第四章


 MDS 骨髄異形成症候群 myelodysplastic syndromes
 骨髄機能の異常のために造血障害を起こす症候群。

 これだけ見れば何の病気かわからなかったが、血液癌の一種と書いてあったことで、これが俺を打ちのめした。
 俺はもっと詳しく知るために、色んなところをクリックして目を見開いて読んでいた。
 俺が気になったのは、この病気が完治するかということだった。
 MDSにも色々と分類され、軽度や重度と進行具合に違いがあるようだった。
 そして合併症もあり、そうなると急性白血病に移行するともある。
 その病名も恐ろしく俺の心にずしりと響いてくる。
 聞きなれない言葉の羅列が、より一層難しい病気に感じて、どうすれば治療できるのかよくわからなくて苛立っていた。
 造血幹細胞移植をしたら完治したという情報を見つけると、ドナーさえ見つかればもしかしたら助かる病気にも思えるし、その後生存率の割合が目に入り、思わしくない結果に驚き、読めば読むほどこの病気が困難なものに思えて絶望を感じていた。
 俺が知りたい言葉はたった一つ──完治。
 それをはっきり見たかった。
 闇雲にネットの情報を集めていても、調べれば調べる程情報が氾濫して、思う言葉が見つけられない。
 見つけられないのは、この病気が治らないと言われているようで、泣きたくなってくる。
 葉羽の両親のあの慌てぶりを思い出しても、なんだか悪い方向に考えてしまって、俺はその晩全く眠る事ができなかった。
 それでも椅子の上にぼうっと座っていると、いつの間にかうつらうつらと船を漕いでいた。
 寝ているのか起きているのかわからない状態。
 ハッとした時は、すでに夜が明けていた。
 朝、伯父が書斎にいる俺を見つけて、驚いていた。
「一晩中ここにいたのかい?」
 俺が頷くと、伯父の鼻からため息が抜けて行った。
 怒られるかと思ったが、言葉よりも先にまず伯父の手が、優しく俺の肩に触れた。
「大丈夫さ、きっと葉羽ちゃんはよくなるよ」
 そんなありきたりの慰めの言葉でも、ないよりはましだった。
 その日は寝不足で、朝から疲労を感じていた。
 学校にも行きたいと思えず、それよりも葉羽のいる病院に飛んで行きたい。
 伯父と伯母にそのように話せば、難しい顔を俺に向けた。
「悠斗ちゃんの気持ちも分かるけど、あちらもきっと今は混乱して大変だと思う。だから関係ない私達は、落ち着くまで遠慮すべきよ」
「でも、伯母さん、兜が葉羽に会いたいと思ってるかもしれないじゃないですか。兜は身内でしょ。だったら俺が病院に連れて行けるし」
「だけど、花咲さんからは落ち着くまで預かって欲しいとの約束だし、いくら兜ちゃんが身内でも、向こうから連絡があるまで待つのが礼儀だと思うわ」
「そうだよ。あちらの親御さんだって心配で仕方ないんだよ。そんな時に関係ないものが現れたら、気を使うし、余計にしんどくなると思うんだ」
 伯父まで難色を示した。
「でも、もし葉羽に何かあったら、俺……」
 泣きそうになる俺の気持ちも分からないではないので、伯父と伯母は困った顔をお互い向けて、渋い顔つきになっていた。
 それでも首尾一貫して自分達の気持ちを変えることなく、俺は俺の普段すべき事をしないさいと施された。
「さあ、まずは朝食を食べないとね」
 伯母はその後は朝食の準備に取り掛かった。
 兜もその頃ちょうど起きてきて、眠い目をこすってぼんやりしていた。
 慣れない場所での朝に、戸惑っている様子だった。
 その日、俺は学校に行っても心そこにあらず、落ち着かないでいた。
 周りにMDSの事を聞いてみても、誰も知らず何も情報は得られなかった。
 前年の夏、葉羽の家で焼肉を食べて、そして花火をしたあの夜、俺は兜が言っていた話をマゾの意味として笑い話のように本人に伝えた。
 その後、塞ぎこんで俺によそよしくなったのは、葉羽も気になって俺のように調べて、その言葉の本当の意味に気がついたからなのかもしれない。
 暫くはショックが強くて、自分で処理できずにいたのだろう。
 MDSは癌と同じように助からないイメージがあるだけに、余命を宣告されたと同じで、相当の衝撃があったに違いない。
 両親は病名を隠して、貧血とごまかしていたが、それが嘘だとわかったとき、時折違和感を抱いたに違いない両親のおかしな態度が、その時腑に落ちたと思う。
 俺もあの両親を見ていたら、なんていい親なんだろうとは思っていたが、よく考えたら完璧すぎるほどいい親過ぎた。
 変な言い方だけど、自分の娘の病状を気にして、気丈になりすぎて無理していたんだと思う。
  本当は娘を失ってしまうかもしれない恐怖と闘いながら、必死に耐えて、良い親になり過ぎていた。
 普通の家庭なら、俺と母のように本音を言い合ったりして、必ず衝突があるはずだ。
 葉羽は元々優しい子だから我がままいう事もないだろうけど、両親はそんな我が子を必死で守ろうとして、神経を高ぶらせていた。
 だから救急車で運ばれたあの夜、ショックが強くて過度にやつれていた。
 毎週病院に通い、症状を抑える薬を投与し続け、学校の送り迎えも、できるだけ葉羽の体の負担にならないように配慮していた。
 俺がお嬢様扱いされてると思っていたのは、両親の心配と苦労であって、葉羽は普通の体じゃなかったからだった。
 毎日、いつ爆発するかわからない爆弾を抱えて、あの家族は必死に暮らしていた。
 俺が八つ当たったあの時、葉羽は人生について語っていた言葉がとても重く感じる。
 葉羽は悩んだ末に自分の病気を受け入れたのだろう。
 その上で、全てを自分に取り込んで、俺にあのように言い切った。

『どんな環境であれ、後悔のないように一生懸命生きることは皆に同じように与えられてると思う。自分でどう捉えるかで幸せになれると思う』

 それなのに俺は、何もわかってないと、ただ怒りをぶつけるだけだった。
 葉羽の方が俺よりもずっと辛い立場にいた。
 病気に蝕まれた弱い体で、しっかりと受け止めて、俺の前では笑顔まで見せていた。
 どこからあんな強い力が出てくるのだろう。
 俺なんて、すぐに愚痴って卑屈になって、感情をやけくそにさらけだしてしまうというのに。
 俺が家に帰ってきたとき、兜の姿が見えなかった。
 昼間に葉羽の母親が迎えに来て、そして病院に行ってしまったと聞いたとき、俺は胸騒ぎがした。
 その病院の名前を伯母から聞きだした直後、俺は玄関に向かって走り出していた。
 所持金は多少持っていた。
 病院は街のはずれで歩いていくには時間がかかるので、俺は一度駅まで行ってそこでタクシーを捕まえた。
 無我夢中で自分が何をやっているのかわからない。
 ただ葉羽が無事であることを確認したい一身で、病院に向かっていた。
 病院に着いたとき、受付に走って葉羽の名前を告げて病室を聞いた。
 建物の位置と部屋番号を聞いたとたん、俺はそこをめがけてダッシュした。
「あっ、ちょ、ちょっと待って!」
 後ろで受付の人が呼び止めようとしたが、自分が身内じゃないことがばれて引き止められそうに感じて、俺は振り切った。
 だが病室に着いた時、葉羽は居なかった。
 間違えたのかと思い、何度も番号を確かめ、側を通った看護師に聞いてみた。
「ここに居た患者さん? 私は担当してなかったのでわからないけど、ちょっと待っててくれる」
 俺はヤキモキしながら待っていた。
 そして再び看護師が戻ってきたとき、俺はショックで魂が抜けたようになってしまった。

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