第四章


 翌朝、マスカートとムッカが朝食を期待してダイニングルームに入ってくるが、そこにはいつもは準備されてる朝食がない。お皿やカップすらもなかった。
 二人が顔を見合わせている時、カルマンが現われた。
「えー、朝食ないの? どうして?」
「まだ出来てないだけさ」
 マスカートが隣の台所の様子を見に行けば、静かで誰も居なかった。
 後ろからムッカとカルマンも覗き込む。
「一体ジュジュはどうしたんだ?」
「昨日の夕食もすごく簡素だったし、なんかいつもと違ったよね」
 三人は首を傾げていた。
 バルジが外から薪を持って台所に向かってやってくる。
 マスカートが一応訊いてみた。
「外でジュジュ見なかったか?」
「いや、見なかったが。ジュジュがどうかしたのか」
 「それがさ、まだ朝食の支度ができてないんだ」とカルマンが言えば、ムッカは「いつもなら温かい湯気と共に笑顔で朝を迎えてくれるのにだぜ」と付け加えた。
「昨日もなんか変におかしかった様子だった。もしかして具合でも悪いんだろうか」
 マスカートが病気説を疑うと、誰もがハッとしてジュジュの部屋めがけて走って行った。
 ドアをノックし、暫くするとかんぬきを外す音が中から聞こえ、ドアがゆっくり開いた。隙間からぬぼっとジュジュが恐る恐る覗く。
「ジュジュ、大丈夫かい?」
「どこか具合が悪いのか?」
「お腹が痛いの?」
 皆が次々に心配の言葉を掛けた。
「ごめんなさい。寝坊しました」
 ジュジュらしからぬ気の抜けた声だった。
 みんなは顔を見合わせた。
 その後、ジュジュはすぐに仕度をするからと急いで服を着替え、そして慌てて朝食の準備に取り掛かった。
 だが明らかに動きが変で、いつもは完璧に作る目玉焼きも、卵が上手く割れずに黄身が横に流れている。パンもこげこげになり、真っ黒だった。
 みんなが、心の中でおかしいと思っている時、「ジュジュ、やっぱり変だよ」とカルマンははっきりと本人に言った。
「ごめんなさい」
「一体どうしたんだ。さっきからその言葉ばかり言ってるように思うのだが」
 マスカートが気を遣いながら伺う。
「ジュジュ、何かあったんなら、俺達に正直に言ってくれ」
 ムッカの言葉にジュジュは動揺して、瞳が揺れていた。
「やっぱりなんかあったんでしょ。その挙動不審な態度が怪しすぎるよ」
 カルマンには何を言って取り繕っても誤魔化せないとジュジュは思う。しかし、どうしても正直に言える訳がない。
 ずっと恋焦がれてた人がやっぱりこの屋敷に居て、それが誰だか判ったなんて言ったところでどうする。
 それがリーフだと判ったからといって、単純にリーフに自分の思いをぶつけることができない。
 ジュジュが助けられた人を求めてここに来た理由を知っているにも係わらず、リーフは気がついていたのにそれをなぜ言わなかったのか。
 一時は探すのを諦めて、セイボルとの密会を楽しんでいた自分。
 今更リーフが助けてくれた人という理由だけで、セイボルを無視することが出来なくなっていた。
 二人が同じ顔という事もすごく混乱を招き、どっちが好きか決められなくなっていた。
 もつれ合った紐がぎゅっとするほど絡み合い、まっすぐに解けない状態。考えれば考えるほどわからなくなり、ジュジュは彷徨っている。
 カルマンを前にして彼を見ているはずなのに、目の焦点が合ってない。
 カルマンはジュジュの顔の前で手のひらを左右に振って、呆れた顔をしていた。
「ちょっと、ジュジュ、もしもし、聞こえる?」
「えっ?」
「ダメだ、ジュジュ壊れてるよ」
 ジュジュはなんとか誤魔化せないかと頭を働かした。
「あの、昨日からモンモンシューがいなくて……」
 それは事実だった。キスを迫ってきたセイボルを突っぱねて逃げてきてから、モンモンシューが自分に寄り付かなくなった。
 その理由はなぜだか分からないが、モンモンシューは自分の体を犠牲にしてまで一緒について来てくれたからジュジュが煮え切らない態度でいたことが気にくわなかったのかもしれない。
「モンモンシューならここに居るが」
 皆、声のする方に振り返れば、モンモンシューを肩に乗せたリーフがダイニングルームに現われた。
 ジュジュは雷に打たれたように体がピリピリとスパークする。内心声を出しそうに発狂しそうだった。
「昨晩、窓を叩かれて、何かと思ったらこいつが現われた。窓を開けたら入ってきて、人懐こいから仕方なく一緒に過ごした。なかなか私の部屋から出て行こうとしないので、直接連れてきた」
「モンモンシュー……」
 ジュジュは絶句する。
 モンモンシューはリーフとセイボルの区別がついてないのではないだろうか。ジュジュですら、ややこしくなっているくらいだ。ありえるかもしれない。
 リーフがジュジュの側に近づいてくる。
 ──この人が私がずっと恋焦がれて憧れてきた人
 やっと事実が判明したというのに、ジュジュは怖気ついてなぜか後ろずさってしまった。
 リーフは訝しげな表情になり、目つきを鋭く尖らせた。
 モンモンシューをジュジュに渡そうとするが、モンモンシューはジュジュの元に行こうとせず、リーフから離れようとはしなかった。
「モンモンシュー!」
 ジュジュが大声を出すと、それが気に食わなかったのかびっくりしてどこかへ飛んでってしまった。
「喧嘩でもしたのか?」
 ジュジュは首を横に振る。そしてじっとリーフを見つめた。
 リーフは目を細め、ジュジュの視線を撥ね退けるように顔を顰めた。そして踵を返して用はすんだとばかりに去っていった。
 それはリーフらしい、いつもの態度ではあるが、ジュジュには胸を締め付けられるくらい辛かった。
 リーフを呼び止めたいのに、それが出きず、リーフはジュジュの事など一切気にせずに背中を向ける。リーフにはジュジュの存在などどうでもいいと思えてならなかった。
 そこに同じ顔をしたセイボルが思い出される。
 セイボルはジュジュの事を常に考え、ジュジュのためにと魔術を使って楽しませてくれる。セイボルとリーフのポジションが反対だったらいいのにと都合のいい事をつい思ってしまう。
 それを考えた時、ジュジュは恐ろしいほどの罪悪感に苛まれ、セイボルに申し訳ないと思ってしまった。
 自分は一体何を考えているのか。
 ジュジュは自分がとても嫌になっていた。

 皆から心配され、常に様子を伺う視線がジュジュに向けられると、皆の気遣う気持ちは有難いと思っても、ジュジュは居心地が悪くなる。見られている時は気 が抜けないくらい、向きになって掃除する。何度も同じところを掃除しているというのに、それに気がつけないくらい、ジュジュの心そこにあらずだった。
 時間の感覚もわからず、気がつけば暗くなりすでに夕飯の支度に取り掛からないといけなくなった。
 裏庭の井戸で水汲みをしながら、ジュジュは空を仰ぐ。セピア色の雲が薄っすらと赤く染まった空を流れていく。気の早い星がすでに顔を覗かせ、光りだしていた。
 それを見ていると、キラキラと光るイルミネーションを思い出し、セイボルの事を考えてしまう。
 外に出るたび、ついセイボルの姿が木の陰から現われないかつい見てしまう。水を汲んだ桶を持ち上げようとしたその時、長い髪が木の間から見えたような気がした。
「セイボル?」
 そっと名前を呼んでみた。そして近くまで足を向けたが、誰もそこには居なかった。
 前日に突き放してしまったことが気になり、それでセイボルはここには現われにくいのかもしれないとジュジュは思う。だが、また顔を合わせても、何を話していいのかわからない。
 リーフが自分の探している人だとわかったのに、すっきりできない感情を胸に詰まらせていた。なぜ苦しく思うのかすら、ジュジュはわかっていない。
 日が落ちて闇が森に広がるその様は、ジュジュの心の奥にも宿っていくように思われた。それ以上暗くなる森を見つめられなくなり、ジュジュは踵を返した。
 ふと顔を上げたその向こう。井戸の側に人のシルエットが薄暗い裏庭で浮かび上がっている。静かに立って、ジュジュを待っていた。
 ジュジュはゆっくりと近づく。
 そこに居る人物が誰か分かったとき、ジュジュの胸がドクンと大きく波打った。
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