第一章


 葉羽の母親は俺を冷房の効いた涼しい居間に通して、そして冷たい麦茶とお菓子を出してくれた。
 喉が渇いていた俺は、遠慮なくすぐ麦茶を口にした。
 甘いジュースを出されるより、その冷たいすっきりとした麦茶は香ばしくてとても喉越しよく、俺の喉の渇きを潤してくれた。
 俺が麦茶を飲むのを、葉羽と兜が見守るように見ていた。
「おかわりいる?」
 葉羽が空っぽになったグラスを見つめ、俺に問いかける。
 俺は首だけを横に振って断った。
 兜は口数少なかったが、次第に好奇心が抑えられなくて、自分の玩具が入った箱を引っ張り出して俺の側に座った。
 目の前に何かのキャラクターの縫いぐるみやロボットが広げられ、得意げな顔をするので、「すごいな」と、羨ましくもないけど演技で羨ましいフリをしてやると、すぐに打ち解けてきた。
 ちょろいもんだった。
 普段姉とばかり遊んでいるだけに、男の俺と遊ぶ事が楽しく感じたのだろう。
 人見知りだった消極な態度が一変して、笑顔ニコニコと俺にすり寄り甘え出してきた。
 俺も芳郎兄ちゃんと遊んでもらった事を思い出し、昔の自分を見ているようで、兜とはなんとか上手くやって行けそうな気になった。
 男同志だと気を遣う事もない。
 でも目の前の葉羽にだけは、どのように接していいのか、俺は逡巡していた。
 葉羽も同じ思いなのか、まだ恥ずかしげに目だけはじっと俺を見ていた。
 俺もよその家に招かれてる分、立場は分かっていたので、とりあえずは殊勝に話しかけてみた。
「葉羽もおもちゃ持ってるの? だったら見せて」
 女の子の玩具など興味もなかったが、こういうのは自慢して嬉しいということもあるので、話を円滑に進めるためにとりあえず訊いてみた。
 葉羽は最初はもじもじしてたが、見せたいものがあったらしく、部屋を飛び出して再び色んな物が入った箱を抱えて戻ってきた。
「それ、何?」
 箱の中は玩具が入っているというより、カラフルな道具が顔を覗かしていた。
 葉羽はその中の一つを取り出して、突然わざとらしい声をリズムよく上げた。
「種も、仕掛けも、あ〜りません!」
 葉羽が取り出したものは、少し大きなマッチ箱のような木箱だった。
 中身を俺に向けて見せてくれると、空っぽだったが、葉羽がその中に小さなコインを入れ再び蓋を閉じた。
「それでは今からこのコインを消して見せます。えいやっ!」
 掛け声をかけてから、再びスライドさせて箱の中身を見せてくれた。
 葉羽は笑顔一杯に俺を見ていたけど、俺は固まったようにじっとして、何の反応も示さなかった。
 というより、呆れて唖然としていた。
 こんな手品は見慣れているし、種もわかっている。
 仕掛けがあるから、コインは箱のどこかに引っかかって隠れているだけで、消えたと思わせる。
 それだけで白けるというのに、この場合、そのコインはそのままそこに座っていて、全く消えてなかったから、正直俺はどうリアクションしていいのかわからなかった。
 この場合、よそ様のお宅にお邪魔しているということで、とりあえずはおだてるべきなのか、それとも優しく残念だったと労うべきなのか。
 それにしても滑りすぎて、おだてる要素も、労う要素も全くない。
 その失敗に葉羽もやっと気がついたのか、バツが悪そうにして、ただ取り繕うようにごまかし笑っていた。
 その後は機転を利かして開き直ることにし、恥ずかしさを払しょくしようと踏ん張った。
「悠斗君を笑わせるために、わざと失敗しました」
 そんないい訳を言っても、笑ってない俺の顔を見て葉羽は焦り、益々恥ずかしくなっていく。
 それを察知した兜が横からフォローした。
「お兄ちゃん、気にしないでいいよ。お姉ちゃん、いつも失敗してるから」
 淡々と弟に言われ、葉羽はぐうの音もでないで、ひたすらその場で固まっていた。
 俺は見兼ねて、口を開く。
「ああ、そうか。でも掛け声とかは、よかったと思う、多分……」
 とりあえず褒めるところを見つけて、子供心ながらよく言えたなと思った。
「そっか、掛け声は良かったのか。よっし、もっと頑張って皆が喜んでくれるようなマジシャンにならないと」
 葉羽は俺の褒め言葉に助けられ、俺のなけなしの無理した優しさでほっとして、挙句に親近感を抱いて俺との距離がぐっと近くなったような気がした。
 失敗がなぜか功を奏したお蔭で、同じ部屋で一緒に過ごす俺たちは、自然と仲良くなる法則でもあるように、次第に打ち解けていった。
 弾き合ってた緊張がすっかりなくなり、子供同士の他愛無い会話でその場がどんどん和んでくる。
 葉羽はマジック好きな女の子と分かっただけでも、知らずと親しみが湧いていた。
 俺も箱に入っていた葉羽のマジックの道具を触らせてもらい、少しチャレンジしてみた。
 子供用の簡単な仕掛け。
 説明がなくとも、触るだけですぐに使いこなせた。
「悠斗君、初めてなのにすごい。私なんかより素質ある」
 どこまで本気でそんな言葉を言っているのか定かでなかったが、こんな子供だましの手品セットでここまで言われると、よほど葉羽がへたくそすぎるんだといいたくなった。
 でもそれはぐっと飲み込んで、お愛想程度の笑いでごまかした。
 この時は、まだまだどちらもあどけない子供の世界があり、俺もこの姉弟と遊ぶのは気が付けばそんなに嫌じゃなくなっていた。
 兜はすっかり俺に懐いてくれたし、葉羽は慣れると口数も多くなっておしゃまな部分が見え出した。
 俺も大きな声で笑ってると、時々様子を見にきていた葉羽の母親は満足そうに笑みを浮かべていた。
 葉羽は手品の話ができるのが嬉しいのか、俺に詳しい話をし出した。
「それでね、そこのサボテン爺さんが私を弟子にしてくれたの」
 どうやら、手品はサボテン爺さんの趣味でもあるらしく、時々子供達に披露して楽しませてくれるとある。
 ただ、そのサボテン爺さんの腕と言うのは信じられないくらいのレベルらしく、その信じられないというのはプロが真っ青という洗練された技術じゃなく、無茶苦茶のなんでもありのレベルで尋常じゃないらしい。
「もうすごいのなんの、技が大きくてあっと驚くの。たまに誰かを実験台みたいにしてトリックを披露したいんだけど、皆はそれになりたくないから時々逃げた りするけど、私は楽しいから喜んで手伝うの。そしたら気に入られて弟子にしてくれたという訳。それから私はシショって呼んでる」
 それを言うなら師匠(ししょう)と「う」までしっかり語尾を発音しろと思ったが、まだ漢字と日本語の単語力が少ないために意味も良くわからず、音だけで適当に覚えたみたいだった。
「そうだ、今から遊びに行こうか。悠斗君のことも紹介してあげる。シショ喜ぶと思う」
 葉羽は思い立ったら吉日のようにすくっと立って、母親に遊びに行くと知らせると、母親は反対することなく笑顔で送り出してくれた。
 兜が俺の手を握って歩いている。
 この暑いさ中、俺は汗ばんだ手で仕方なくそれを受け入れていた。
 こんな俺に懐いてくれるのは、少しほっこりとして癒されるところがあって、正直嬉しかった。
 でもそれは、態度にでないように平常心を装って隠していた。
 この姉弟と一緒に過ごせることが、とても楽しく思ったのもそんな時だった。
 それもそう思う事が負けでもあるかのように、俺はなんだかこの姉弟に自分が染まってしまうのを変に敬遠していた。
 態度だけは不遜に、でも本心は心地いい。
 自分でもどうしようもない意地っ張りだと自覚していた。
 そんな葛藤を抱えながら、太陽の日差しを受け、汗を掻いて俺たちは歩き続けた。
 周りの家はやっぱり大きく、どの家も偉大に建っていて、この一帯が別の次元の空間に思えた。
 何かがいつもと違う、そんな気持ちが入り込みながら、よく分からないままに葉羽に案内されて、その噂のサボテン爺さんの家まで来てしまった。
 少し歩くだけで汗が沢山出てくるような夏の暑さの中、立ち止まれば、体の中の熱が益々充満して、汗がダラダラと垂れてくる。
 俺は汗を無造作に拭いながら、暫くその家を見て棒立ちになった。
 なんともでかい柱のようなサボテンが一階の高さを余裕で越えて家を取り囲んでいる。
 大きくなりすぎて倒れないように紐で家に縛り付けられて、サボテンで埋め尽くされた異様な家だった。
 それだけじゃなく色々なサボテンが鉢植えされ、それも塀の上や玄関先に所狭しと並んでいた。
「ほんとサボテンが好きなんだね」
 驚いている俺の顔を見るのが楽しいのか、葉羽は笑ってその家のインターホーンを押していた。
 中から「はい」と受け答えするかすれた声が聞こえ、「シショ、葉羽です」と応答すると、「おお、葉羽ちゃんか。ちょっと待っておくれ」と親しいやりとりが交わされた。
 そして、その後玄関のドアが開いた。

inserted by FC2 system