第四章


「リーフ」
 小声で名前を呟くジュジュの声は消え行く吐息のようだった。
 聞きたい事はあるのに、その後声が伴わず、その先は口がわなわなと恐れるように震えてしまう。
「どうした、何か私に言いたいことがあるんだろ」
 脅迫にも似た、強い威圧感。確かめたい事はあるが、身が竦んでしまい、その後は何も言えなくなる。目の前の人がずっと思い焦がれた人であるというのに。
「…… いえ、別に」
 やっとの思いで口をついて出た言葉は、自分でも虚しかった。
「でもジュジュが呼んでるってバルジから聞いたのだが」
「えっ、私が呼んだ? いえ、私は何も言ってません」
 突然の事にジュジュは戸惑い、リーフは怪訝に顔を歪ませた。
「しかし、私を見たとき、何か言いたそうだったが」
 ジュジュは心の中で葛藤する。この機会を利用して本人に確かめるべきか、否か。
 口許だけは、何かを伝えたそうに微かに動くのに、喉の奥で声を止めているそんな状態だった。
 リーフはそれを見逃さない。ジュジュが何を言おうとしてるのか自分の耳で確かめたくなる。
「やはり何かをいいたそうにしてる」
 ジュジュは首を横に振り、リーフを避けるように井戸の側に置いてあった水桶に手を伸ばすと、リーフはいきなりその手を掴んだ。
 ジュジュの息が一瞬止まった。リーフに振り返り、また対峙する羽目になる。
「それなら、私が訊こう。ジュジュ、私の事をどう思う?」
 リーフの強気の目許。それがこの時突き刺さるようにジュジュを見ている。追い詰められて、逃れられない強制があった。
 力を込めて掴まれたところが熱く、じんじんとする。
 一向にその手を離そうとしないリーフの意気込みに飲み込まれ、ジュジュはその場で固まってしまう。
 いつまでも、リーフの質問に答えない、いや、答えられないでいると、リーフは掴んだジュジュの手を強く自分に引き寄せた。
「ジュジュ、私をしっかりと見ろ」
 リーフは避けられない命令を下すように視線を向け、答えを無理強いさせようとする。
 視線を逸らしがちにジュジュは、やっとの思いで声をだす。
「何を仰りたいのか、私にはわかりません」
「いや、ジュジュは私が気になっている。そうだろ」
「それを確かめてどうされるおつもりですか?」
「それはその答えを聞いてから決める。さあ、正直に答えるんだ。ジュジュは私の事をどう思ってるんだ」
 リーフの掴む手に更なる力が入り、ジュジュは痛さで顔をゆがめた。
「離して下さい。手が痛いです」
 顔を背け、ジュジュはリーフから逃げようとする。
 リーフが助けてくれた人であるのに、その思いはドキドキとして、決して悪い気はしない。それでも、ジュジュは素直に自分の感情をさらけ出せず、心に何かが引っかかる。
「どうしても答えないのか。ならば、私がジュジュに夢中だといえば、どう答える?」
 ジュジュは思わずリーフの顔を見てしまう。
 私を助けてくれた人。ずっと恋焦がれて思ってた人が、自分に夢中だと言ってる。
 リーフのその真剣な顔と一緒に、もう一つの顔が同時に重なる。
 セイボル。
 自分はどうしたというのだろうか。この時、ジュジュははっとした。同時に二人を好きになってしまったのではとその可能性に、自分でも衝撃を受けていた。
 同じ顔という事に惑わされ、ジュジュはこの二人を分けて考えられない。
 リーフもまた、無理にジュジュを抱きしめ、そして顔を近づけた。
「ジュジュ、はっきりと教えて欲しい。私とセイボル、ジュジュはどちらに気があるのだ?」
 ジュジュは答えられなくてただ喘ぎながら、抵抗した。
 暫くどちらも引けを取らずに、揉み合っていたが、これ以上ジュジュを抱きしめていられないことを悟り、リーフの方が折れてジュジュを解放する。
「すまない、無理やりなことをして」
 ジュジュはすぐさまリーフから離れ、桶を手に取り屋敷に戻ろうと小走りになったその時、背後で「うっ」という鈍い呻き声が聞こえた。
 ジュジュが振り返れば、そこには長い髪がなびくシルエットがリーフのと共に重なっていた。
「セイボル?」
 ジュジュが名を呼んだ瞬間、リーフが突然地面に膝をついて倒れこみ、もう一人は長い髪をなびかせてすぐさま森の中へと掛けていった。
 一瞬の事で頭が混乱するも、リーフが苦しんで悶えている姿にハッとして、ジュジュは持っていた水桶を落とした。
 この薄暗い中で、リーフの横腹からじわりと黒い沁みが広がっていくのが見え、それが何かと気がついたとき、ジュジュは無我夢中で叫んた。
「誰か、誰か来て!」
 その声を聞きつけて、マスカート、ムッカ、バルジが駆けつける。
「どうした、ジュジュ!」
 ジュジュがしゃがみこみ、リーフを支えている。そのリーフのわき腹が血で染まっていた。
「リーフがナイフで刺されている!」
「一体何があったんだ」
 マスカートもムッカも顔を青ざめショックを受けていた。
 ジュジュは泣きながら、森の暗闇の中に向けて指を差した。
「セイボルが現われて、それでそれで……」
 ジュジュは信じたくなかった。セイボルがリーフを刺すわけがない。しかし、長い髪がなびいていたのを見てしまった。
 マスカートとムッカはジュジュが指差した森の中めがけて走っていく。
「ジュジュ…… うっ」
 リーフが息を荒くしながら、必死に何かを伝えようとする。
「リーフ、喋っちゃダメ。バルジ、なんとかして」
 バルジはリーフを抱え、台所の勝手口へ駆け込み、調理台のテーブルの上にあったものを無造作に押しのけ床に落とした。その上にリーフを寝かし、戸棚から酒を取り出してそれを傷口に掛けた。リーフは焼けるような痛みに、苦しみもがく。
「ジュジュ、清潔な布だ」
「はい!」
 ジュジュはキビキビと言われた通りに用意する。

 皆がリーフの負傷で慌てている中、カルマンだけが落ち着いていた。
「えっと、ここかな。それともここかな。くそっ、一体どこだよ。早くしなくっちゃ」
 リーフの書斎でカルマンが何かを探していた。普段は入れない部屋。みんなが騒いでいる間がチャンスだった。
「プギャー」
 不意に後ろからモンモンシューがカルマンの背中に体当たりする。
「いて、なんだ、チビか。邪魔しないでくれ」
「モキュッ、キュキュ、キュー!!」
「うるさいなもう」
 カルマンは容赦なく、モンモンシューをはたいた。モンモンシューも負けずに、再びカルマンに向かっていく。そのやり取りが何度か続き、カルマンのイラつきも最高潮に達した。
「邪魔しないでっていってるでしょ」
 モンモンシューを掴み、そして思いっきり投げつけた。そこにあった本棚にモンモンシューはぶつかり、モンモンシューも最高に腹が立って、カルマンに火を噴出した。
 カルマンの服にチリチリ燃え移り、カルマンは慌ててそれをはたいて火を消すが、中々消せずにあたふたして闇雲に動き回っていた。
「アチチチチ」 
 騒ぎまくっていると、部屋の壁に掛かっていた絵にぶつかり、ガチャンと落としてしまう。
 やっとの思いで火を消し、前方を見れば、絵の掛かっていた壁のところが四角く空洞になっている。
 なんだろうと近づいて中を覗けば、下に引っ張る取っ手がぶら下がっていた。カルマンは迷わずそれに手を掛け、強く下に下げた。
 そのとたん、壁だと思っていた部分が引き戸のようにスーッと動く。モンモンシューもこの時は一時停戦して一緒になって様子を見ていた。
 その向こう側には小さな部屋が現われ、更なる書籍が棚に並んでいた。そこで何かにぎょろりと見つめられ、ハッとする。
「誰かいるのか?」
 だがそれは動くことなくじっとしたままだった。よく見れば、カルマンのよく知ってるものだった。
「あれ、なんでこれがこんなところに」
 モンモンシューもそれに近づき、先日地下室で見たものと同じだと思って、じろじろ見ていた。
「おっと、こんなことしてられない」
 カルマンは再び辺りを物色しだした。そしてやっと自分の欲しいものを見つけた。
「あった。やっぱり隠してたんだ、魔術界の禁断の呪文書」
 禁断の呪文書は滅多に市場に出回る事がない、魔術界のトップにしか見ることが許されない本だった。なぜリーフがこれを持っているのか分からないが、そんなことよりも、それがここにあるという事が人生最大の幸運だった。
 カルマンがここへ来た時、偶然リーフがこれを手にしていたのを見てしまった。それ以来、この本が欲しくて、リーフの部屋に入る機会を狙っていたが、本人 が居る時はもちろん入れず、留守のときもいつも厳重に鍵が掛けられ、バルジが完璧にこの部屋を守り、中々入るチャンスがなかった。
 今夜はその最大のチャンスの日だった。多少のアクシデントはあったとはいえ、そのお蔭でここまで辿り着けた。
「これが手に入れば、もうここには用はない。これで僕はこの世界を君臨してやる」
 その時騒がしくドタバタと足音が近づき、同時に自分の名を呼ぶ声が聞こえる。どうやらすぐそこまでマスカートがやってきていた。
「くそっ、しまった」
 逃げ場を塞がれたら、一環の終わりだった。一か八かで窓から出ようかと思ったが、突然下から冷たい風が吹き上がるのを感じ、足元に目をやれば、地下へ続く扉が床にあった。床にめり込んでいた鉄の輪っかをつまみ出し、それを上に引っ張れば、扉が開いて階段が現われた。
 カルマンはすぐそこに飛び込んで、地下に入った。そこは通路になっていて、どこかと繋がっている様子だった。薄暗いが、壁伝いにまっすぐ進んで、破れかぶれになって逃げていた。
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