第三章



 前夜の満月の導きによる俺の行動は、次の日の葉羽の態度に即、影響を与えた。
 朝、家を出ようと玄関を開けたとき、葉羽はずっと俺を待っていた様子で、家の門の前でそわそわと立っていた。
 それはあまりにも予期せぬことだったので、朝から飛び上がるほどびっくりしてしまった。
「悠斗君、おはよう!」
 元気よく声を掛けてきた葉羽もまた、前夜の満月の光で魔力を身につけたように力強く、すっかりよそよそしさが消えている。
「お、おはよう」
 心の準備もないままに待ち伏せを食らって、俺の声が上擦った。
 そんな事もお構いなしに、葉羽は焦るようにぐいぐいと俺に迫ってくる。
「あのさ、今日、何時に帰ってくる?」
「ええっと、5時くらいには帰れるかも」
「分かった。そしたらそのときに家に来て」
「えっ?」
「待ってるから」
 それだけを言うと、家の前に停めてた母親の運転する車に急いで乗って行ってしまった。
 葉羽の母親に朝の挨拶もできないまま、あっという間に全てが一瞬で目の前を過ぎていった。
 葉羽も朝の忙しい通学の中、俺に会うためにヤキモキしながら待っていたということだった。
 ドアを叩いてくれればよかったのに、俺の朝の貴重な時間を邪魔したくないと、気を遣ってくれたのが分かる。
 急に事が動いて、それに戸惑い、頭の中で整理がつかず暫く呆然と立っていたが、学校の事を思い出したとたん、足をばたつかせて前につんのめりそうになっていた。
 葉羽の顔を見たことで、心臓がドキドキとしている。
 先ほどの葉羽の面影を頭に浮かべていると、なんだか狐につままれたような気持ちになって、そのままふわふわと足が地につかない感覚のまま学校に向かった。
 一日中そのことに気を取られて、時計ばかり気にしていたように思う。
 一体何が待っているのか、想像もつかなかった。
 学校から解放されると、俺は伯母の家に帰らず葉羽の家に直行した。
 葉羽の家の前に立つと、緊張して体が硬くなっていた。
 指までぎこちないまま、ピンとまっすぐにのばして力強くインターホンを押した。
 葉羽も俺の帰りを待っていたのか、家の外にまで廊下をドタバタ走る振動が漏れてきて、その直後勢いよく玄関のドアが開いた。
「お帰り」
 まるで一緒に住んでいるかのように、葉羽は俺を迎え入れた。
 俺は圧倒され、玄関前で突っ立っていると、葉羽は外に出てきて俺の腕を引っ張り家の中に引きずりこんだ。
「ちょ、ちょっとどうしたんだよ」
「いいから、早く」
 葉羽がなぜそんなに慌てるのかわからない。
 そしてされるがまま、俺は葉羽の部屋に連れられた。
 兜も一緒に遊びたがったが、葉羽がダメと追い出した。
「お姉ちゃんのケチ」
 兜の不満を蹴散らすように、ドアを乱暴に閉める葉羽は、いつものか弱い葉羽じゃなかった。
 使命を帯びた責任感を背負った勇者のように背筋を伸ばして、俺をしっかりと見つめる。
「一体、何があったんだよ」
「そっちこそ、昨晩なんであんなこと母に言ったのよ」
「もしかして、怒ってるのか?」
「ううん、そんなことあるわけないでしょ。感謝してるくらいよ」
「感謝?」
「忘れてたこと思い出させてくれたから」
「だからなんだよ」
「これ」
 葉羽は掌を俺に向けて両手を掲げた。
 その直後、一度グーをしてくるっとひっくり返して手の甲を見せ、そしてまた指を開いたとき、そこには赤い玉が指の間に挟まっていた。
 俺は意表をつかれて、暫し固まって葉羽の手を見つめていた。
「どう? うまくなったでしょ」
 だが、なんかバランス悪く、指の間に挟まってないところもあり、すかすかな玉の現れ方だった。
 よく見ればいくつか足元に玉が落ちていた。
 それを隠そうと葉羽は足で寄せ集めていたが、もぞもぞしていたので自然と俺の視線は足元にいった。
「何個か落ちてるぞ」
「あっ、ばれた?」
 やはり葉羽の手品はどこか抜けている。
 師匠があの調子だったからまともに教え込まれてなかったのかもしれないが、それでも以前よりは少しは上達したみたいだった。
「だけど、どうして急に手品を俺に見せるんだよ」
「だって約束してたじゃない」
「でも、あれから葉羽は俺を避けてたじゃないか」
「避けてたわけじゃない。私だって色々とあったの。悠斗君だって、ここへ戻ってきたときちょっと気難しかったじゃない」
「そうなんだけど、俺も色々あったから」
 俺たちは心の内を全て話せないもじもじした様子で、上手く伝えられないことを恥じるように見つめていた。
 いつまでもこうしていられないと、それを吹っ切って葉羽はスカッと水に流したように笑い出す。
「もういいじゃない。それより手品しよう」
 葉羽は部屋の隅に置いてあった手品の道具が一杯入った箱を引っ張り出しては、一つ一つそれを俺に見せた。
 いくつかはサボテン爺さんから譲り受けたものもあるらしく、道具を見せながら思い出話も出てきた。
「あのさ、あのサボテンはどうなったんだ?」
 葉羽は出窓に掛かっていたレースのカーテンを引くと、ちょうど突き出した窓の棚にあのサボテンが鎮座していた。
 サボテンは枯れるどころか、今も青々として健在だった。
「これ、あの時のサボテンなのか?」
「うん、そうだよ」
「こんなに元気になってるなんて」
 俺がまじまじと見ていると、葉羽はくすっと笑っていた。
「このサボテンは三回だけ花を咲かすの」
「なんでそんなこと分かるんだい」
「サボテンがそう言ったから」
「まさか」
 俺は噴出した。
「あっ、悠斗君、やっと笑った」
 やはり俺を笑わせようと冗談を言ったのかもしれない。
「なんだよ」
 俺はなんだかその指摘に照れてしまった。
 少し気分を害したようにごまかすが、この雰囲気は悪くない。
 やっと葉羽と元に戻れたような嬉しさに、体が熱くなる。
「それでね、このサボテン、あと一回だけ花が咲くの」
「と、言うことはもうすでに二回花が咲いたってことなのか?」
「うん」
「次はもっとすごい奇跡が起こると思う。前の二回もそうだったから」
「奇跡? 花が咲くと奇跡が起こるのか?」
「多分、そうだと思う」
「おいおい、すでに二回奇跡が起こったんだろ。なんでそこで多分なんだよ」
「うーん、上手く言えないんだけど、その奇跡は私の使命みたいなものだったから」
「どういう意味だよ。何言ってるか全然わかんないんだけど」
「だから、いつか悠斗君もわかるんじゃないかな」
「さっぱりわかんないよ」
「もういいじゃない。とにかく手品しよう」
「えっ、俺もか?」
「そう。これからは私が師匠で悠斗君が弟子」
「なんか下手くそな師匠だな…… っておい、勝手に弟子にするなよ」
「そっちこそ下手くそだなんて勝手に決め付けないでよ。少なくとも私の方が何も知らない悠斗君より上だと思う」
 あの腕で上だと言われると、なんだか打ち負かしたくなって、闘志が湧いてきた。
「わかったよ。俺の方が上手いところみせてやるよ」
 結局は葉羽に言い負かされた形で、俺は手品を習うことになった。
 なんだかそれも正直悪くなかった。

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