第二章



 夕食後は皆で花火をしようと、花咲家の裏庭に集まった。
 夏の風物詩。
 小学生の頃は、楽しくて仕方のないイベントだったような気がする。
 今は、ただ葉羽の家族に付き合い、俺は参加を強いられて、花火の楽しさなどとうの昔に忘れたと言いたげに、そこに我慢して立っていた。
 暗いと言う事に騙されて、俺の本心をも隠し、その暑さもまた闇とともに身をひそめて、太陽が沈んだ後も、温度は急激に下がらずもわっとあたりに篭っていた。
 ねっとりとした湿気を含む夜は、意地悪く肌を撫ぜるように触れて不快感が漂う。
 じわじわと意味もなく追い詰められるような、脅迫にも似た蒸し暑い夜だった。
 突然、蚊を始末する、ぱちんと手を叩く音で、俺はハッとする。
 「あら、いやだ、蚊だわ」
 葉羽の母親が、呑気な声を出して周りをうちわであおいでいた。
 俺は葉羽が蚊に刺されないか心配になり、暗いと言う事を隠れ蓑に、彼女をじっと見ていた。
 部屋の明かりが漏れた裏庭は、ぼやっと葉羽を浮き上がらせていた。
 小学生の頃とは違う、少女の凛としたしっかりしたものが見えたような気がした。
 葉羽が俺の視線に気が付いたために、俺は慌てて目を逸らした。
 それがわざとらしくても、幾分暗い夜空の下では、かろうじて逃げるだけの余裕があった。
 こんなに近くにいるのに、まだ葉羽とまともな会話をしていない。
 お互いどこかで意識をしている。
 ぎこちないリズムの息遣いだけが、敏感に俺たちの間で感じられた。
 そんな張りつめた俺たちの間を、兜は有り余るエネルギーを押さえられず、感情高まって走り回っていた。
 お蔭で、俺たちの緊張も緩和されて、それは周りの余計なものを蹴散らすには役に立っていた。
 ただ、火を使う遊びだけに、花火の準備をしていた父親だけが、落ち着きなさいと注意している。
 俺はそれを手助けするつもりで、走り回っている兜を捕まえ、からかってやった。
 兜は俺の腕の中で、楽しそうに暴れ回り、それを葉羽が優しく見ていた。
 空気の流れが少し変わったような気がした。
 今は、それだけで十分だった。
 ゲストということで、最初に俺が花火を持たされて、火をつけられた。
 花火は勢いよく火を噴いて、バチバチと派手にスパークしている。
 その火を貰おうと葉羽が自分の花火を近づけた。
 俺は火がつきやすいように葉羽の花火の先端に自分の花火を向けた。
 葉羽の花火も火がついて同じように火が激しく燃え出すと、パチパチと音を立てた。
 ぼやっと花火の火に顔が照らされて、その時は葉羽の青白い顔もオレンジ色の光でほのかに赤みがかって見えた。
「奇麗だね」
 葉羽が呟くと、俺も「うん」と素直に言えた。
「ほらほら、もっとあるぞ」
 父親が花火をもう一本俺に渡してくれた。
 今の花火の火が消えないようにと、すぐに点火を試みるが、上手く火がつかないまま、それは消えてしまった。
 葉羽がそれを見ていて、自分の花火の火を俺に向けてきた。
 俺はそれを素直に受け取ると、また花火は燃え出した。
 その何気ないやり取りが、俺には嬉しくて、回りが暗い事を理由に俺は笑みを浮かべていた。
 俺はその雰囲気に乗って、葉羽に声を掛けた。
「葉羽、手品上手くなったんだろ。今度見せろよ」
 ぶっきらぼうながら、俺にはそれをいうのも実は照れくさく、相当ドキドキとしていた。
「うん、いいよ」
 葉羽も嬉しかったのか、声が弾んでいた。
 花火は暗闇を切り裂く激しい火を噴出してどこか攻撃的だったが、お陰でロケット噴射のごとく宇宙へ飛ぶための勢いをつけられたように、俺の心にも派手に点火してくれた。
 俺は葉羽とまた、小学生の頃のような関係が築けると思った。
 やっと調子が戻って来た。
 勢いづいた俺はさらに葉羽に話しかけていた。
「貧血はもう大丈夫なのか」
「うん。大丈夫。一週間に一度、病院で点滴打たないといけないけど、薬が体に合ったみたいで今は立ちくらみもなく楽になった」
「鉄分不足だったんだろ? しっかりと鉄分取れよ」
「そうだね、しっかりほうれん草とらなくっちゃ」
「まるでポパイだな」
 葉羽は俺の言葉に笑っていた。
「そういえば、兜が言ってたぞ。『お姉ちゃんはMです』って」
「M? 何それ?」
「だからマゾですって意味だよ」
「やだ、兜がそんなこといってたの? もう、マゾなんて言葉、どこで覚えてくるんだろう」
「兜は誰かが言ってたのを聞いたみたいだったけど、葉羽のことだから、多少しんどくなっても我慢してたんだろ。それがマゾってことなんだよ。痛めつけられることに快感を覚える」
「やだ、そんなの。そんなこと言いふらしてたなんて、後で兜におしおきしなくっちゃ」
 葉羽はこの時笑っていた。
 俺もいい調子だと思っていた。
 ところが、暫くして葉羽が俺と口を聞かなくなったのには驚いた。
 夕食を共にして花火を一緒にしたところまではよかったけど、葉羽はその後、塞ぎこむように家から出てこない日が続いた。
 またすれ違いだした。
 出会わないことで、俺を避けているようにも感じられて、俺はまた気がつかないところで何か気に障る事でも言ってしまったのかと、あれやこれやと悶悶としてしまう。
 それでも自分から積極的に行動を起こせず、外から葉羽の家を見るだけで精一杯だった。
 この夏休み、昔を思い出して一緒に遊ぼうと身構えていた俺の気持ちは宙ぶらりんとなり、それが不完全燃焼のまま、夏はあっさり過ぎ去っていった。
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