第一章


 一夜明け、唯香は覚悟を決めて、学校に向かった。
 コンビニでの万引き強制をさせられた事を考えれば、三人と顔を合わしにくいものも確かにある。
 でも、美代たちに何かを言われたら、反論するつもりでいた。
 この時、唯香は憤っていた。
 あの万引き未遂をサトミに助けてもらったあと、唯香は母親に何もかも話すつもりだった。
 その前に、弟の貴光からペンを壊した時の状況を詳しく聞くことにした。
 貴光の部屋に入れば、貴光は机に向かって真面目に宿題をしていた。
「お姉ちゃん、なんか用なの?」
 あどけない目を向けて貴光は唯香を見つめた。
 小学4年生で、好奇心旺盛ではあるが、唯香と性格が似ていて人前では大人しいところがある。
 落ち着きのない小学生と違って、際立って物静かにでんと構えている子なので、人の物を故意に壊したりするような子じゃないのは唯香もわかっていた。
 壊したペンの持ち主が唯香の友達の弟だったと唯香に言わなかったのも、姉である唯香に心配を掛けたくなかったのかもしれないし、貴光も一人でどうにかしようとしていたに違いない。
 唯香も気を遣いながら貴光に話しかけた。
「あのさ、ペンを壊したっていってたけど、あれからどうなった?」
「あれ、今もしつこく弁償しろってみんなから言われてる」
「みんな?」
「うん。来月のお小遣いでちゃんと弁償するから待ってって本人に言ったんだけど、関係ない人達が面白がって、僕を見ると『弁償、弁償』ってリズムとって言い出してさ、それですっかり悪者扱いみたいにされてる」
 子供は弱みを見るとそこを執拗にからかってエスカレートさせる。
 唯香は子供だから仕方がないではすまされない苛立ちを感じた。
「だけど、なんでペンを壊しちゃったの?」
「あれは本当に事故だったよ。たまたまペンが転がってきて、そこを歩いていた僕が踏んづけたの。急に勢いつけて足下に現れたし、避けきれずに運悪く踏んじゃった。そしたらパリって簡単に割れたの」
「そんなの貴光だけが悪いんじゃないよ。転がした人にも責任あるんじゃないの? なんで勢いつけて転がってきたの」
「ペンを指の上で回して遊んでたみたいで、力入れ過ぎて失敗して飛んだんだと思う」
「そんなの予測不可能じゃない。橋本君にも責任ある」
「あれ、お姉ちゃん橋本君のペンって知ってたの? でもね、橋本君はペンの持ち主だけど、飛ばしたのはまた違う人だったの」
「えっ、それで責められるのは貴光だけなの?」
「うん。足で踏んづけたのが一番悪いって、飛ばした人がいったから、みんなそれに賛成した」
「なんで、貴光だけが責められるのよ」
 ナズナはペンが壊れた本当の理由を知らずに、ナズナの弟から一方的に貴光が悪いと知らされたに違いない。
 そして唯香にまで八つ当たって来た。
 そこに美代が入り込んで自体は大きくなって、自分が万引きまでさせられそうになった。
 あまりにも理不尽で馬鹿げた事に、唯香は腹が立って仕方がない。
 もう少しで馬鹿な事をして見つかって補導されていたかもしれないし、一生、万引きしたと言われ続ける事になったかもしれない。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
 こぶしを握り、ぶるぶると震えている唯香を見て貴光は心配していた。
「えっ? あっ、大丈夫、大丈夫。それに貴光は悪くない」
「でも、壊したの僕だから、やっぱり弁償しないと」
「お母さんに、言おう」
「怒られるのいやだ。お小遣い貰ったら、すぐに弁償できるし」
「何言ってるの。怒られないって。それよりも調子に乗ってる子たちは関係ないんだから、先生に、関係ないみんなから責められてるって事情を知ってもらわないと。やっぱりお母さんに頼むのが一番だし」
「ちょっと待って。僕、自分から橋本君にちゃんと話すから。まだお母さんには言わないで。お母さん仕事で疲れてるし、忙しいからまだ言わないで」
 貴光は母親に知られるのを恐れていた。
 母親は疲れているとイライラしやすく、不機嫌になる事を貴光は嫌っていた。
 唯香もそれは感じ取っているが、貴光は小さい頃、何かが上手くできないと「何でこんなことが上手くできないの」と母親に言われてたことがよくあった。
 貴光は少しどんくさいところがあるので、今回も事故とはいえ、人のペンを踏んで壊してしまった事を非常に気にして、なんとか一人で解決しようとしていた。
「お姉ちゃん、お母さんには僕からいうからさ、それまで黙ってて」
 貴光がそう言っても、絶対自分から母親には言わないだろうと唯香は思っていた。
 唯香も一人でため込む体質なので、貴光の気持ちが良くわかり、仕方なく少し様子を見る事にした。
 だが、事情を良く知らないナズナや美代に理不尽に責められるのは嫌だった。
 あの三人にちゃんと説明しなくっちゃ。
 唯香もまた、このままでは済まされない何かを感じた。

 教室に入るとき、自分を励ますように唯香は呟いた。
「きっと上手くいく」
 サトミに教えてもらった魔法の言葉。
 背筋を伸ばし、力が入った足を一歩教室に踏み入れた。 
 立ち向かう勇気が腹の底に溜まるのを感じた。
 サトミが言ったように、その言葉を呟くと心が前向きになって強くなれるような不思議な気持ちになっていた。
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