第二章

 9
「待ってバルジ」
 呼び止められたバルジは、背中を向けたまま立ち止まる。ジュジュは小走りに回り込んでバルジと向き合った。
 バルジの瞳はどこか揺れ動き、戸惑いを見せる。
 体は誰よりもがっしりとして大きいのに、この時は子供のように何かを心配して不安になっていた。
 先ほどの怒った姿も、この時の姿も、バルジ本来の姿らしくなく、ジュジュは何かを敏感に感じ取った。
「もしかしたら、バルジは何かを知ってるんじゃないの? バルジは誰よりも無口で余計な事を言わないけど、大事な事だけは主張する。ひたすら様子を見ているような気がするの。その裏に、何かを隠して」
「ジュジュの言ってる意味がわからない」
「だから、私が誰に助けられたか知ってるんじゃないの?」
 バルジは首を横に振る。
「もしかして、バルジが助けてくれたの?」
「私ではない」
 即答で返って来たバルジの目を見れば、無理にジュジュを捉えているように見えた。それがなぜか嘘をついてるように思えてならなかった。
 ジュジュの瞳にも、その疑いの陰りが移りこんでいる。バルジはそれをしっかりと見ていた。
「ジュジュ、どうして助けて貰った人に拘るんだ?」
「私、その人にもう一度会いたいの。助けてもらった時に抱いた気持ちが忘れられなくて…… それできっちりとお礼もいいたいし」
「そっか、それじゃしっかりと探さないとな。これだけははっきりと言えるが、マスカート、ムッカ、カルマン、そして私では絶対にない」
 深みのあるブラウンの瞳はその時、揺らぐことなくジュジュを映し込んでいた。
「ジュジュ、私は何の助けもできないが、ジュジュがその人に会える事を願ってる。私はこれからリーフに与えられた仕事があるからそれに従事しないといけないが、後はマスカートたちが安全な場所まで送ってくれるはずだ」
 ジュジュもまた、これ以上ここに居られない事は充分承知していた。
「バルジ、色々とありがとう」
 バルジは最後に笑みを浮かべ、そして静かに歩いていった。
 ジュジュもまた、潔くこの屋敷から出て行く心構えをする。ここには自分を助けてくれた人物は居ない。行き当たりばったりで来てしまっただけに、もう少しこの森の事を調べる必要がある。
 まだ道は閉ざされた訳ではない。必ず助けてくれた人を見つけられると信じて、前向きに捉えようとしていた。
 ダイニングルームに戻れば、モンモンシューがテーブルの上を飛び回っていた。自分の事ばかりに気を取られて、すっかり存在を忘れていた。
「モンモンシュー、今までどこに居たの?」
 モンモンシューはジュジュの側に近寄り、何かを伝えるように、手を近づけて口をパクパクさせている。
「お腹がすいたのね」
「それが、違うみたいだ。私も食事を提供しようとしたが、チビは食べなかった」
 マスカートが言った。
「モンモンシュー、何か食べてきたの?」
 モンモンシューはしきりに首を縦に振り、餌を貰った人の事を伝えようとするが、ジュジュにはさっぱりわからなかった。
「自分で狩りでもして得意がってるんじゃないのかな。それより、バルジとは何を話してたの?」
 先ほど自分が嘘をついて、ジュジュを騙そうとした事はすっかり忘れ、カルマンが露骨に様子を探ろうと首を突っ込んでくる。
 モンモンシューは自分の邪魔をされて気に入らず、カルマンの周りを飛んで抗議していた。
 しかし軽く手ではたかれ、その後はヤケクソになってどしりとテーブルの上に座り込み、手当たり次第に食べ物を腹に詰め込みだした。ストレスを感じて自棄食いらしい。
 そんなモンモンシューの様子を誰も気にかけず、その時、みんなはジュジュに注目していた。
「最後のお別れをしたの。あのまま、さようならをするのは嫌だったから」
 この屋敷を出る心構えをしたジュジュの心情を汲み取ると、マスカートもムッカもやるせなくなる。
「そっか…… それじゃ、私達もそろそろ行こうか」
「行くしかねぇーな」
 二人はしぶしぶと立ち上がった。
「ねぇ、なんとかならないのかな。ジュジュをリーフに隠れて匿うとか」
「おいおい、ジュジュは何も悪いことしたわけじゃないんだぞ。カルマン、頼むから黙れ」
 ムッカが指を向けて非難した。
「匿ったところで、ジュジュはもうこの屋敷に居る目的はないじゃないか。だって私達は助けてないんだから」
 マスカートは寂しくジュジュを見つめ、無理に笑おうとしていた。
「だけど、森で罠に掛かったとき、助けてくれたのは皆さんです。ちゃんと皆さんに助けてもらいました。本当にありがとうございました」
「そしたら、今度来る時はお礼待ってるからね」
「カルマン!」
 マスカートとムッカに同時に名前を呼ばれ、カルマンは舌を出し、ジュジュにウインクをしていた。
 ジュジュはこの三人のやり取りが見納めになるかと思うと、少し寂しい。
 あの時助けて貰った人はこの中に居なくとも、この強烈な男達と一緒に過ごすのはとても楽しかった。自分の城では決して得られない付き合いが、少なくともここでは体験できた。
 目的は置いといて、もう少しこの男達と一緒に過ごしたいと思えてくるから不思議だった。
 最後にもう一度リーフに挨拶をしたいとジュジュは申し出たが、マスカートは首を横に振った。
「多分リーフは休んでるはずだ。わざわざ起こすこともないよ。起きたとき機嫌が悪かったら、後味がさらに悪くなるだろ。放っておいていいよ。あんな奴」
 雇い主を蔑むような言い方は、マスカートのせめてもの反抗だった。
 ジュジュは何も言わず、マスカートに従った。
 屋敷の玄関のドアを開けると、光が飛び込んで眩しかった。
 ジュジュは目を細め、モンモンシューを肩に乗せて屋敷を出て行く。マスカート、ムッカ、カルマンも護衛するようにジュジュの後ろから着いて行った。
 ジュジュが最後に振り返り、もう一度屋敷を見ると、櫓(やぐら)の上からバルジがじっと見ているのが目に入った。
 ジュジュは軽く手を振り、そして踵を返して森の中へと入っていった。
 そして屋敷はどんどん後ろに遠ざかって行く。
 これからどうしたらいいのだろうか。
 肩にとまっているモンモンシューを無意識に軽く撫ぜ、ぼんやりと考える。
 一度この森を出たとしても、またここへ戻ってこなければならない。それはモンモンシューに矢を放った人物を探さなければならないからだった。
 でもどうやって見つければいいのだろうか。
 このままでは城にも帰れないし、これと言っていく場所もない。
「ねぇ、ジュジュ。そんなに落ち込まないで」
 カルマンに言われて、はっとした。いつの間にか体は前屈みになり、いかにも落ち込んでいるような暗い風貌になっていた。
 気がつけば、マスカートが先に歩いて、後ろにはムッカが神経を尖らせて辺りを確認している。ムッカはジュジュの隣で付き添って歩いていた。
 前後に居る二人を気にしながらそっと耳打ちする。
「あのさ、実は僕、この森に自分の小屋を立てたんだ。僕の秘密の場所なんだ。そこを教えてあげるから、もしよかったら好きに使ってくれていいよ。ジュジュ だって折角僕たちと知り合って、このまま別れるの嫌だろ。僕ジュジュと離れるの寂しいんだ。時々また会いたいもん。でも屋敷にはリーフが居るから、あんな ことの後では気軽に遊びに来れないよね。だからその小屋で会えたらいいな、なんて思ったの」
 カルマンは励まそうとしてくれてるのか、何か意図があるのか、ただの思いつきなのか、ジュジュはなんて答えていいかわからなかった。
 適当に「ありがとう」と答えると、カルマンは素直に喜んでいる。
「いいかい、この森には僕たちがつけた目印があちこちにあるんだ。今は屋敷から森を抜けて街へ出るルートを通ってる。ほら、木の上の辺りを見てごらん」
 ジュジュは言われるまま頭を上げた。一度見るだけではカルマンの言う目印が何かわからない。
「ほうら、よく見て」
 その時、きらりと一瞬光った。それにジュジュが反応すると、カルマンはさらににこやかになった。
「緑の葉っぱで隠れてるけど、あの中には葉っぱの形を模写した光る金属板が仕込まれている。周りの色を映し出してるから、知らない人は気がつかないけど、角度を変えてよく見れば色が違って見えるようになってるんだ」
 言われて見ればカルマンの言う通りだった。
「僕たちの屋敷に迷わずに来る時は、これを目印に来るといい。僕達は何度も通ってるからすっかり覚えてるけどね」
 話を聞きながら歩いているうちに、また一つ、目印のある木を見つけた。
 ジュジュはそれを見つけて、はっとしてカルマンを見つめれば、カルマンは教えたことを得意げになりながら頷いていた。
「そうそう、その調子。これでこの森の秘密は一つ分かったね。だけどこの事は他の人には内緒だからね」
「わかったわ」
「それから僕の小屋の場所は、この道のルートから少し外れるんだ。ジュジュが罠に掛かった場所があっただろ、あの辺りに近いんだけどね。ジュジュにはこれを渡しておくよ」
 カルマンから手渡された物は、手のひらサイズの丸い銀メタルだった。そこに赤い石が宝石のようにはめ込まれていた。
「これは特殊なものでね、これを木に掲げると、一箇所だけ赤くキラッと光って反応するんだ。その赤い光が数秒だけ一定方向を示す。それを目印に歩くといい」
「すごい装置ね」
「一応僕、発明家の卵だから」
「発明家?」
「あれ、言わなかったっけ。僕は世界征服を目指しているマッドサイエンティストだって」
 カルマンは笑っていた。それが冗談なのか、本気なのかジュジュには分かりかねた。愛想程度に微笑んで誤魔化す。
「ありがとうカルマン」
 ジュジュは受け取ったメタルを大切にし、首から掲げていたショルダーバッグの中にしまいこんだ。
 カルマンのお蔭でまたこの森に来れるかもしれない。
 カルマンは一番問題を引き起こしてかき回す存在ではあるが、こうやって色んな可能性を引き出してくれる存在でもあった。付き合いに慣れればそれも悪くなく、結局はカルマンに助けられていることにジュジュは感謝した。
「あれ?」
 カルマンが不思議そうに前を見つめると、前方に居たマスカートの動きも止まっていた。後ろから様子を確かめようとムッカも走ってきた。
「なんかあったのか?」
 ムッカがカルマンに訊くが、カルマンは首を傾げている。二人はマスカートの方へ駆け出していった。
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