第二章


 朝の散歩で、外に出ていたモンモンシューは、冷たい森の空気が気に入ってあちこち飛び回っていた。
 縄張りを荒らしたと見なされて、自分より大きなカラスに攻撃を仕掛けられたが、そこは負けられず、口から火を吐いて撃退していた。
 小さい体であっても、ドラゴンには変わらない。カラスが怯んで飛び去っていったことで、少し威厳を取り戻していた。
 気分もよく、元気が漲(みなぎ)って、モンモンシューは森の深くまで入り込んでいく。
 人間があまり踏み込まない神秘な森。
 何が潜んでいるのかわからない怪しさもあるが、木漏れ日が差し込む緑の中はキラキラと輝いて、モンモンシューは好奇心たっぷりに夢中になって楽しんでいた。
 繁みの葉や実を食べている小動物たちと時々すれ違えば、近くまで寄って挨拶し、小鳥達が小さな木の実をついばんでいると、それを真似して一緒に味わってみる。
 すっかり森の住人になったように、モンモンシューは馴染んでいた。
 だから、ふいに体を捕まれるなどとは考えられず、素早い動きで一瞬のうちに人間の手の中に納まっていた時は、モンモンシューも驚きのあまり呆然としていた。
 ぎゅっと握り締められ、身動き取れない。
 じろじろと自分を観察する、目の前にいる男を敵意を持った目で睨みつければ、男は優しい笑みを浮かべた。
「何も取って食おうとか思ってない。安心しろ」
 モンモンシューの敵意はすぐに喪失し、目をパチクリして見ていた。
 観察が終われば、モンモンシューはあっさりと解き放たれた。
 すぐさま、素早く男から離れるも、急激においしそうな匂いが鼻をつき、その匂いの元をくんくんと鼻を動かしてその方向を見れば、干し肉が差し出されてた。
「遠慮せずに、食べていいんだぞ」
 モンモンシューは迷いながらも、空腹には勝てず、動物の本能でそれに手を出してしまった。
 引ったくってはすぐ咀嚼する。
 また、もう一つ差し出され、二度目は若干落ち着いて手を出した。
「まだあるぞ」
 沢山餌を提供され、モンモンシューはすっかり気を許し、危なくないと判断した。
「どうやらお前は、天空の国の麓に住むドラゴンだな。だが魔術がかけられているようだ。だから小さくなったのか」
 自分にかけられた言葉など上の空で、モンモンシューは干し肉を満足げに食べていた。
「赤魔術か…… いや、また何かが違う複雑な魔術だ。魔術にしては不思議な粘りがあり、かなり強力でやっかいだ。これは魔術をかけた者しか元に戻せない。 しかし、急ぐこともないだろう。まあ、当分はその姿の方が便利に違いない。とにかくしっかりとジュジュ王女の側に居てやれ。それじゃ、また後でな」
 踵を返すと男の長い髪がなびいた。その後姿をモンモンシューはキョトンとして見送っていた。
 
 ジュジュは男達から誰を選ぶか訊かれ、どのように答えてよいのか戸惑いながら思案していた。
 自分は拘りを持って、助けてくれた人を求めてここにやってきた。それが複数当てはまりそうな人達がいて、この中の誰によって助けられたのか、言い当てる自信がない。
 一人だと思っていたから、一途にずっと思いを持ち続けていたが、もしあの時、複数存在し、分担して助けられていたと考えたら、一度に四人を好きになったという事になるのだろうか。
 記憶が曖昧で、目も見えなかった状態では、間違って思い込んでる可能性もある。
 自分は何に執着しているのか、ジュジュはわからなくなってしまった。
「あ、あの。私、わかりません」
「遠慮せずに、はっきり言ってくれていいんだよ」
 カルマンはもどかしげに、答えが知りたくてたまらない。
「もういいじゃないか。こんな質問馬鹿げてる」
 マスカートは、気を逸らそうとしていた。
「まあ、男なら知りたくなってしまうが、選ぶのがこの四人の中からじゃ、ジュジュもかわいそうだぜ」
 ムッカもへりくだって誤魔化そうとしていた。
「でもジュジュは、この中に好きな人がいるからここにやってきたんだろ」
 ストレートなカルマンの言葉が、ジュジュの耳に届いた時、ジュジュは持っていたフォークを思わず手から落としてしまった。
 カチャンとお皿に当たった音が鋭く響く。
「おい、カルマン、何を言うんだ。お前は言わなくてもいいことを、簡単に口に出すんじゃない。ジュジュ、カルマンは好き勝手に言わないと気が済まないから、放っておいてやってくれ。こいつは本当に空気読めないというのか」
「マスカート、その気遣いって変だよ。気遣うって事は、マスカートも僕と同じ事思ってるって証拠だよ。というか、ジュジュ、僕たちもう知ってるんだ。ジュ ジュは助けて貰った時に、その助けて貰った人を好きになってしまったこと。隠さなくっていいよ。だけどジュジュも、なぜか記憶が曖昧で、この中の誰を好き になったのか分からないんだろう?」
 さすがカルマンだった。怖いもの知らずに、なんでも口に出すその姿勢はある意味、潔く清々しい。
 しかし、周りは直球過ぎてドン引きしていた。
「よくもお前はそう、シャーシャーとなんでも口にするもんだな。こいつは本当に始末が悪い」
 ムッカが露骨に嫌な顔をした。
「わ、私…… その」
 全てお見通しされていたと、ここで初めて知って、ジュジュは恥かしさのあまり、溶けてなくなりそうに気が遠くなっていく。
「それでさ、その助けた者だけど、それは僕だよ。僕が危ないところを助けて、ジュジュを抱えて運んだのさ」
「えっ!?」
 ジュジュははっとしてカルマンを見つめた。
 あどけない少年のような笑顔で、ジュジュを見つめ、自信たっぷりに堂々としていた。
 マスカートもムッカも、これにはやられたと思った。カルマンなら堂々と嘘をつくと分かっていたが、それを目の前で見せられると、驚きすぎて却って反論する言葉がすぐに出てこない。
 二人はお互い顔を見せ合いながら、なんとかしてくれと無言で言い合う始末だった。
 ジュジュも、こんなにもはっきりと言われたら、鵜呑みにしてしまいそうになり、カルマンから目が離せない。
 危ないところを助けられ、その後抱きかかえられた部分はその通りなので、記憶と重なるとドキドキ心臓が高鳴り、手足が震えていた。
 誰もがカルマンの策略に飲まれてしまうかと思われた、その時だった。
「この中の誰もジュジュを助けてない」
 落ち着いたバルジの低い声が届き、驚きに縛り付けられていた呪縛が解けた。
「ジュジュ、カルマンの言ってる事ははったりだ。惑わされるな。私達の誰も、ジュジュを助けた人物ではない」
「バルジ、なんでそこで邪魔をするんだよ。折角ジュジュは僕の事好きになりかけてたのに」
 カルマンは嘘だとばれても反省の色がなかった。マスカートがそれを見て切れた。
「カルマン、止めろ! お前はどうして、そんなにトラブルメーカーなんだ。もういい加減にしろ。ジュジュ、すまない」
「マスカートが謝る必要はないわ。でも、カルマンの言った事は嘘なの?」
「そうだ、全部嘘だ。もうこういうの俺は嫌だ。カルマンにかき回されて、あー疲れたぜ。本当にこいつには呆れる」
 ムッカも我慢の限界だった。
「なんだよ、皆。僕ばっかり悪者みたいに」
「その通りじゃないか」
 ムッカは腹が立ちすぎて、目の前にあったリンゴをカルマンに投げ飛ばした。
「ん、もう。食べ物を粗末にするな」
「ジュジュ、これでわかっただろう。この屋敷に居る価値などないことが。そろそろ身支度するといい」
「おい、バルジ。リーフにジュジュが居られるように説得したのに、なんで急に手のひら返してるんだよ」
 カルマンが膨れ面で反論した。
「カルマンの度が過ぎるからだ。マスカートもムッカも結局はジュジュに気に入られようとしているのが見えた」
「なんだよ、自分だけそうじゃないという事をアピールってことなの? バルジは結構優柔不断なんだ。そうやって、結局はジュジュの気を引こうとしてるんじゃないの?」
「違う!」
 バルジがテーブルを拳で叩き、怒りを見せた。その迫力は、誰もが目を見張った。辺りが静まり返り、カルマンですら圧倒されて声を失っていた。
「さあ、そろそろ、リーフから与えられた自分の仕事をした方がいい。それからジュジュ、突然怒鳴ってすまなかった」
 バルジは席から立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。
 ジュジュは何かが引っかかり、バルジの後を追った。
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