第四章


 次の日、貴光はポカポカな陽気に身を躍らせ元気に学校に向かった。
 ランドセルには、あのペンが入っている。
 昨晩、何度も見てはランドセルにいれ、また取り出したりと、そこにある事が嬉しくてたまらなかった。
 それを橋本正弘に渡して、喜んでもらえると思うと、いてもたってもいられない。
 全てがこれで解決する。
 喜び勇んで教室に足を踏み入れた。
 正弘はすでに来ていて、数人の友達の中に入ってしゃべっていた。
 そこへすぐさま近寄ると、貴光に気が付いた周りの生徒は弁償コールを、朝の挨拶の代わりにしだした。
 貴光は汚名返上できるペンをすでに手に入れている。
 そんな揶揄はどうって事なかった。
 だが、その時「やめろ」と強く叫ぶ者がいて、弁償コールがピタッと止まった。
 それを言ったのは正弘だった。
 体を震わせ、申し訳なさそうに、正弘は貴光と向き合った。
 「ごめんね、三田君」
 突然謝られて、貴光は驚いてしまい、目をぱちくりとしばたたいた。
「どうしたの橋本君」
「あのね、お姉ちゃんに言われたの。謝ってるのに、責めちゃいけないって」
 ナズナはあれから反省していた。
 弟にどういう状況でペンが壊れたのか問い質し、それを聞くなり、貴光ばかりが責められない事に気が付いた。
 自分のせいで、唯香に迷惑をかけた事に気が付き、そしてサトミと話をした事で、友達の意味を考えた。
 戸賀崎に多少褒められた姉としての自覚。
 姉らしく振る舞おうと、正しい事をしようとした。
 貴光は裏でそんな事があったと知る由もなかったが、正弘に謝られたことが嬉しかった。
 ランドセルから、あのペンを取り出し、それを笑顔で正弘に差出した。
「これ」
「あっ、ペンだ。どうしたの」
「はい、受け取って」
「ううん、いいよ。あれは事故で、仕方ない事だから、三田君が弁償しなくったっていいんだよ」
「でも、手に入ったから、受け取って」
「ううん、それは三田君がもってて。ぼく他にも一杯ペンもってるから」
「でも」
「もういいんだ。お姉ちゃんも言ってた。ペンが壊れても一杯代わりはあるけど、友達との友情が壊れたら、二度と戻らないって」
「橋本君……」
 貴光は自分が正弘の友達だと言われているようで嬉しかった。
「辛い思いさせてごめんね」
 頑なに正弘はペンを受け取らなかった。
 自分が調子に乗って、貴光を悪者にして虐めていたと姉から言われたことで、やっと気が付いて、反省している。
 ペンの弁償を断る事が、貴光への謝罪でもあった。
 貴光はそれを受け入れ、そのペンを再びランドセルにしまった。
 それから周りも何もなかったかのように、いつもの時間が戻り、貴光はすんなりと輪の中に入って行く。
 弁償コールをしていた連中も拍子抜けし、なかった事のようになった。
 それはあっけなく、ワイワイガヤガヤしているうちに、全ては元に戻っていた。
 貴光は不思議な気分に浸っていた。
 サトミから貰ったペンは、奇跡が起きる魔法のペンなのかもしれない。
 あの時、石を蹴って偶然にサトミに当たったことも、神様が助けてくれたに違いない。
 おばちゃんはもしかしたら神様?
 貴光はそんな事を感じながら、友達に囲まれながらニコニコと笑っていた。

 唯香もまた、気分すっきりとして学校に向かった
 自分自身の中では全て終わって、何もかも解決したと思っていた。
 美代に会うまでは──
 美代は先に登校していて、教室に入って来た唯香を強く睨み、ピリピリとしているのが見てわかるくらいに苛ついた顔を露骨に見せていた。
 唯香が教室に入って自分の席に着くまで、目で追いかけ、一テンポ置いてからゆっくりと唯香に近づいた。
 唯香は息苦しさを感じ、固唾を飲んで構えた。
「昨日、先生に何か言った?」
 ふてぶてしい態度で美代は訊いた。
「全部話した」
「それで?」
「別に、何も」
「全部話して、何もないってことはないでしょ。どうせ私の悪口言ったんじゃないの?」
「そんな事、言ってないよ。ただ誤解だったって事を戸賀崎先生に説明しただけ。そしたら先生もわかってくれて、謝ってくれた」
「謝った? あの戸賀崎が?」
「全ては終わった。別に美代ちゃんに何かあるとかないから安心して」
「はっ? 別に何も心配なんかしてないよ」
 美代はどうしても素直になれなかった。
 暫くして、唯香と美代のただならぬ雰囲気の中へ、ナズナと綾がやってきた。
 二人とも「おはよう」と声を掛けるも、どこかぎこちなく、美代の様子を窺っていた。
 その後の会話はなくなり、不自然に皆黙り込んでいた。
 勇気を出してナズナが唯香に話し出した。
「唯香ちゃん、弟にちゃんと話したから、ペンのことは気にしないで」
「でも弁償できるって、喜んで朝、学校にいったよ」
「もういいの。弟も話せばわかってくれた。私も本当の事知らないで、唯香ちゃんを責めてごめんね」
 ナズナは角が取れて丸くなっていた。
 唯香も素直に謝罪を受け入れ、二人が照れた笑いをすると、美代は鼻で笑った。
「なんなんだよ。こっちはいいように巻き込まれて、ばっかみたい」
「違うよ、美代ちゃん。美代ちゃんが勝手に首を突っ込んだんだよ」
 それを言ったのは綾だった。
 美代の顔色を一番気にする綾がズバッと言うから、皆びっくりしていた。
「なんだよ、綾、えらそうに」
「私は、誰の味方もしたくなかった。だって、自分に関係なかったことだったもん。だから、自分から首を突っ込まない限り、巻き込まれる事はなかったと思う」
「はあ? いつもは頼ってくるくせに何いってんだよ」
「頼ってなんかいない。そうせざるを得ないようにされてた。ただ、我慢してただけ」
 下を向き綾は半分怖がりながら、必死になっていた。
 綾もまた自分を見つめ直し、自分を押さえて流される事に嫌気がさしていた。
 サトミの影響を少なからず受けていた。
「そうだよね。私も美代ちゃんに意見を合せてたけど、時々おかしいなって思っても、我慢してた」
 この流れに沿って、ナズナまで言い出した。
「だからどうだっていうんだよ。いつも調子合せてたくせに、急に手のひら返しやがって」
「美代ちゃん、違うよ。私たちは同じ立場で仲良くなりたいの」
 唯香も言った。
 そしてさらに唯香は続けた。
「美代ちゃんは、自分の思い通りにしないと機嫌が悪くなったり怒るでしょ。私たち、それを我慢して、美代ちゃん中心になり過ぎたんだと思う。それって、本 当に友達なんだろうかって、みんな気が付いたんだよ。友達って、一方通行じゃなくて、お互いのバランスがとれて、友達じゃないのかな」
 美代は気にいらないとふてくされた。
「美代ちゃんも唯香ちゃんに謝った方がいい」
 ナズナがいうと、美代は益々納得できないでいた。
「じゃあ、なんでナズナは私に愚痴を言ったんだよ。私から唯香に言ってほしかったからだろ」
「そ、それは。あの時、本当の理由を知らなくて、一方的に唯香ちゃんの弟が悪いと勘違いしたの。唯香ちゃんはそのこと知らないでいたから、なんか気にいらなくてつい言ってしまった」
 ナズナにも非があった。
 美代を利用していたのはナズナだった。
 下を向いて口元をぎゅっと結んでいるナズナを見て、美代は自分が悪くないと確信した。
「ほら、ナズナの早とちりが原因じゃないか」
「でも、万引きなんか唯香ちゃんにさせたくなかった。あんな風になるなんて、思わなかった。ほんのちょっと愚痴って犯罪に繋がるなんておかしい」
「ナズナは今、どうのこうの言ってるけど、結局は唯香の事懲らしめたかったには変わりない。三人で結束して、私を責めようとしてるんだろうけど、ナズナも綾もそんな権利なし。唯香もちょっと調子に乗り過ぎ」
 何を言っても美代にはわかってもらえない。
 唯香はもうどうでもよくなってしまった。
「話し合っても美代ちゃんとは話が通じないと思う。それだけ、私たちのグループが今まで歪だったんだよ。それが分かっただけでもよかった。美代ちゃんは美代ちゃんの好きな友達を見つければいい。私は美代ちゃんの友達でもなんでもないから」
「はあ? 馬鹿じゃないの、唯香」
「うん、馬鹿でいい」
 唯香は開き直った。
 始業ベルがいつの間にか鳴っていて、教室に先生が入って来た。
「チェッ」
 吐き捨てるように舌打ちし、美代は自分の席へと戻って行く。
 ナズナと綾も後味が悪いまま席に戻って行った。
 唯香は溜息をついたが、言う事を言った後では気持ちは落ち着いていた。
 確実に自分の中で何かが変わったと、唯香は思った。
 きっと上手くいく。
 小さく呟き、前を向いた。
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