスカートに近づいて自ら抱きついてみた。
「色々と気を遣ってくれてありがとうございます」
「ジュジュ……」
「私も承諾なしに抱きつきました。これでおあいこですね」
 マスカートの肩の力が抜け、これ以上詮索しないジュジュの気遣いが心地よく感じた。
 ここで抱きしめ返すべきか、悩み、手が中途半端な位置で往生する。そうしているうちに、ジュジュが離れてしまった。
 ジュジュのあどけない瞳、無垢な笑顔を目の前に、マスカートは暫く考えてしまう。
 何を言っても全てを受け入れて許してもらえそうな広い心を持っているように思え、つい甘えてしまえたくなった。
「ジュジュ、私達は……」
 そこまで言いかけた時、ムッカとカルマンが再び部屋に入って来て言葉を遮られた。
「あれ、二人とも何見つめあってんだよ。マスカート、なんでそんな深刻な顔してるんだ?」
 ムッカが何かを勘繰るようにマスカートを問い詰める。
「いや、別になんでもない。さっきの事謝ってただけだ。ちょっと見られたくないものがあったって説明してたんだ」
「おい、マ、マスカート。まさかしゃべったのか」
 ムッカが慌てると、ジュジュはにっこりとして言った。
「あの、急に押し掛けて来た私が悪いんです。見られたくないものがあっても不思議じゃないです。それは何かとは訊きませんから安心して下さい。私だって、一つや二つ秘密はありますし……」
 ムッカはマスカートと顔を合わせ、ジュジュの気遣いをどう受け止めていいのか戸惑っていた。
「ふーん、ジュジュにも秘密があるのか」
 カルマンは騒動が起こったことより、ジュジュに興味が行った。何かを企むように瞳の奥が光っている。
「とにかく、ジュジュ本当にすまなかった。今日はゆっくりと寝てくれ」
 マスカートはムッカとカルマンに顎で指図し、自分もさっさと部屋から出て行った。そして二人も後に続いていた。
 カルマンが最後にドアを閉めながら言った。
「鍵しっかりと閉めるんだよ」
「はい、おやすみなさい」
 ドアが静かに閉まると、部屋は急に音を吸い込んだように静寂さが広がった。
 抱きしめていたモンモンシューを解放し、ドアに近づく。忘れないようにかんぬきを差し込み、全てが終わるとベッドに腰掛け、ジュジュは軽く吐息を洩らした。
 モンモンシューはそれを見て心配し、ジュジュの顔の前でホバリングする。
「モンモンシュー、大丈夫だから。それよりも、モンモンシューの方が私よりも大変だったわ。早くその体治さなくっちゃ。みんな、私のせいだね。私が固執してこんな事しなかったら、モンモンシューも小さくなることなかったのに」
 モンモンシューは、出来る限り気丈に振るまい、キビキビと元気よく飛び回ってから、再びジュジュと向かいあった。
「小さくても大丈夫だって言いたいのね。ありがとう。でも、このままなのは絶対だめだわ。それに私、自分のやってることがわかんなくなってきちゃった。本当に私を助けてくれた人がここにいるのかしら」
 モンモンシューはジュジュの肩に止まり、ジュジュの頬を舐めだした。
「モンモンシュー、くすぐったいわ。わかってる。弱気になるなってことでしょ。でも、なんだかわかんなくなってきちゃった」
 つい弱音を吐いたのは、疲れていたからかもしれない。
 また溜息が漏れる。ジュジュはベッドの上に転がり、自分がいなくなった後のお城がどうなっているのか急に気になり始めた。
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