第二章
2
こうして俺の不登校は始まった。
俺は決して殴ってきた奴らが、怖かったわけではなかった。
それよりも、自分に降りかかる理不尽さが俺の心を蝕んだ。
努力しても報われないものを感じ、自分が思い描いている人生へと進めずに一気にやる気がなくなっただけだった。
朝起きるのも億劫となり、このままでは生きていくのも辛く感じてしまう。
最後に残っていた矜持も消えてしまうことで、俺は全てに諦観し、それを受け入れ、後は全てに冷めてどうでもよくなってしまった。
これも一種の目覚めであり、自分で気がついた悟りともいえるかもしれない。
ただ、無気力でありながらも、常に心はイライラとしてしまう。
こういうとき反抗期になるのだろうが、母親が苦労している姿をみてるだけに、八つ当たりの怒りをぶつける事は極力避けた。
その分、自分を痛めつける行為へといってしまい、俺は隠れて自分で自分の体を傷つけていた。
ナイフで線を描くように腕の皮膚を切る。
まるでリストカットをしているようだが、自殺しようとしてるわけではない。
痛みを感じることで自分の中の鬱憤と戦うような、どこまで自分はこの痛みに耐えられるのか、自分を自分で虐める行為だった。
心の中は荒んで自棄を起こしていた。
母親は俺が学校を休むことをもちろん気にはしていたが、生活がある分働かなければならない切羽詰った忙しさで構ってられず、暫くはそっと様子を見ていた。
そして担任は、成績が優秀な生徒が暫く学校に来なくなると不思議に思い、まずは電話が掛かってきた。
ここで「虐められているのか」と聞かれたら、まだまだその先生は生徒の事を考えていると少しは褒めたかもしれない。
だが先生は虐めの可能性などはなっからないと思っていたのか、俺が鬱を患っていると決めかけた様子で話してきた。
俺が母子家庭であり、生活に余裕がない事で原因は家庭にあると思っているらしい。
確かにそれもなんらかの要因の一つかもしれない。
でもきっかけとなった直接の原因はやっぱり虐めに繋がると思う。
俺はそのところを先生に、多分気がついて欲しかったのだと思う。
自分の口で直接いうよりも、察して欲しい気持ちの方が大きかった。
しかし、それすらの願いも叶えられず、俺は先生に失望した。
もし俺の口から虐めを仄めかしたとしても、目立つ生徒は先生に可愛がられているだけに信じてくれないと想像できたし、言ったところでこの先生は解決してくれないとも思った。
俺はただ聞き分けのない駄々っ子のように聞く耳を閉じ、先生の言葉など一切聞くことはなかった。
益々荒んでご飯もろくに食べなくなっていく。
そんな俺を見て母親はさすがに異常をみてとり、危機感を持ったのだろう。
しかし、離婚してからまだ全てが落ち着いてない母親には、俺の問題は重すぎた。
腕についた切り傷や益々鬱々と暗くなって口を閉ざす俺に、どうしていいのか分からず泣き出す仕舞いだった。
そんな時、伯母が救いの手を差し伸べてきた。
ある日電話が掛かってきたのだ。
「もしもし、悠斗ちゃん。あのね、よかったら伯母ちゃんの家からこっちの中学に通わない? 勉強が出来る悠斗ちゃんが学校に行かないなんて絶対おかしいわ。それだけその学校が悠斗ちゃんには合わないんでしょ。だったら伯母ちゃんのところにおいで」
その言葉を聞いたとき、俺は正直心が揺れ動いた。
でも素直に承諾できなかった。
それでも伯母は俺を『うん』というまで優しく説得してくる。
「芳郎も大学に通うために家を出ちゃったし、夫も海外出張が増えて伯母ちゃん一人で寂しいのよ」
それを言ったら、俺がいなくなったら自分の母親も同じじゃないかと思ったが、伯母の言い分は俺の思考回路を読んでいた。
「ほら、淑子は一人になっても心配いらないから。むしろこういうときは、一人になった方が楽になるんじゃないかな」
淑子とは俺の母の名前だった。
「淑子は離婚してずっと働きづめでしょ。悠斗ちゃんのこと心配しながら働くのも辛いと思う。だから中学に通う間だけ伯母ちゃんのところにおいで」
母はきっと伯母に泣き付いたんだと思う。
自分が離婚したことで息子に精神的に苦労をかけた負い目がある。
そこに急に学校にも行かず、体についた傷を見てしまったら母親も心配しておかしくなってくるかもしれない。
俺は暫く無言だったが、いつまでも諦めない伯母の説得をいい事に、結局はタイミングを見計らって承諾することにした。
「うん、わかった」
俺の小さな声が伯母の耳にも伝わる。
「そう、よかったわ。じゃあ、転校手続きとったら早速おいで。待ってるからね」
伯母との電話での話し合いが終わるとため息がこぼれた。
これで何もかも上手く行くのだろうか。
あの街は確かに居心地がいい。
伯母も金持ちでここよりはいい暮らしが出来ると思う。
でも俺はそれを素直に喜べなかった。
なんだか余計に惨めになっていく。
一時の仮のいい暮らしをしたところで、そこを出れば常にまた元の生活が戻ってくる。
一時凌ぎが、どこかみじめに情けないもののように思えてくるのだった。
それでも、ふと葉羽の事が頭によぎった。
ずっと長いこと会ってなかっただけに、思い出すのは小学生に出会ったときの顔だった。
それもあやふやな面影となって残っていたから、はっきりとは思い出せなかった。
洗面所に足を向け、俺は鏡に映った顔をみてみた。
中学二年となれば、小学生の頃の顔つきとは全然違った。
だが毎日見ていた自分の顔が、どのように変化したのかなんて、毎日見ていたら自分自身説明し難い。
ただ、目つきだけが陰険で暗い男になったと、鏡を通して思った。