第三章


 あの時に売られた喧嘩は、俺はしっかりと買ってしまい、そして勇敢にも戦いに挑んだ。
 だが数の多さで俺には断然不利であり、俺も取り押さえられて思いっきり殴られた。
 しかし俺が抵抗してあの派手な生徒を殴ったとき、俺の右の拳には鍵が挟まっていたせいで、それはちょうどあいつの頬の辺りを血に染めた。
 5針縫うくらいの傷を与え、もし殴りどころが悪ければ俺は奴を失明にさせていたかもしれないと母親から思いっきり叱られた。
 俺だって口元を切り、顔が思いっきり腫れて痛々しい姿だったのに、そのことよりも警察沙汰となって、補導されてしまったことを母親は自分の躾が悪かったとまで言い切って、自分自身を責めていた。
 警察の処分は、良くある子供達の喧嘩で大事にはならなかったが、俺としては納得がいかない。
 一番の原因は向こう側にあるのに、俺に謝れと相手の玄関先で無理やり頭を下げさせられたことも、侮辱の何者でもなかった。
 またここで俺は屈服され、悔しい思いをする。
 お互い悪かったということであっちの親も渋々納得して、喧嘩両成敗の意向になったが、俺はその時吼えてしまった。
「こうなったのも、そっちが悪いんだ。俺が学校を転校せざるを得なかったのもそいつに虐められてたからだ。俺は何も悪くない」
 しかし、大怪我をしたのは俺じゃなかった。
 この場合どっちが悪いかよりも、怪我の大きさで俺の方が武器を使った事で卑怯だと返された。
 結局はすっきりしない謝罪となり、相手の親は俺の態度で逆切れしてしまった。
 母はひたすら謝罪するばかりだった。
 なぜそんなに謝らなければならなかったのか。
 俺にはその時全く理解不能だった。
 それから年が明け、俺はまた伯母の下で過ごすこととなったが、その年のスタートは最悪の始まりとなった。
 母の再婚話がなかったことに消え去ってしまったからだ。
 それを聞いたとき、俺はなんだかほっとしてしまったが、結婚話が流れた経緯を知ったとき、俺は腹が煮えくり返った。
 俺が怪我を負わせたあの生徒の父親は、その街でも顔の効く権力を持った奴だった。
 俺の母親が近々再婚する事を知り、その相手の事を調べ上げ、そして弱小会社だと知ると、その取引先に手を回し、あの社長の結婚相手には不良の息子がいて、そんなところと取引をするのは良くないと噂を流したからだった。
 それはすぐに母の恋人、西鶴の耳に入り、なんとか取引を続けてもらおうと画作を立てた結果、母との再婚はなかったことにしてくれという事になったのだった。
 俺はこの結婚には表向きは賛成のフリをしていたけど、本心は確かに乗り気ではなかった。
 しかしこんな結果になってしまい、婚約破棄だけじゃなく、母もその会社に居られなくなり、事実上の解雇となったことは悔しすぎる。
 お陰でこの先の生活が益々不安になってしまった。
 一体どこまで俺は追い詰められるのだろう。
 正しいと思っていても、なぜ暴力を振るう、力を持ったものに征服されなければならないのだろう。
 俺はひたすら自分は悪くないと母親に訴えたかった。
 それでも結果があのような形になってしまい、訴えても虚しさが広がるだけだと思うと俺は何も言えなかった。
 母もまた直接俺には何も言ってこなかったが、普段口やかましいのを知っているだけにどこか覇気のない姿を見せられると、それが落胆して声も出ない弱った状態ということが容易に想像つく。
 俺が犯した罪よりも、そのように導いてしまった自分のふがいなさを責めるように、影で一人泣いていたと思う。
 俺は母親の幸せも壊してしまった。
 そして何より、権力を持つもの、暴力を振るうものが正義となり跋扈する世の中がつくづく嫌になって、折角普通に戻りかけていた俺の心はまた暗く卑屈に逆戻っていった。
 俺ばかりどうしてこんなに不幸にならなければならないんだろう。
 一体俺が何をしたというのだろう。
 伯母は落胆する俺を慰めようと、いつもにも増して料理の腕を振るってくれるが、それが却って重荷となった。
 伯母の前ではお世話になってるだけに、自分のいい面を見せなければならない苦しさ。
 本当は全てを投げ出して、発狂したいのに、どこまでも自分を押さえこまないといけない葛藤。
 俺はただ塞ぎこむことで、自分を殺していた。
 誰にも自分の心境を話せず、また心の中に抱え込んでいつも薄黒い煙を纏っている気分だった。
 そんな時でも葉羽は屈託のない笑顔で俺に接しては、まだ手品を教え込もうとする。
 喧嘩した傷口の事を聞かれたが、転んだと答えただけで詳しい事を何も言ってないから、俺の中で何が起こっているかなんて葉羽にはわからなかった。
 それを分かっていても、俺はあの時葉羽が言った言葉に切れてしまって、そこで初めて大喧嘩してしまった。
 それが取り返しのつかないことになるなんて──。
 もっと早く葉羽の悩みに気がついていたら、俺はあそこまで葉羽を傷つけることはなかったと思うと、それが悔やまれて仕方がなかった。
 本当に俺は自分の事しか考えられない、大馬鹿だった。

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