エピローグ

 驚きと嬉しさで体全体に走り巡らせた悠斗の感情によって、テーブルの上で振動を受けて揺れたサボテンの鉢植えは、そのまま僕の体にも瞬時に伝わり、ドクンと心臓が再び動き出す衝撃を受けていた。
 悠斗のドキドキとする血の巡りが、そのまま僕の鼓動とシンクロしているように思う。
 僕はずっと悠斗と葉羽の物語を見ていた。
 いや、見せられていたのかもしれない、そのサボテンに。
 僕は自分と同じ年頃だった悠斗に、時々嫌気がさしたり、見ていられなかったり、もどかしかったりとなんだか腹が立ちながらも、それがどこかでいつの間にか親しみに変わっていた。
 こういう、悠斗みたいな奴が、僕は嫌いだ。
 そうはっきり言える程、僕は悠斗をじっくり見ていたと思う。
 傍にいたら、きっと面倒くさくて、すぐに喧嘩になってお互い睨み合っていた。
 悠斗も僕が傍にいたら、僕と同じような感情を抱いたはずだ。
 お互いが嫌い。
 でもそう考えた時、なんだか笑えてくるから不思議だった。
 それがおかしく思えたのは、自分たちの性格が似てるせいだと、僕は気が付いた。
 だからこそ、僕は悠斗の不器用な性格がストレートに僕の感情を乱して、自分が映る鏡を見ているようで、ひるんでしまって直視できない部分が沢山あった。
 なんで素直じゃないんだ。
 なんでそこで自分が悪い事を潔く認めないんだ。
 そう思えば思うほど、その言葉が真っ直ぐ僕自身に跳ね返ってくるのが痛くて、苦しい。
 悠斗が直面した困難も、葛藤も、僕の感情とくっついて、同じように引っ張られてしまった。
 でも悠斗のもがいて、必死に出口を見つけようとしていた姿は、一緒になって応援してしまう。
 僕もまたそうであって欲しいから。
 どうしようもなく、うまくできないことだらけで、声を張り上げても、例えそれが正論であったとしても、きっちり届かない挫折に僕は負けないでって思っていた。
 嫌いだなんていっても、その裏返しには放っておけない感情が渦をまく。
 いくら悠斗が僕に似ていても、嫌いだといってしまったら、その似ている僕自身もまた自分自身が嫌いだと卑屈になってしまう。
 自分自身を否定し、自分を好きになれなかったら、僕は何をやってもきっと上手く行かないだろう。
 負の感情はそういうものだ。
 押さえつけられれば、正常な方向へ進まないのと同じで、それに負けてしまえば、やはり健全にことが運ばない。
 負はどこまでも負であって、それを断ち切らなければ、日の目を見ない。
 植物が育つのに太陽が必要であるように、人もまたポジティブな光が必要だ。
 それが心に抱く一条の光──希望の事だと、僕は思う。
 悠斗が気になるのは、僕自身が気になっているのと同じで、僕は僕をどうするか、悠斗を見ていて雲から光が漏れだしたそんな光景と重なった。
 覆っていた灰色の雲から差し込む太陽の光。
 それが僕の求めるもののように、ぐっと体にまで浸透して、スカスカだった無味なものが濃くなって潤っていく、そんな気持ちになっていた。
 悠斗だけじゃない、病気と闘っていた葉羽もそうだ。
 悠斗の事を理解していた葉羽。
 悠斗のことなんか放って置けばいいものを、優しく包み込んで、精一杯助けようとしていた。
 不器用ながらも、自分のやれることをしてもがいていた二人。
 一生懸命な姿は、僕の体にも力を与えてくれた。
 やがて二人は大人になって、過去の自分たちを照れくさく恥ずかしげに笑い、大切に愛おしむ。
 そこには体を押しつぶすような絶望も存在していて、二人で闘ってそれを乗り越えた証として忘れないでいるようだ。
 辛い事もこの二人には必要な事だったと、今では笑って語り合える。
 その結果、絵に描いた幸せが二人の周りを包んでいた。
 僕はそれが微笑ましいと同時に、二人の愛の力強さに心が震えた。
 この後、この二人はどうなるのだろう。
 子供が生まれ、温かい家庭を作って、自分がなりたいと思う親へと変わっていく。
 こんな両親から生まれてきた子供は幸せになってほしい。
 ならなくちゃいけないくらいだ。
 あらん限りの愛情を二人から与えられ、大切に育てられるに違いない。
 せめていい子が生まれる事を願う。
 自分のような我がままで勝手な子供ではありませんように──
 僕がそう思った時、僕の心臓がドクンと波打った。

 一体僕は今どこにいるのだろう。
 僕は誰だっけ。
 そうだ、僕は交通事故にあって、車にはねられ瀕死の状態だった。
 もうそろそろ、天国からお迎えがくるころだろうか。
 それとも地獄か……
 まだそれらしいものが来ないと言う事は、僕はかろうじて死んでないということだ。
 僕ははっきりと全てを思い出せないまま、靄の中を彷徨っている。
 慌てるな、順序立てて考えてみよう。
 僕はなぜ、僕の人生を振り返らずに、悠斗と葉羽の物語をみていたのだろう。
 あんなのを見せられたら、僕は何一つ一生懸命にならないで生きていたことをとても後悔してしまう。
 僕は一体今まで何をしてきたのだろうか。
 僕の事故のニュースはすでに世間に広まったのだろうか。
 自ら車に飛び込んで自殺とされて報道されるのだろうか。
 その理由として虐めがあったと、世間では憶測されるだろうか。
 でもその事実は何一つ出てこないことは、自分が良く知っている。
 確かに僕はクラスから浮いてしまっていた。
 自分でも虐められていたとはっきり言える。
 だけど、死人に口なしで、クラスメートも先生も学校もきっと虐めはなかったという事だろう。
 自分たちの保身のために。
 万が一虐めがあったと認めて、それで僕が死んだら、それはそれであてつけとしてまだ意味があるように思えるが、このままでは僕の死はただ無意味だ。
 だから、僕はこのまま簡単に死にたくない。
 このまま、死ぬわけにはいかない。
 反抗期で素直になれずに、嫌な奴のままで終わらせたら、悪い子とされてしまう。
 僕は悪い子として生まれてきた子供じゃないはずだ。
 両親にたっぷり愛され、何不自由なく恵まれた環境で育てられてきた。
 甘やかされ過ぎて、それに僕自身も甘んじてしまった。
 それが当たり前に思い過ぎた。
 僕は、僕は……
 僕がまた記憶を取り戻した時、当たり前だった今までの生活が、苦労の末の上に築かれたものだと言う事に気が付いた。
 そうだ、悠斗と葉羽は僕の両親だ。
 あのとき、幸せそうに食卓を囲んでいた葉羽のお腹にいる子は僕なんだ。
 二人が困難を乗り越えて、命を紡いで愛されてできた子だ。
 あんなものを見せられたら、簡単に命なんて落として言い訳がない。
 あの二人の子供は、反抗するような悪い子供であってはいけないんだ。
 それに、僕は、自殺をしようと思ったわけじゃない。
 ただ、やけくそで危険を顧みず衝動的に行動してしまっただけだ。
 だから、だから、もう一度、僕にチャンスを与えてほしい。
 僕だって諦めない。
 まだ生にしがみついていたい。
 こんな事になったから、命がどれほどはかなくて大切なのかよくわかる。
 何も残らないまま、無駄にはできない。
 生きてるからこそ、意味があるそれまでの歩み。
 自分の分以上に、僕が生まれる前からの両親の繋がり。
 大切な大切な絆の糸が、僕にも紡がれている。
 もう一度やり直してみたい。
 今こそ、自分で必死にもがくときだった。
 暗い海の底から浮かび上がろうと、僕は上へ上へと力の限り泳ぐ。
 体は疲れ切って、息も苦しいけど、やめない限りきっとそこへ近づいているはずだ。
 僕は、大人になった悠斗と葉羽、即ち、僕の両親に伝えなければならない言葉がある。
 それを言うまでは死んでなるものか。
 どれくらい、絶望の海を彷徨っていたのだろう、やっとやっと目指しているキラキラと光る海面が見えてきた。
 あともう少し。
 僕の頭が海面から出ると、この先の未来を照らす眩しい光を放つ太陽と、どこまでも爽やかに青く染まる無限の希望の空が僕の前に現れた。
 あまりにもそれは大きく茫洋な世界に見えた。
 何度でもやり直せそうにそこには制限などなかった。
 それに気が付いた時、僕は全身から伝わる痛みを感じ、呻いた。
 
 僕が意識を取り戻した時、両親が側で目に涙を一杯ためて、僕の名前を何度も呼んでいた。
 僕が目を開けたと同時に、慌ただしく看護師も周りで動いていたように思う。
 僕に繋がれていた何かの装置の音が、ピッピと一定のリズムを打っているのが聞こえた。
 それが僕の心臓の鼓動でもある。
 僕は生きていた。
 僕はしっかりと目を開けて、そのままの両親の姿を見つめた。
 心配を掛けて疲労していたのもあるが、あの若かった二人を見た後では二人はとても老けて見えた。
 なんだかそれが、無性に苦しく胸がつまる。
 体も痛いが、心も痛い。
 二人に何か言おうとしたが、酸素マスクに邪魔され、弱々しい声では言葉が伝わらない。
 僕が外そうと手を口元にもってこようとするが、手を動かすだけで痛みが全身に走り、僕は顔をしかめた。
 それでもこれだけは伝えたくて、僕は必死で酸素マスクを外し、口を開く。
「お父さん、お母さん、ごめんなさい」
 弱々しいながら、僕はあらん限りの力を出し切って声を絞り出した。
 自分の愚かさを認め、馬鹿な息子であったことを反省した。
 母は首を横に振り、言葉にならずに涙を流していた。
 ああ、この人が病気と闘った葉羽なんだ。
 父もまた同じく首を横に振り、僕が悪くないと否定する。
 ああ、この人が不器用で必死にもがいてた悠斗なんだ。
 そして僕はこの人たちの子供なんだ。
 そう思えた時、僕は自分が誇らしく、そして自分が好きになれるような気がした。
 僕はこの人たちから生を授かった。
 それが無性に嬉しくてたまらなかった。
 久しぶりの再会を邪魔するように、医者が現れたところで、両親は隅に追いやられ、僕は色々と体をチェックされた。
 少し、いや、少しどころではない痛さであったが、その痛さも生きてるから味わえるものであって、僕は生きてる証としてこの痛みを有難く思う事にした。
 ちょっとやせ我慢だったけど。
 あっ、痛っ。

 その後、僕の状態が落ち着いた時、僕は集中治療室から大部屋に移された。
 一部屋にベッドが四つあるが、それぞれのベッドの空間が程よくあり、カーテンで仕切れば周りも気にならない。
 窓側をぶんどる事ができて、外が見られて開放感もあり、入院生活もそんなに悪くなかった。
 生きてるだけで、満足だった。
 意識が戻っても、僕はほとんど寝て過ごしていたと思う。
 薬のせいか、安心からか、とても眠たかった。
 母がつきっきりで僕を看病し、父も仕事が終われば、顔を出してくれた。
 二人が一安心しているそばで、僕はまだ大切な事を訊けなくて、すっきりしないでいた。
 それを失っていたらと思うと怖くて、中々口に出せなかった。
 両親もそれについては何も言ってこないから、僕の希望通りに事が行かなかったように思えてならない。
 でも僕は覚悟を決めて、食後のリンゴをむいていた母に話しかけた。
 夕暮れの優しい光が空を覆って、雲がピンクや紫のパステルカラーに染まっていた時だった。
「あのさ」
 僕が不安な目をむけて話しかけると、母は手を止めて、無言で僕と向き合った。
 僕はゆっくりと口を動かした。
「あの時の、子猫はどうなったの?」
 母は言いにくそうに、僕から視線を外した。
 僕はあの時、無茶をして車に飛び込んだけど、それには理由があった。
 クラスからのけ者にされて、白い目を向けられ毎日が針のむしろだった事もあり、やけくそになってちょっとした衝動で危ない事をやってしまう不安定な心情だった。
 あの時、子猫が道路に紛れ込んでいて、僕は危険を顧みずそれを助けようとした。
 激しく行き交う車に、先のことも考えず、身を投げ出してしまった。
 自分がどうなってもいいという、投げやりにも似た無謀な行動。
 いつ轢かれてもおかしくない場所で、小さな体を震わして、ミーミー鳴いて救いを求めてる声をキャッチしたとたん、どうしても放っておけなくて、僕は無我夢中で子猫の元に駆け付けた。
 あれは自殺ではなかった。
「あの子猫は、諦めて」
「えっ」
 やっぱり助からなかった。
 僕は虚ろな目を向け落ち込み、それを見て母が罪悪感に苛まれた。
「ごめんなさい。他に欲しい人がいて、あなたの事が心配で、猫にまで構ってあげられずにあげちゃったの」
「えっ、あげた?」
「子猫は元気に育ってるわ。あなたのおかげで怪我もなく、健康よ。食欲も旺盛で、あれから大きくなったって、聞いたわ。あなたにもいつでも見に来てって言われてるのよ。だから退院したら会えるわよ」
 母の手が再び動き、その場を取り繕うようにリンゴの皮をむき出した。
 その後食べやすいように切って、僕の口に入れてくれた。
 僕は有無を言わさずリンゴを加えたまま、ぼけっとしてしまう。
 子猫は助かって、誰かに飼われている。
 ひ弱な小さな子猫はちゃんと生きていた。
 僕はリンゴをシャリシャリ噛みしめ、舌に広がる仄かな甘さを感じ、それと同じくらいの優しい気持ちを味わった。
「本当に無茶な事をするんだから。お父さんそっくり」
 母は嬉しいのやら、腹立つのやらで、リンゴを切る手に力が入っていた。
 僕も負けじとそれに口答えした。
「そして、不死身なところはお母さんそっくりでしょ」
 母は笑っていた。
 病気をして治った話は聞かされていたが、その病気が深刻なものだとは知らされてなかった。
 知らされても聞きなれない病名に、よくわからなかったのかもしれない。
 とにかく大変だったとだけは、漠然的に聞いていた。
 僕はじっと母を見つめる。
 年は取ってるけど、きれいだと思った。
「リンゴ、もっといる?」
「うん」
 リンゴを僕の口に放り込んで、母は優しく笑う。
 そんな母にも僕と同じ歳の頃があった。
 事故後、眠りから覚めた僕が、二人の青春時代の話をどれだけ知っているかなんて、母が知ったらなんて思うだろう。
 僕と同じような年頃に一生懸命恋をしていたこと。
 本人たちにとったら、知られたくないことかもしれない。
 それを考えるとおかしくて僕は笑ってしまった。
 クスクスと笑っている僕の声はカーテンからもれていた。
 そのカーテンの端から、父がにゅっと顔を覗かせた。
「なんか楽しそうにしてるけど、二人して何を話してるんだい?」
 その父の顔を見た時、また少年時代の悠斗を思い出す。
 それがとても僕に似ている。
 母が言うように、本当に僕と父はそっくりだと思った。
「なんでもないわ。それより、どうしてそれを持ってきたの?」
 母があっけにとられて、父を見ていた。
 父はあまり病院に相応しくないものを、手に抱えていた。
「いや、今晩、満月だから、なんかつい。こいつもここに来たいって言ってるように思えて。病院で入院といったら、なんかこれも必要な気になって」
 父はあのサボテンを手にしていた。
 このサボテンはずっと家にあって、僕もこれを見て育ってきた。
 棘が一杯だったから、子供の頃何も知らずにそれを触って、刺されて泣いていたと思う。
 だから痛くて怖いものだと認識していた。
 改めてそのサボテンを見れば、棘があっても温かみのある優しいものに見えた。
 父と母が大切にしていたのは知っていたが、その理由が分かった今、僕もまたこのサボテンに愛着を感じる。
 サボテンは棘がありながら、その容姿に似つかないほど、優しく僕たちを見守っていたのかもしれない。
 美しい薔薇には棘があると言われるのなら、優しいサボテンには棘があるということだ。
 僕はそのサボテンをじっと見ていると、父がコホンと喉を鳴らして話し出した。
「あのさ、信じてもらえるかわからないけど、このサボテンはね……」
 父が母と照れながら顔を見合わせ、僕になぜサボテンを持ってきたか説明しようとする。
 全ての事を見てきたけど、僕は直接父から聞ける話に興味津々になって胸をわくわくさせていた。
 どんな風にあの奇跡の物語を僕に説明するのだろう。
 正直に全てを話してくれるだろうか。
 父も母も僕と同じように悩み、そしてもがいてがむしゃらに突っ走ってきた。
 その結果、二人の奇跡に繋がった。
 この先もまだまだ困難があるのかもしれない。
 でも僕は、どんなに辛くてもなんとかやっていけそうな気がする。
 そういう困難の真っただ中にいる時は、やっぱり辛いと挫折してもがいているんだろうけど、不器用でも諦めない限りぼくもまた、きっと奇跡を起こせると信じようと思う。
 きっとうまくいくように、物事はできている。
 例えその時失敗しても、それがきっとどこかでつながってやっぱり必要な事だったと後から判明して、辛い事を笑い飛ばせるように。
 いつか上手く行くと心に思い浮かべるだけで、なんだか勇気が湧いてくるようだった。
 『勇気』か、その言葉を噛みしめてサボテンを見つめていると、父が注意する。
「おい、勇樹、ちゃんと聞いてるのか」
 そう、僕自身もユウキという名前だった。
 教師の父は職業柄、僕をまっとうに育てたかったのか、多少厳しい所がある。
 たくさんの生徒を相手にして、いい先生で通ってるので、自分の息子をしっかり育てなければ恥と思っていたに違いない。
 そして、僕と父は外見も性格も良く似ている。
 同じ性格だからこそ、お互い欠点ばかりが目について、それが自分に返ってくるから、見ていて嫌になってしまう。
 だから僕たち親子は衝突しやすかった。
 多感な時期の僕には、表面だけしかみられなくって、父の気持ちなど考える余裕などなかった。
 でも、今なら父の気持ちが良くわかる。
「はいはい、聞いてますって。だから大事な所も端折らないでちゃんと話してよ。例えば、二人のキスシーンの所とか」
 僕の言葉に、父は思わず持っていたサボテンを落としそうになり、それを受けようと母は慌てていた。
 父は気まずく、コホンと咳払いしてごまかしていた。
 サボテンは寸前のところで母によって支えられたが、サボテン自身なんだかとっても驚いて、いっそう棘がピンと逆立って緊張していたように見えた。
「もう、気をつけてよ、お父さん」
 母が小言を言って、父が苦笑いする。
 窓の外は先ほどよりも暗くなり、空と周りの物の輪郭が徐々にぼやけて同化しつつあった。
 その暮れなずむ空の上で月が顔を出し、白く、くっきりと輝き出していた。
 父は窓際にサボテンを置き、僕たち親子三人は、月の光に照らされたサボテンを期待を込めて暫くじっと見ていた。
「あっ、小さい丸いものが出てきてるね」
 僕がそれに気付いた。
 サボテンの表面からコブのように丸く突き出している部分があった。
「これは、サボテンの子供よ。これを上手く植えたら、増えるかもしれないわね」
 母が言った。
 増えたらまた花を咲かすこともあるのだろうか。
 口に出さずとも、みんな同じことを考えてたことだろう。
 花が咲くことは不思議な力が現れるという事。
 でも二人は、それ以上の奇跡は望んでないように思えた。
「それで、そのサボテンがどうしたの?」
 僕は父に話の催促をした。
「あっ、そうそう、それが不思議なんだけどさ、このサボテン、奇跡を起こすんだ。昔、サボテン爺さんと呼ばれる人が居てな……」
 サボテン爺さんの話から始まるのか。
 父の話はとりとめもなく、長くなりそうになってきた。
 ちゃんと僕が聞きたい部分を話してくれるのだろうか。
 でも僕はしっかり耳を傾けた。
 父もまた、僕が交通事故にあって、僕を失う恐怖に身を震わせたと思う。
 心配で心張り裂けそうになっていたに違いない。
 そんな不安を紛らわすかのように、僕の意識が戻らない間、祈る思いでこのサボテンに助けを求めてたんじゃないだろうか。
 だからサボテンは僕に父と母の物語を見せてくれた。
 僕が誕生するまでのいきさつ。
 始まりの前の話。
 それがなければ僕は生まれてこないのだから。
 僕の人生を振り返るよりも、父と母の苦労を知ることの方が、僕は死ねないと思った。
 父は全ての事を僕に教えたいのに、自分の事を話すのが照れくさいのか、時々声がくぐもっていた。
「それで、その時、このサボテンをお母さんが欲しいと言ってサボテン爺さんからもらったんだ」
 サボテン爺さんもこの話には欠かせないから、父は丁寧にサボテン爺さんの事を話してくれた。
 サボテン爺さんと言えば、派手派手の金ぴか衣装をまとって、くねくねと独特の踊りを披露する、最高のマジシャンだ。
 
 チャラララララ〜♪
 チャラララララ〜ラ〜♪

 その時、オリーブの首飾りのBGMがどこからともなく聞こえてきたような気がした。
 それにのって踊るサボテン爺さん。
 社会の窓全開でもなんのその。
 窓際に置かれたサボテンも、サボテン爺さんの事を思い出して懐かしく思っているのかもしれない。
 僕も手品を習ってみようか。
 急に手からバラの花を出してみたくなった。

 チャラララララ〜♪
 チャラララララ〜ラ〜♪

 まだ音楽が頭の中で流れていた。
 今夜はとてもきれいな月夜の晩。
 奇跡が起こってもおかしくないような、マジックにもってこいの背景だ。
 父と母のサボテンマジックの話を聞きながら、僕は大人へと一歩近づいたような気がした。


The End

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