第六章


 暫く食べ続けた後、ナプキンを手に取り、サトミは軽く口を拭いた。
「付き合ってくれてありがとうね。いつも一人でご飯食べるんだけど、コンビニやスーパーで買うだけで、レストランで食事した事なかったのよ。やっぱり一人だとなんか恥ずかしくて」
「おばさんでも、恥ずかしいって思うの?」
「そうよ。年取っても、一応は恥じらいってものはあるわ。それに食事は誰かと食べた方がやっぱり美味しい」
「それが、私でも?」
「当たり前よ。美代ちゃんといると、気を遣わなくていいから楽」
「素直じゃないし、言葉使いも態度も悪いのに?」
「あら、自分でよくわかってるじゃない。やっぱり、美代ちゃんはわかって突っ張ってるんだね」
「えっ」
「必死に自分を保とうとして、自分を演じる事は誰にでもあるから」
「演じてるわけじゃないけどさ」
「まあ、それも性格かもね」
「それじゃ、私、最低じゃん」
「だけどさ、人間って人に言われたら、はいそうですかって素直に聞ける訳ないじゃない。ついかぁっとなってしまったり、反抗したりさ。おばちゃん、美代ちゃんの気持ちわかるよ。誰にでもそういう時期はあるの。それで普通」
 サトミに肯定されて、美代はすっと体から何かが抜けていくのを感じた。
「でもね、そういう時は間違った方向に進み易い時でもあるの。隙があると魔がさしこんだりして、後に戻れなくなるほどに暴走したりしてね。それだけは気をつけて」
「……そんなの、わかってる」
 美代は小さく呟いた。
「よし、それなら大丈夫。この後はきっと上手くいくわよ」
「何が、上手くいくんだよ」
「美代ちゃんの全て。そうやって、上手くいくって思うようにすれば、そうなって行くもんよ。おばちゃんなんて、上手くいく、上手くいくって思ってたら、恐ろしいほど人生変わっちゃったわ」
 国際結婚してアメリカに住んでいるだけでも、美代にとっては別世界のようだった。
 自分も何かを変えたいが、不満が溜まり過ぎてもどかしい。
「そんな簡単に上手くいかねぇよ」
 反抗心からつい言ってしまった。
「そうね、簡単じゃないし、すぐには結果はでないよ。だけど、小さな変化を少しずつ起こすの。時間はかかるかもしれないけど、必ず将来に影響しているはずよ」
「将来なんてまだ考えた事もないし、なるようにしかならない」
「今はまだ時間の流れがゆっくりに感じるかもしれないけど、美代ちゃんもいずれおばちゃんみたいに歳とるんだよ。でね、必ず思うの、ああ若かった頃が懐かしって。でも元には戻れないし、もし戻してやるとか言われても戻りたくもないわ」
「なんで?」
「だって、戻ってしまったら、自分が歩んできた道と違って何もかも変わってしまうかもしれないから。おばちゃんはこれでよかったって思ってるの。いい事ば かりじゃなかったわよ。辛い事も多々あったし。だけど全てが今の自分の役に立ってると思ったら必要だったのかもって思えるようになった」
「辛い事が必要?」
「そう、英語でね、No pain, no gain っていうの。苦労なくして利益なし。つまり辛い事を経験してこそ、その後は上手くいくのよ。世の中の人は努力した人が夢を掴んでるでしょ」
「ノーペイン、ノーゲイン」
「そう。覚えた?」
 サトミはまた食事の続きをし、美代も頭の中で英語のフレーズを何度も繰り返しながら、咀嚼していた。
 その後、デザートも注文し、全てを食べ終わると、二人はレストランを出て家路に向かった。
 同じ町なので、一緒に電車に揺られ、美代は駅に着くまでサトミとずっと一緒に過ごした。
 美代にとってそれは心地よく、サトミにずっと側にいてほしい感情が湧いた。
 それこそ、甘えたい、自分の味方でいてほしい欲望が湧き、別れが近づいてさようならと言う時になって、美代はサトミが好きになっていると気が付いた。
「さて、ここでお別れだね」
 改札口を出た駅の外で、サトミは美代と向かい合って言った。
「おばさん、食事、ありがとう……」
 言いにくそに、それでいて感謝の言葉を述べたい、精一杯の美代の気持ちが伝わってくる。
「いいえ、どういたしまして。こちらこそ一緒に付き合ってくれてありがとうね。美代ちゃん、元気でね」
「おばさん!」
 美代は感極まって目に涙を溜めだした。
「どうしたの、美代ちゃん。ここはちょっと突っ張って、あばよ! てな挨拶じゃないと」
 サトミはわざとおどけるが、上手く口に出せない思いが先走り、泣くまいと下を向き、力を入れて踏ん張っている美代に、サトミもほろりとさせられた。
「ここはじゃあ、アメリカ式に行くか」
 サトミは美代を抱きしめた。
 美代はそれが心地よく、ずっと突っ張っていたものがほぐれじんわりと心が温かくなった。
「この町の未来は、美代ちゃんに任せたからね」
 美代を解き放し、サトミは笑顔を向けた。
「この町で何をすればいいんだよ」
「それは美代ちゃんに任せる。それじゃ、頑張ってくれたまえ」
 サトミは美代に手を振り、潔く踵を返した。
 時々振り返えれば、美代はずっとサトミを見ていた。

 角を曲がるところで最後に振り返ってから、サトミは美代の視界から消えてしまった。
 もう会えない人だと思うと、美代は寂しくなった。
 今思えば、もっと自分の話をして聞いてもらえばよかった。
 本当は家族と上手くいってない事も、家に帰れば自分の居場所がなくて、学校ではついみんなの前でえらっそうに態度をでかくして頼られたくて無理していたことも、好きな本や漫画の事も思いつくまま話してみてもよかった。
 そして、唯香が大人しいのをいいことに、自分の鬱憤をぶつけやすくて、八つ当たってた意地悪な心のことも。
 サトミに話せば何かがもっと変わったかもしれない。
 またサトミに会いたい。
 サトミの連絡先を聞かなかった事を美代は後悔していた。
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