第四章
5
傷つきやすく、すぐ卑屈になって、不機嫌さを露骨に表す最低な俺。
被害者面して、周りが悪いと決めつけ、全部人のせいにしてしまう。
上手く行かないと、どうしても八つ当たりして、文句ばかり垂れる。
いくら多感で思春期だったとはいえ、そんな甘えが許されないくらい、俺は最低だったと思う。
確かに運は悪かったかもしれない。
でも、考えようによっては明るくポジティブに捉えるべきだった。
なぜ、そんな大切な事に気が付かなかったのだろう。
何かが起こってからでは遅いのに、つい甘えて、我がままに意固地になっていた。
結局は、自分の不遜な態度が悪い方向へ向けていたのかもしれない。
自業自得。
自分の悪い癖の積み重ねがそれを招く。
今だから、そう思えてならない。
あの中学生だった時の自分を振り返れば、決して悪い事ばかりではなかった。
むしろ、俺を助けてくれる人に恵まれて、俺は幸せの中にいた。
伯父や伯母、葉羽やその家族、一度しか会ってないけど、もてなしてくれたサボテン爺さんもそうだ。
もっと早くに気が付いていたら、表情も優しく、誤解を招かずに虐めに会う事もなかったのかもしれない。
今更いったところで、遅いのだが、俺は教訓のようにそれを肝に命じておきたい。
挫折を味わう度に、違う角度から見て、考え方を改めたい。
いつかの何かの役に立つように、小さなことから変えれば、後に大きなことが変わっていく。
その一つ一つ変えようとする積み重ねが大事だと、俺は思う。
あの突っ張っていた中学生から、何年もの年月が経ち、俺はもうすぐ30歳になろうとしている。
葉羽が予言した通り、俺は教師になった。
教師になってまだまだ数年の新米だが、俺はこの仕事が大好きだ。
教師になる事を気づかせてくれた葉羽に、今は感謝の気持ちで一杯だ。
俺は葉羽の言葉通りに、教師の道を一生懸命目指した。
葉羽が言った以上、そうしなければならない使命と、絶対なるんだろうなという運命を感じていた。
そう思うのも、あれは葉羽が起こした奇跡の一つだったからだ。
そして、葉羽がなぜあの時『将来先生になるよ』と言って、俺に手品を教えたのか、それが教師になってからわかった。
今では、あの時の葉羽の手品のレッスンがとても有難く思える。
まだ教師に成り立ての頃。
手探り状態が続き、試行錯誤に工夫を凝らし、自分なりに格闘していた。
そんな時、葉羽が教えてくれた手品は、授業でも大いに活用した。
子供達は手品を利用した授業を盛大に楽しんでくれた。
「さあ、3個の玉と5個の玉をこの空箱の中で掛け合わせたら、何個になるかな」
俺が問題を作る。
「先生、その箱の中じゃ足すことはできても、掛け合わせることはできないと思います」
おしゃまな子供は、疑問を投げかけた。
俺は意味ありげに笑い、クラス全員の顔を見渡した。
「それじゃ3X5はいくつ? 皆で、せーの」
「15!」
「はい、よくできました。そしたらちゃんと15個入ってるかな?」
「きっと8個しか入ってないと思います」
「そうかな?」
そして俺は箱を開け、中から一つずつ玉を教壇の前に並べていった。
「一つ、二つ、三つ……」と数えて、八個以上の時になったときも続けて「九つ、十、十一、十二、十三、十四、十五!」と並べていった。
「ほーら15個入ってただろ」
「えー、どうして?」
「箱は最初空だったのに」
ありえないと皆びっくりしていた顔が可愛くて、俺もまた楽しんでいた。
「先生はすごい」
「そんなことないよ。先生よりももっとすごい人がいたんだよ。その人に手品を教えてもらったんだけど、その人、それ以上に奇跡が起こせるんだ」
「キセキ?」
「そう、それこそびっくりするくらいの魔法が使えて、出来ないことを可能にしたんだ」
「へぇ、すごいね」
「みんなも一生懸命頑張ったら奇跡が起こせるかもしれないよ。だから一緒に先生と楽しく頑張ろう!」
「はーい」
あどけない素直な返事が教室一杯に広がった。
俺はその時、教室の一番後ろで俺の授業を楽しそうに見ていた女の子に笑いかけた。
その女の子は、ピンクの花を一つつけたサボテンの鉢植えを抱え込んでいる。
しかもパジャマを着て、髪の毛がしっとりと濡れていた。
いかにもお風呂から出てきましたという姿に、俺はあの時を思い出して胸がきゅんとする。
泣きたくなりそうになりながら、授業を進めた。
俺はその女の子が居たから、とても張り切って大きな声でしゃべっていた。
30前にもなって、しかも授業中にときめくなんて──
そこには懐かしい顔が、俺をじっと見ているからだった。
中学生の時の姿のまま、葉羽がそこに立っていた。
思わず声をかけたくなったけど、ぐっと飲み込んで授業を続ける。
君のお蔭で、俺は人気者の先生になったよ。
きっと俺の言いたい事は、葉羽には伝わっていると思う。
満月の夜のあくる朝に、そわそわと門の前で俺を待っていた葉羽。
どんな気持ちでいたのか、今ならとても理解できる。
全ての辻褄が、この時、目の前に葉羽が現れた事でパズルのピースを埋めるようにぴったりと合った。
これが、サボテンと約束した葉羽の奇跡だった。
時を超えて、教師になった俺に会いに来てくれたのだ。
後で知ったのだが、この時サボテンは二回目の花を咲かせていた。
あの奇跡を見たとき、俺はもちろんびっくりしたけど、子供達に気づかれないように、葉羽のことは黙っていた。
葉羽が偶然のことから自分の病名に気づいてショックで塞ぎこみ、俺との関係もよそよそしくなっていたあの時、俺は満月の光に誘われて葉羽の家に押しかけた。
その時サボテンを満月の光に晒して欲しいと母親に頼んだら、葉羽はあの日そうしたのだと思う。
サボテン爺さんがいっていた、サボテンの不思議な力が、この時奇跡を起こしたと俺は信じている。
俺が訪ねたあの晩、葉羽はお風呂に入ってた。
その後で、母親から俺の伝言を聞いて実行したに違いない。
あの満月の夜にあのサボテンは花を咲かせ、奇跡を起こした。
俺の授業に現れた葉羽の髪の毛が濡れていて、パジャマを着ていた姿を見たら、あの時の葉羽だと疑う余地はなかった。
俺の教師になった姿と手品をしているところを見て、葉羽は自分の役割を感じたのだろう。
そう思えば、あのときの会話の辻褄が合うし、葉羽がいった言葉の意味も理解できる。
『うーん、上手く言えないんだけど、その奇跡は私の使命みたいなものだったから』
葉羽は未来の俺をあの時見たから、手品を教えようと慌て出したのだ。
例え自分が重い病気と知ってしまっても、塞ぎ込んでる暇はないと、俺の未来のために一生懸命になってくれた。
自分も苦しかったのに、俺のことを第一に思ってくれていた葉羽が愛しくてたまらなかった。
この後、三つ目の奇跡が起こるのだが、俺はまた中学生の頃の葉羽に会う事ができた。
その時は俺の方から葉羽に会いにいった形になった。
その日の終わりの会を終えて、生徒とさようならの挨拶をして、教室を出た直後だった。
ドアを開けて廊下に出たはずなのに、そこは薄暗い部屋の中へと続いていた。
目の前にはベッドがあり、点滴を打たれながら誰かがそこで寝ていた。
その時、窓際にサボテンの鉢植えがあることに気がついた。
そのサボテンはピンクの花を咲かして、月の光に照らされ、ぼやっと光っていたように見えた。
その姿は優しく、まるで微笑んでいるようだった。
今まさに奇跡が起こっているのを実感し、震える足取りでベッドに近寄ると、そこには青ざめた中学生の葉羽が寝ていた。
「葉羽!」
俺が思わず声を出すと、葉羽は目を開けた。
「悠斗…… くん?」
「ああ、そうだ。俺だ」
「もしかして、ここにサボテンある?」
「うん、あるよ。花も咲いてる」
葉羽はニコッと微笑んだ。
「大人の悠斗君にまた会えたね。嬉しい。あれから教師の仕事は頑張ってる?」
「もちろんさ。一生懸命頑張ってるよ」
「悠斗君。今までありがとう」
「バカ野郎、そんな風に言うなよ」
「悠斗君と会えたから、私はやるべき事を見つけられて、とても充実した日々を送れた。悠斗君のお陰」
俺はなんだか目が潤んできた。
「悠斗君、覚えてる? 師匠の家でサボテンを貰った帰りのこと。あの時、サボテンの花が突然咲いてね、気がついたら私、中学生の悠斗君を見ていたの。私の目の前で悠斗君、数人の男の子達に殴られていたの」
俺ははっとした。
「あの時が一回目の奇跡?」
「そう。あれが何だったのかわかんなかったんだけど、悠斗君、とても苦しそうにしていた。だけどあの時、私は助けてあげられなかった。ずっとその事が頭から離れなかった」
俺は思い出した。
あの時、後ろを歩いていたと思った葉羽は突然前を歩いていた。
あれが意味するのは、葉羽は俺の未来を見て、戻ってきたところだったに違いない。
あの後の葉羽の態度は変だと思ったし、別れ際に『頑張って』と言ってきたのは、これから起こる俺の未来を危惧していたということだった。
「そっか、あの時も俺のこと見てたのか」
「だから二回目の奇跡が起こったとき、私がすべきことは悠斗君を助けることなんだって思ったんだ。あの時自分の命が短いって知ったけど、悠斗君が側に居たから持ちこたえられたんだ」
「葉羽……」
「悠斗君、もう三回の花が咲いちゃったから奇跡は起こらないけど、あのサボテン、私の変わりに悠斗君が持っていて」
「何、辛気臭いこといってんだよ」
「悠斗君はこの先の私の未来のこと、もう知ってるんでしょ」
俺は首を縦に振った。
「だったら、尚更、そのサボテンのこと私だと思って可愛がって欲しい」
「葉羽、もうこのサボテンには頼るな。このサボテンが奇跡を起こしたって思ってるのか? だったら間違いだ。全ての奇跡は葉羽が起こしてるんだよ」
葉羽は、慰めなど要らないと力なく笑っていた。
この時の表情は死を受け入れているように思えた。
俺は窓際に近寄り、サボテンの鉢植えを抱え、それを持って葉羽に近寄った。
葉羽の消え行きそうな儚い命は青白い光を出しているように見え、葉羽が美しい妖精のようにみえた。
大人になってから、また再び中学生の葉羽に会えたことはとても嬉しかった。
この頃、中学生の俺は葉羽の病気のことを知って、絶望に打ちひしがれて悲しみのどん底にいた。
病室で寝ている辛そうな葉羽の姿をみていると、あの時の感情が蘇ってくる。
「葉羽、もう一度奇跡を起こそう」
「ダメだよ。サボテンは三回しか花を咲かせない。これがその最後の三回目」
「大丈夫、もう一回、葉羽なら起こせる」
「悠斗君も知ってるでしょ、この病気がどんなものか。そしてこの先どういう事が起こるか」
俺はこの先の話など本人の前でできなかった。
でも一つだけ伝えようと、俺は葉羽に顔を近づけて、そっとキスをした。
大人になった俺が中学生にキスをするのは少し頂けなかったかもしれない。
でも俺の心はこの時、中学生のあの頃のままだった。
葉羽の青白い頬がほんのりとピンクに染まったように見えた。
お互い暫く見詰め合っていたけど、次第にフェードアウトして気がつけば、俺はサボテンを抱えたまま、教室の後ろに立っていた。
まるで夢を見ていたようだった。
だが腕にはしっかりとサボテンの鉢を抱えていた。