第二章


 振り返ったそのドアの向こうには、新たな登場人物が立っていた。
 この瞬間に、誰しも予期せぬその登場に驚き、目を見開いて声を詰まらせていると、その人物は静かに部屋の中まで進んで、固まっている男達の間を割り込み、ジュジュの真正面に立ちはだかった。
 ジュジュは初めて見た気がしない、見上げるくらい背の高いその人物と向き合い、緊張する。その後ろでは残りの四人の男達が、固唾を飲んで見守っていた。
 ジュジュの姿を頭の先からつま先まで一通り見つめるその厳しい目は、暖炉の上に掲げてあった肖像画で描かれていた目とどこか一致する。
 この人物はリーフに違いない。
 目の前の人物が誰だか判った時、ジュジュの喉の奥から反射する声がついた。
「一体この部屋で何をしている。この女の子は誰なんだ?」
「リーフ、これには訳が……」
 マスカートが言いかけた時、リーフは自分の足元に転がる赤いバラに視線をやった。不快な気持ちを丸出しにし、そのバラを足で踏みつける。その行為はジュジュを怯ませた。
 次にリーフはカルマンに振り返り、顔にへばりついているものを不思議そうに見ては、それに手を伸ばした。
「なんだこれは?」
 あんなに引っ張っても取れなかったモンモンシューが、リーフによって簡単にはがされた。
 モンモンシューは大人しく首根っこをつかまれるまま、リーフと否が応でも向き合わされた。キョトンとして、完全に何が起こってるか把握できないで、されるがままになっている。
 リーフは考えた末、それをジュジュの前に差し出した。
「君がこれを持ち込んだのか?」
「はい」
 返事をするだけでジュジュは精一杯だった。
 自分はまだ寝巻き姿のままで、この屋敷の主と話さなければならない。こんなタイミングの悪い時に、良い話ができる訳がない事は、充分承知だった。
 それでも、一応染み付いた王女の意地として、落ち着きを払い、堂々としてモンモンシューを受け取った。
「中々面白い生き物だ。そして君も肝が据わってるとみた」
 モンモンシューを受け取った時に、手に持っていたシーツがはらりと落ち、ジュジュは寝巻きをさらけ出していた。
「ありがとうございます」
 来ていたものは寝巻きだが、洗練された見事なお辞儀を返し、気品でその場を繕う。
 この時、リーフはそのギャップにクスッと笑いを洩らした。それを誤魔化すために咳払いをし、そしてジュジュに背を向けた。
「とにかく、着替えを先に済ますがいい。その間に何が起こったのか、この四人の男達から聞いておく」
 リーフが威厳を持った歩き方で部屋を出て行く。その後をバルジが忠実な犬のようにすぐに続き、そしてムッカも、ヤバイと顔を顰めて後に続いた。
 カルマンは未練がましくジュジュを見つめ、何かを言おうと口を開きかけたが、マスカートに耳を引っ張られ、代わりに「イタタタタタッ」と叫んだ。
「懲りない奴だな。早く来るんだ」
「痛いよ、マスカート」
「何が痛いだ。お前のせいで、話がややこしくなりそうだというのに、反省の色もないのか。一体何からリーフに話せばいいかわからなくなっただろうが」
「あ、あの、マスカート、私は一体どうすれば」
 ジュジュは咄嗟に質問する。
「何も心配する事はないと思う、多分……」
 自信なさげに、苦笑いしながらマスカートが答えると、余計にジュジュは不安になった。
「とにかく、着替えて広間にくれば、何もかも解決するよ。大丈夫だから」
 シャーシャーと悪びれることもなく、何事もなかったように振舞うカルマンにマスカートは殺意を覚えるくらいだった。
「お前が一番事をややこしくして、ジュジュを苦境に陥れてるんじゃないか。つべこべ言わず、早く来い」
 二人は部屋から出て行くと、ジュジュは力が抜けるようにベッドに腰掛けた。
 床には踏みつけられて散らばったバラの花びらが、まるで赤い血のように鮮烈に横たわっていた。容赦なくリーフが踏みつけた時、少なくともジュジュはその残忍さに怖いと怯んだ。
 油断のならない人物。
 今はリーフと面と向き合う事が怖く思えてしまう。もしかしたら自分を助けてくれた人かもと期待をしていたことが嘘のように、その希望もすっかり砕かれていた。
 その側でモンモンシューが心配そうに飛び交っている。
「モンモンシュー、本当にこの屋敷に私を助けてくれた人がいると思う?」
「モキュ?」
 どう対応していいかわからないままに、モンモンシューも困惑している。
 でも今言わなければならないのは、カルマンが襲い掛かってきた時、最後まで必死に戦ってくれたモンモンシューへのお礼だった。
「本当に助けてくれたのは、モンモンシューだったね。ありがとう」
 優しくジュジュに抱きかかえられたモンモンシューは、謙遜しているのか、すでに忘れたことなのか、抱きしめられて首を傾げていた。
 問題を抱えたジュジュにはまだ助けが必要なことくらい、モンモンシューもわかっている。何とかしてやりたいと「クー、クー」と心配そうに鳴いていた。
 ジュジュはモンモンシューを解き放ち、そして着替えを始めた。
 着替えている間、頭の中でとりとめもなく思いがぐるぐるする。
 カルマンの一件が落ち着かないまま、突然屋敷に戻ってきたリーフとの対面。バルジにもまだここに居たいかと問いかけられ、すぐに答えられなかった自分。そして小さくなったモンモンシューや抜け出してきた城のこと。
 これらを考えながら頭からすっぽりとドレスを被り、再び顔が覗いた時は溜息が漏れていた。

 日が差し込んですっかり明るくなっている広間では、暖炉を背景にしてリーフが腕を組んで仁王立ちしている。
 マスカートとムッカが着替えている間、バルジが報告係となり簡単に事の経緯を説明していた。ジュジュがここに辿り着いた話は無表情で黙って聞いていたが、カルマンの話の下りになると、刺すような睨みを当の本人に向けた。
 カルマンもリーフの前では借りてきた猫のように大人しく、ひたすら口を閉ざしていた。
「大体の事はわかったが、カルマンの行動だけは理解し難い。成り行き上、ここにあの女の子を一晩泊めたにせよ、カルマンは男としてやってはいけない行動を犯した。恥を知れ」
「お言葉を返すようですが、僕は悪意を持ってやった訳ではなく、ジュジュを襲うつもりなどこれっぽっちも考えてなかった。ただ僕は受け入れてもらえるのか試しただけで、ジュジュが嫌がるのなら無理強いはしなかった」
 往生際が悪いのか、自分がしたことを悪いとも思っていないそのカルマンの態度に、リーフには許せない感情が湧き起る。しかし、敢えてそれを押さえ込み、カルマンと対峙した。
「現に彼女は助けを求めたそうじゃないか。その声を聞いたから他のものが駆けつけた。それでも無理強いはなかったと言えるのか」
「あれは僕にとっても計算違いで……」
「その様子だと、余程、己に自信があったと見える。お前は周りの事を良く見てなさ過ぎる。自分が思ってる程、お前の力は大きくないぞ。そういう事を考えた事はないのか」
 自分の能力を否定される事はカルマンには我慢ならない繊細な部分だった。口には出さないが、その点だけは、実際この四人の男達の中では一番上だと思っていた。それだけの負けない才能をカルマンは持っていると誇示したいぐらいだった。
 しかし、真の賢い物はそういうのをさらけ出さない事もよくわかっている。それでも時々毒舌になって思う事はズバズバと口に出す。常に強気を保っているからそういう行動が自然と出ているのだった。
 今回もジュジュに拒まれることなど全く頭になかった。だからこそ、どこまでも強気で反論を返してしまう。
「全くない。僕はここでは誰よりも年下だが、それだけで劣ってるとは絶対に思わない」
 どこまでも反発するその態度に、リーフの片足が上下に揺れて苛立っていた。
「いいか、カルマン。この屋敷に住む以上、やりたい放題は慎め。一つだけ忠告してやる。お前の持ってる力は私の持ってる力よりも低いという事だけ思い知るがいい。わかったか」
 屋敷の主である、リーフは確かに雇い主ではある。その点の立場は低いのはさすがにカルマンもわかっていた。だが、才能や能力に関してだけは、例えリーフであっても劣ってるとは思ってなかった。
 ここは賢く振舞った方が得策に感じ、カルマンは不承不承に「はい」と返事を返していた。
 前屈みになり、頭を垂れたその態度は打ち砕かれて参ったようにも見えたが、それはフリだけで、その見えない部分でカルマンの表情は邪悪に企んだ笑みを薄っすらと浮かべていた。
「ところで、なぜあの部屋を使っている。二階にまだ客間が空いていただろう。どうしてそこを使わなかった?」
 まるで使用人の部屋が使われたことを恥じるように、バルジにその部分も頂けないとリーフは責め立てた。
 バルジはこれに関しては自分のした事ではないので
 「あの部屋でも、特に問題はなかったと思います」
 というだけで精一杯だった。
 リーフは息を洩らしたが、大事な時に自分がこの場に居なかったことを悔やんでいる様子だった。
 マスカートとムッカが、リーフの態度を伺いながら部屋に入ってくる。颯爽と胸を張って歩けず、自信なく猫背になって入ってくる姿はまるで嫌々と踵を引きずっているように見える。何を言われるか怯えながら、二人はリーフの前に立った。
「バルジから事の顛末は聞いた。私が居ない間に好き勝手してくれたようだな」
「申し訳ございません」
 留守を預かったリーダーとしてマスカートは潔く謝った。
「客人を迎えた事はまあいいとして、私が許せないのはカルマンがしたことだ。この屋敷に泊まった客人にとんでもない事をしでかしてしまった。そして本人は悪びれることもなく、開き直っている」
「それもまた私の監督不届きなことです」
「もういい、マスカート。これは客人が責め立てる事だ。私に謝ったところで意味がない。しっかりとカルマンに謝罪させるんだ」
 マスカートとムッカは憎しみを込めてカルマンを一瞥した。その標的となった当人は二人の睨みなど全く眼中になかった。
 男達が叱られている緊迫した広間に、遠慮がちな声がこの時割り込んだ。
「あ、あの、失礼します」
 そこへジュジュが、モンモンシューを肩に乗せて現れた。
 リーフはすぐに反応し、ジュジュを見つめた。
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