第三章



 どんどん寒さが増していき、クリスマスが近づく頃、俺は花咲家のクリスマスパーティに誘われた。
 声を掛けて貰えたのは嬉しかったし、できる事なら、花咲家でクリスマスを過ごしたいのが本音だった。
 だが、その時は母親と久し振りに過ごす事が決まっていたので、本来の自分のあの街に帰ることになっていた。
 母親は奮発してホテルの有名レストランの予約を取り、豪勢にディナーを食べようと楽しみにしていてくれていた。
 血の繋がりのある姉の家に、何不自由なく、寧ろそれ以上の待遇で息子を預けられて心配することもないけども、どこかで本当の母親としての役目が果たせずに、俺を放っていた罪悪感があったと思う。
 だから俺は花咲家のクリスマスの誘いに魅了されながらも、母親との二人で過ごすディナーを優先した。
 クリスマスに母親とホテルのレストランでディナーというのもなんだか恥ずかしかったが、これも親孝行なのかもと割り切っていた。
 久し振りにあの狭いアパートに戻れば、母親の暮らしの方がなんだか寂しげで、逆に俺の方が罪悪感を感じてしまった。
 中学を卒業して俺が高校に入るときは、またここに戻ってくるけど、その時は俺も母親を支えて行こうなんて、そんな照れくさい話を考えては一人でそれに酔っていた。
 伯母の家に預けられて、そこで新しい中学校に通い、精神も安定して、この時過去に起こった虐めの問題やその時感じた屈辱はすっかり薄れていた。
 もちろん伯父、伯母の協力の賜物でもあるけど、それ以上に葉羽が身近にいて、俺を支えてくれたお陰でもある。
 葉羽に癒されて、俺は救われたと言ってもいいだろう。
 葉羽とは最初すれちがったけど、満月のパワーを貰ってからは手品を通じて親密になっていった。
 捻くれやの俺が葉羽と一緒に行動を共にできたのも、絶えず葉羽が俺に気遣ってくれたからだと思う。
 素直になれない俺の事をよく理解しているように、いつも葉羽が俺を構ってくれた。
 俺が手品の練習を投げ出しそうになっても、葉羽はしつこく追いかけては俺をどこかで繋ぎとめようとしてくる。
 俺がそれに折れて、また練習を続けるのだが、それが嫌じゃないから俺も相当の”かまってちゃん”なのかもしれない。
 まだこれが好きとか恋とかそういうものじゃなかったけど、葉羽と一緒にいるのはとても楽しくなっていた頃だった。
 その事を母に報告するかしないか悩んでいた息が白くなる寒い夜、俺と母は予約しているレストランに向かっていた。
 母がいかにもいいホテルでしょと言わんばかりの笑顔で「ここよ」と嬉しそうに俺に知らせると、それは見上げるほどの高さのある外資系の名の知れた高級ホテルだった。
 そこのフランチレストランに予約しているというから、なんだかドキドキしてくる。
 どんなおいしいものが待っているんだろうと、レストランに足を踏み入れテーブルに案内されると、そこにはパリッとしたスーツに身を包んだ見知らぬおじさんが座っていた。
 俺を見るなり席を立ち上がり、ぴしっと背筋を伸ばして取ってつけたような笑顔を俺に見せた。
 母は俺のリアクションを気にしているのか、機嫌を伺うようにおどおどしている。
 そんな中、その見知らぬおじさんは俺の名前を呼んだ。
「悠斗君だね。いつも君のお母さんにはお世話になってます」
 俺は一応軽く会釈したが、母を見れば、心配そうな瞳を俺に向けている。
 俺はすぐに悟った。
 母の恋人──。
「とにかく話は座ってからだ」
 その場はすっかりそのおじさんに主導権を握られた。
 母は俺の反応を気にし過ぎて、口が重そうになかなか説明してくれない。
 その調子から、これはかなり真剣な付き合いで、俺に反対されるのを恐れているのが推測できた。
 俺はテーブルにあったグラスを手に取り、そして一気に水を喉に流し込んだ。
 落ち着くためには冷たいものを胃に流し込んで、感情に走らないように自分でセーブするしかなかった。
 何せ、俺にはあの親父の血が入っている。
 ここで親父のように気に入らない態度を見せるのは癪だった。

「あのね、悠斗……」
 やっと母が話しかけたとき、もう何もかも俺にはわかっていた。
「別に何も説明することないよ。二人は付き合ってるんだろ。俺に遠慮することなんてないよ。俺、別に反対しないよ」
 すらすら言葉が出てきたが、果たしてそれが俺の本心なのかと言われたら、嘘になったかもしれない。
 上手く処理できない、もやもやした感情が取り巻いて、俺自身どうしていいのかわからなかった。
 だけど、俺が嫌だと言ったところで、負の感情に焚きつけられるように、この二人の恋は障害に益々燃えがる予想がつく。
 そして結局は俺の意見に関係なく二人の間柄が続いていくのなら、ここで賛成しておく方が得策だった。
 その分、俺の明るくなりかけていた心はまたトーンダウンしていたけど。
 母は安心したのか、その後は目の前の相手の事を俺に嬉しそうに紹介してきた。
 西鶴信也、45歳。
 母の働いている会社の社長だった。
 社長といっても、従業員が5名にも満たない、小さなもので、母の一生懸命働く姿に惚れたということだった。
 俺の目から見れば、少し小太りで決してハンサムとはいえないが、真面目さが伝わってくる普通のおじさんだった。
 自分の父よりかは人格がしっかりしてそうで、それだけでも合格を与えられる。
 西鶴は初婚らしいが、離婚暦のあるしかも俺というコブつきでも一向に構わないらしい。
 よほど女性経験が少ないのか、それとも何か性格に欠陥があって今まで結婚できなかったのか、その辺は見極められなかったが、なにせ社長という肩書きはうちの母親にとったらいい条件だったに違いない。
 この先の生活の事を考えてこういう結論になったのかもしれない。
 ほんとうにこの人と結婚したいのかと俺は母に視線を向けたが、そんな意図で見つめている瞳とも知らず、母は反射的に笑みを俺に返していた。
 まあ、いっか。
 とりあえずは、あの狭いアパートから解放されて、そして多少のお金も入ってくると思えば、最終的には俺はこれでいいと妥協できた。
 だからあたり触らず、その日は無難に過ごした。
 だが何を食べたのか、味はどうだったのか全く思い出せず、食事すらしてないように空腹に良く似た虚しさが胃に漂ってる気分だった。

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