第三章



 二、三日、俺は母親とあの狭いアパートで過ごした。
 久し振りに戻ってきた住み慣れた土地だったけど、暫く離れていると感覚が鈍り、さらに母の再婚話で落ち着かなかった。
 お小遣いを貰って懐は温かかったので、気晴らしに本でも買おうと街に出てみた。
 ここの街が本来の自分の住むべき所なのに、伯母の家に住んでいるだけでなぜか蔑むように見つめてしまう。
 住む場所が変わっただけで高貴になった訳ではないのに、少し高飛車な気分になったのは、自分が偉くなったと思われたい願望だったのかもしれない。
 そんな時、賑やかな繁華街の通りにあるゲームセンターの前を通れば、柄悪くたむろしている奴らと出くわした。
 そいつらは俺の知っている顔で、忘れもしない俺を殴った奴らだった。
「芹藤、お前生きてたのか」
 こんなちっぽけな負け犬の俺のことなど無視すればいいものを、多勢に無勢で気が大きくなって俺に絡んでくる。
 学校も違うし、今では全く関係のない他校の生徒なのに、あたかも力加減をみせつけたいかのようにえらそぶっていた。
 俺は辟易して、あいつらを見るだけでムカついて吐きそうになってくる。
 俺には関係ないと無視をして歩けば、あいつらは導火線に火がついたように後戻りできずに追いかけてきた。
「お前、相変わらず生意気なんだよ。学校まで変えて逃げやがってこの卑怯者」
 何が卑怯者なのだろう。
 自分の妄想で勝手に腹を立てておきながら、全てを俺のせいにして理不尽に大勢で暴力を投げかけるくせに、なぜ俺の方が卑怯者と呼ばれるのか、俺はムカついた。
 俺も未熟者だった。
 無視してやり過ごせばいいものを、火に油を注いでしまった。
「卑怯者はそっちだろ。何もしてないのに、しかも一人に対して大勢で殴ってくるんだから」
「なんだと」
 正論も言えない、相手に本当の事を言われただけで腹を立て、声だけで凄みをつけて脅してくる。
 こういう奴はいつも暴力に身を任す。
 自分が上である事を見せ付けたいために、自分の力を誇示したいために、悪ぶって弱いものを征服したがる。
 俺は一度は逃げてしまったかもしれない。
 でも、俺の中の鬱憤がこの時掘り起こされて、昔の分までかき集めて膨れ上がってしまった。
 悔しくて、ただ我慢するだけしかなかったあの頃の俺を取り戻したくて、俺も負けずに言ってしまった。
「どうせ勉強も碌にせず、成績も悪い底辺の人間のくせに偉そうにするんじゃねぇよ」
 これは本当のことだと思う。
 俺はしっかりと勉強して転校してもいい成績を収めている。
 こいつらよりは頭がいい。
 俺が言ってこそ意味を成す言葉だと思った。
 そいつらはバカなくせに、本当の事を言われるとなぜ怒ってしまうのだろう。
 案の定、あいつらの導火線は燃えつくされ爆弾が爆発するごとく怒り狂ってきた。
「このゲロまみれ野郎、調子に乗りやがって」
 やっぱり怒ったか。
 この展開もわかりきっていた。
 今回は俺だって負けていられない。
 俺がこんなに気が大きくなったのも、どこかで母親の再婚がひっかかり、本当はそれを素直に喜べず、それまだしも、自分の知らないところで勝手に決められて腹が立っていたところがあった。
 俺も虫の居所が悪かったということだった。
 例え、束になってかかってこられようとも、俺はもうあの時の俺じゃないことを証明したかった。
 俺は辺りを見回した。
 何か使えるものはないか、武器となるものを探していた。
 一人が俺の体を取り押さえようと走ってきたが、俺は側にあった自転車を倒して道を塞いで、走り出した。
 年末の年の瀬の慌しい時、人通りも激しく、周りは追いかけっこをしている俺たちをとりあえずは見ていたが、よくある光景の一部として気にも留めていなかった。
 俺は人と人の間をすり抜け、そして手当たり次第に倒せる障害物は倒していた。
 その度に、店の人や通行人に怒鳴られたけど、気にしていられなかった。
 もっと他に殴れるような武器はないのかと走り回っていたが、追いかけてくる奴らは「逃げるなんて卑怯だぞ」とわめいている。
 だから卑怯という意味が分かって言ってるのかと辞書をなげたくなった。
 力が正義とでも言いたいのか、そんな時、前から自転車がやってきて、辺りをキョロキョロしていた俺はそれにぶつかりそうになってしまう。
 それを咄嗟に避けたとき、バランスを崩して地面に倒れ込んでしまった。
 できるだけ素早く立ち上がったが、その無駄な動作のせいで追いつかれ服を掴まれた。
 離せと抵抗しているうちに他の奴らもとうとう俺に追いついた。
 走ったせいでお互い息が上がってしまい、すぐには殴りかかってこようとはしなかったが、捕まえた事でニヤリと笑みを浮かべこれからいたぶって殴れる事に歓喜していた。
 武器になるものは周りにはなく、このままでは人数で負けてしまう。
 その時、ある手品の事を思い出すと同時に、俺はパンツのポケットに手を突っ込んだ。
「なんだよ、ナイフでも出すつもりかよ」
 相手は警戒して体に力が入ったが、俺が取り出したものを見て、笑い出した。
「お前、家の鍵を取り出してどうするつもりだよ」
 俺は鍵を持っていた。
 それは一つではなく、母親のアパートの鍵、伯母の家の鍵、まだ両親が離婚していなかったときに住んでたもう一つのアパートの鍵と三つ連なっていた。
 それで充分の数だった。
 俺はそれを右手の指の間にそれぞれ挟みこんだ。
 そして拳を作って、相手に見せ付けてやった。
 葉羽と手品の練習でボールを指に挟むトリックから咄嗟に思いついた。
 相手にとったらバカな事をしていると思っていたかもしれない。
 だが、素手で殴るよりは鍵のようなものでも、突起が拳についていればそれは充分凶器になる。
 そしてそれは期待以上の威力を出したのだった。
 しかし、だからと言って俺の勝ちだったのかと聞かれれば、俺は首を横に振ることしかできなかった。

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