第七章


 孫の唯香に励まされ、ハルカは奇跡を信じてサトミを探したが、小さな町でも一人の人間を見つけるのは至難の業だった。
 結局見つけられずに週末が終わってしまい、励ました唯香も貴光も分かりやすいように首をうなだれて絶望していた。
 千夏の上司の話では、サトミはもうすぐ去ってしまう。
 それがいつなのか、すでに去ってしまったのか、まだ希望が残ってるのか、残ってないのか、そう考えれば、残ってなさそうに思えてしまった。
 日曜日の夜、ハルカは唯香たちを家に送り届けた際に、娘の京香に誘われて夕飯を共にした。
「ちょっと、あんたたち、この土日、一体何をしてたの?」
 食卓を囲み、京香が訊いた。
 唯香と貴光が主にサトミが係わった数々の偶然の繋がりを説明し、ハルカもそこに自分の中学の話を添えた。
「へぇ、なんかドラマみたいな話だね」
 他人事のように父親の修哉が言った。
「お父さん、軽々しく言わないでよ。こっちは真剣なんだから」
「もちろん、会える事を願ってるけどさ、そう上手くはいかないだろう」
「絶対、上手くいく!」
 唯香と貴光が同時に叫んだので修哉は驚いていた。
 唯香と貴光は「上手くいく」という言葉に敏感になっていた。
 サトミが励ますために二人にかけた言葉だった。
 今では魔法の言葉として、口に出すようになっている。
 しかし、食事の後、ハルカが帰ろうとしたとき、唯香は何を言っていいのかわからずに、戸惑った顔つきになっていた。
 あれだけハルカを励ました唯香ですら、肩を落とし、奇跡を信じようにも無理な部分の割合が大きく占めてしまい、希望が見られないでいた。
 貴光はその隣で、サトミから貰ったペンを握りしめ、魔法の道具のようにして、何度も振って奇跡が起これと願っていた。
「あっ、そうだ、このペン、おばあちゃんがもっててよ」
「でもそれ、貴光がサトミちゃんにもらったんでしょ」
 貴光はハルカにそのペンを差出すと、ハルカはそれを受け取らざるを得なかった。
「おばあちゃん。そのペン、サトミおばちゃんが手に持ってたペン。今、おばあちゃんはそれに触れてるんだよ」
 貴光に言われてハルカははっとした。
 サトミが手に触れたペン。
 いまそれが、自分の手元にある。
 貴光は間接的にサトミと触れ合う事を意味している。
「ねっ、これで一歩近づいたでしょ」
「ありがとね、貴光」
 貴光は得意げに笑っていた。
 孫に励まされ、気持ちが温かくなっていく。
 もう少し奇跡を信じてみよう。
 ハルカはそのペンを大切に手にして、孫たちの元を後にした。

 週末が明けた日の学校の朝は、春休みも近くてだらけた雰囲気があった。
 授業も適当で、先生はお遊びみたいな事をしたり、プリントをさせられたりと、気楽なものだった。
 美代とトラブルになってから、ナズナと綾は美代を避け、唯香と三人で集まるようになって、以前の立場と反対に美代が孤立していた。
 先週までは、美代はぎくしゃくとして苛立ち、休み時間になるとすぐ教室を出て行ったが、週末が明けてから、美代はどこか迷いがあるように、ちらちらと唯香を見ていた。
 唯香が目を合せると、すぐに逸らすので唯香はどうしていいのかわからなかった。
 美代のことよりも、サトミの事が気がかりで、どうやって見つけたらいいのかそればかり考えていた。
 放課後、さらに美代が唯香に気づいて欲しいと視線を向けていた。
 美代は前日にサトミと出会った事を唯香に言おうか迷っていたのだった。
 唯香がサトミを探している事情も知らず、勇気が出せずに中途半端な態度になって、サトミの事を話したくても近づくことすらできなかった。
 唯香もまさか美代がサトミと会っていたとも知らないまま、結局、美代の態度がどこか違うのを感じながらも唯香も構ってられずに、すぐに教室を出て行った。
 その後、唯香は自分なりにサトミを探そうと、辺りを見回しながらいつもと違う道を通って家に帰った。
 家に帰ってからも、自転車に乗り、駅の周辺や近くのスーパーなど回っていた。
 しかし、暗くなると諦めざるを得なかった。
 もしかしたら、すでに日本を去ってしまったのかもしれない。
 最後の最後で奇跡は起きないのかと、がっかりとして、次の日はかったるく学校に向かった。
 そして、教室に入るなり、美代が待ち伏せしてたように近寄って来たので、唯香は油断していて驚いた。
 美代は覚悟を決めて近づいたものの、まだどこかで葛藤していた。
 口元をわなわなと震わせ、唯香を前にして当惑している。
 素直になれなれない自分の心は、唯香を見ればチクチクと痛みだした。
 自分は酷い事を唯香にしたのに、わかっていても「ごめん」という言葉が、意地を張ってしまった後ではスムーズに出てこない。
 でもこの痛みを乗り越えなければ、得る物も得られない。
 サトミに教えてもらったノーペイン、ノーゲインを思い出し、美代は迷いを振り払い踏ん張った。
「唯香、あのさ」
 美代が口を開いた時、唯香は構えてしまった。
 お互い弾き合って相容れないはずだった。
 だが、その後の美代の言葉に、唯香は美代と仲たがいしている事を忘れてしまった。
「あの、サトミっていうおばさんのことだけど」
「美代ちゃん、サトミさんと何かあったの?」
「うん、日曜日に偶然あって、ご飯奢ってもらった」
「えっ! ごはん奢ってもらった?」
 唯香の心に嫉妬が顔を覗かせ、簡単に嫌な顔つきになっていた。
 自分は必死で探しているのに、美代はサトミと出会って食事していた事が受け入れられない。
「なんで、美代ちゃんがサトミさん会ってるのよ」
 本能のまま思わず八つ当たった。
 大人しいと思っていた唯香が、ここ数日で逞しくなってきている。
 美代の方がそれに押されて、ひるんでしまった。
「だって、偶然会って、向こうから誘ってきたんだもん。仕方がないだろ。それでさ、唯香、おばさんの連絡先とか知らない? 知ってたら教えてほしいんだけど」
「こっちが聞きたいくらいよ。先週から必死に居場所を探しているのよ。それなのに、美代ちゃんがサトミさんと会ってたなんて」
「そっか、唯香も知らないのか。それじゃ、おばさんとは本当にもう連絡つかないんだ。明日アメリカに帰っちゃうの寂しいな」
「えっ、明日?」
「うん、春分の日に帰るって言ってたから」
「そんな、明日帰っちゃうなんて」
 唯香は、立ってられないと自分の席へいって、座り込んだ。
 後をつけてきた美代は心配して声を掛けた。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃないよ。どうしてもサトミさんを今日中に見つけないと」
「なんでそんなに必死なんだよ」
 唯香は言っていいものか迷い、美代を暫く見つめていた。
 美代もどこか角が取れて、以前と違う雰囲気がする。
 そうしているうちに、登校してきたナズナと綾が、恐る恐る唯香と美代に近づいた。
 美代とどうなっているのか話して欲しいと、二人は唯香を見つめた。
「あのね、美代ちゃんがサトミさんの事探してるんだけど、私も探してるって話してたの」
 唯香は、何かの助けが欲しいと、藁をもつかむつもりで、三人に自分の祖母とサトミの関係を話し、どうしても会わせてあげたい事を伝えた。
 そんな話をしているうちに、四人は仲たがいしている事も忘れ、真剣にどうすればいいか知恵を出し合っていた。
「実家を売るために帰ってきたんだったら、不動産屋で、サトミさんの家が売りに出されてないか調べて貰ったら?」
 綾が言った。
「そうか、その手があったか」
 唯香は、なぜそのことに気が付かなかったのか不思議なくらいだった。
 その日、学校が早く終わらないか、そわそわとして、放課後になるや否や、学校を飛び出し、駅前にある小さな不動産屋を目指した。
 美代も後から追いかけてきて、唯香と肩を並べた。
「私も一緒にいっていい?」
「別にいいけど」
「唯香、まだ怒ってる?」
「怒ってるとか言われたら、正直、色々な事思い出して、やっぱり嫌だったなって思いはある」
「そっか。唯香、ごめんね」
「えっ」
「別に許されなくてもいいけど、とりあえず謝っておきたかった」
「美代ちゃん、どうしたの?」
「謝ったらそんなに変?」
「変じゃないけど、なんかびっくりしちゃった」
「こっちは、ちょっとすっきり」
「サトミさんと会って何かあったの?」
「うん、そんな感じかな。あのおばさん、面白いよね。なんか好きになった」
「だめ! サトミさんは、美代ちゃんには渡さないから」
「えっ」
「ずるいよ、サトミさんにご飯奢ってもらったって。私も行きたかった。なんで連絡くれないのよ」
「だって、喧嘩してたし、なんで、ああなったか自分でもわからなかった。本当に偶然の成り行きだったんだもん。もしかして、唯香、ヤキモチやいてる?」
「うん」
 はっきりという唯香に、美代はぷっと吹いてしまった。
「そっか。見つかったら、みんなで食事に行こう。唯香のおばあちゃんも連れて」
 美代が微笑むと、唯香も一緒になって微笑んだ。
「じゃ、今日の夜はパーティだ」
 唯香が言うと、美代は「うん」と力強く頷いた。
 すでに二人の間にはわだかまりがなくなっていた。
 素直になる事ですっきりと心を洗い流した。
 唯香は自分の祖母の教訓を生かし、素直に謝って来た友達を拒絶したくなかった。
 唯香も美代も少しずつ変わろうとしている。
 何かが変わった時、さらなるセレンディピティへと繋がるかもしれない。
 二人はすでに、サトミの家を特定したつもりになって、このまま上手くいくと信じて止まなかった。
 駅前の不動産屋に着いて、サトミの家が売りに出されてるかと訊くも、それらしき物件が見つけられなかった。
 不動産屋がいうには、他の大手の所で頼んだのか、または直接買主を見つけ、すでに契約が結ばれて、取引は終わってる可能性も示唆した。
 それ以上の情報が得られないとわかった二人は、力なくお礼をいってから、萎れたようにがっかりとしてそこを出た。
 これで最後の手掛かりも水の泡となって消えた。
inserted by FC2 system