第七章
5
唯香たちの努力のお陰で、サトミをギリギリのところで捕まえる事ができて皆喜んでいた。
サトミとハルカは無事に再会を果たし、長い年月だったと、お互いの姿を見て言葉を詰まらせていた。
過去の事は思い出の一つとして、そういうこともあったわねぇでお互い終わらせた。
それよりも、紆余曲折に歩んできたお互いの道がどうだったか、これから話していけばいい。
再会をしてしまえば、過ぎ去った長い時間は、ここへ来るためにタイムリープして飛び越えたと思えばいいのかもしれない。
サトミもハルカも心の中は中学の頃となんら変わりがないと感じていた。
「まさか、唯香ちゃんと貴光君がハルカちゃんのお孫さんだったなんて。しかも千夏ちゃんが親戚でしょ。そんな偶然ってあり?」
空港内のレストランで、テーブルを囲みながらサトミが言った。
「おばさん、私も唯香繋がりだよ。忘れないで」
「そうよね。美代ちゃんが居なければ、こんな偶然もなかったかもしれない」
「事が事だけに、あまり褒められたことじゃないけどね」
美代はバツが悪そうにしていた。
その隣で唯香が茶化して、軽く肘鉄を食らわしていた。
そこまで仲よくなっているその様子に、サトミは微笑ましく見ていた。
結局はあの一騒動も無駄ではなかったのかもと思えるくらい、上手くいってよかったとサトミは思っていた。
全てが繋がっている。
どんな些細なことも、まるでピンボールのように色んなところにあちこち当たって、思いもよらない結果が待っていた。
セレンディピティ──
言い表すのなら、それが本当にピッタリの表現だとサトミは思っていた。
「でもサトミちゃん、どこに住んでたの? 唯香たちの話を聞いてから、ほんとに探したのよ」
「昔住んでたところの裏。あの辺住宅街になって家増えてたでしょ」
「えっ、そんなとこにいたの」
手掛かりを探そうと、サトミが昔住んでいた場所を訪ねたとき、自分はそこを見ていた。
ハルカは拍子抜けしてしまった。
「喧嘩したのは家を買う前だったから、知らせてなかったもんね」
「本当に長い年月が経ったものね」
ハルカはしみじみして、当時の事を思い出していた。
「時間はかかったかもしれないけど、縁があったってことだわ。これこそ、何かの導きで、私が最後にしなければならない事を教えてくれたのかもしれないわ」
サトミはグラスを手にして水を飲んだ。
「サトミちゃん、もう日本に帰ってこないの?」
「うん、帰ってくる家も目的もないしね」
「そんな、私たちがいるじゃない」
唯香が叫んだ。
「これ、唯香、声を荒げちゃだめ」
ハルカは注意した。
「でも唯香ちゃんにしたら珍しいですよね。昔は大人しい子だったもの。急に変わった感じがする」
千夏も何かの変化を感じ、自分もまたサトミと出会ったお陰で、影響を受けているのを感じていた。
「唯香ちゃん、ありがとうね」
サトミは素直に言った。
「でも、サトミさん、また来て下さいよ。上司の鬼塚も社員として雇いたいとか言ってましたよ」
「ああ、鬼塚さん。あれから腰の具合はどう?」
「すっかり良くなってるそうです。だけどいいタイミングでしたよね、ぎっくり腰。サトミさんがあの時かけた呪いでしょうかね」
「そういえば、呪いかけとくとか言っちゃったもんね」
「おばちゃん、呪いもかけられるの? すごいな」
貴光が真に受けた。
「違う違う、それじゃおばちゃん、魔女じゃない」
「でも、不思議な力を持ってると思う」
美代が真面目に言った。
唯香も負けじとムキになった。
「だから、また会いに来て。これが最後だなんて言わないで」
サトミは何をどういっていいのかわからずに曖昧に笑ってごまかした。
覚悟を決めて帰ってきて、全てにさようならを告げた後では、簡単に戻ってくるとは約束しがたかった。
そのサトミの気持ちもやはり伝わるのか、食事が運ばれ、最後の晩餐のようにしんみりとしながらそれぞれ咀嚼していた。
食事が済んだ後、サトミが伝票を取ろうとすると、ハルカが先に手を出した。
「ここは私が払うから」
「ダメだって、わざわざここまで来てもらったんだから、私が払うわ」
「いいって、サトミちゃん」
「ハルカちゃんこそ、いいから、それちょうだい」
お互い伝票の取り合いをして、典型的なおばさんのやり取りをしていた。
周りにいた唯香たちは恥ずかしいと思いながら、決着がつくのを黙って見ていた。
「今度帰って来た時はサトミちゃんが払って。それなら、いいでしょ」
ハルカは伝票を持ってレジに行く。
これで最後ではない。
ハルカの意味している事が、サトミにはダイレクトに伝わってくる。
レストランを出た後、時間を見れば、サトミはそろそろ搭乗口に行かなければならなかった。
その前に保安検査場で荷物の検査をしなければならない。
そこへ入ってしまうと、もう出て来られなくなる。
保安検査場に入るまでにはすでに列ができていた。
「おばちゃん、行っちゃうの?」
あどけない瞳をサトミに向けて貴光が寂しそうに言った。
「貴光君、元気でね」
貴光の柔らかい頬を、サトミは両手で挟み、むにゅーっと押した。
「おばちゃん、 何するの?」
貴光は口をタコのように突き出していた。
「これで貴光君は将来ハンサムになります」
「ほんと?」
素直になんでも信じてしまう貴光は、サトミにとってもかわいくてたまらなかった。
千夏は肩にかけていた鞄から手のひらよりもやや大きめの四角い何かを取り出し、それをサトミに渡した。
「これ、荷物になるかもしれませんが、受け取って下さい。鬼塚と私からです」
「えー、鬼塚さんもなの。ありがとうね。でも何かしら」
「中身は後で見て下さい」
「わかったわ」と言って、サトミは鞄に入れた。
「サトミちゃん、急だったから何も用意してないの。ごめんなさいね」
ハルカが申し訳なさそうに言った。
「そんな、会えただけで十分よ」
「おばさん、絶対戻ってきてね」
唯香がサトミに抱き着いた。
サトミは優しく抱きしめ返した。
「ありがとうね。唯香ちゃん、中学生活、全力で楽しむのよ。美代ちゃんもよ」
「おばさん、ありがとう」
すでにサトミに抱きしめてもらってたので、唯香に遠慮して、美代は一歩下がっていた。
「それじゃ、行くわ」
サトミは列に並び、5人はサトミの横について一緒に進んだ。
その間も、他愛無い話をしつつ、笑い合っていた。
とうとう入口の側に来た時、サトミはパスポートとチケットを見せる。
それが終わって、サトミは振り返り大きく手を振って最後の別れをする。
感極まってみんながサトミの名前を呼んだ。
「サトミちゃん! いってらっしゃい。早く帰って来てね」
ハルカの声に、サトミの胸が一杯になった。
「ハルカちゃん……」
入口は混雑していて、サトミはもたもたして注意をされていた。
それでも気にせず、しぶとくそこに留まって、ハルカに叫んだ。
「行って来ます! またね」
そして後ろから押されるように中へと入って行った。
みんなは入口に暫くとどまり、中を見ようと角度を変えながら首を動かしていた。
サトミが振り返る度に、かろうじてみんなの顔が見えていた。
まだ自分を待っててくれる人がいる。
サトミはその時ようやく気が付いた。
最後じゃなかった。
偶然が重なって、知らずと大切なものへと繋がって、それは自分が遠くへ行っても繋がったままそこに残った。
荷物検査が終わって、セキュリティゲートを通った後は、すでにみんなの姿が見えない場所に来ていた。
寂しさがこみ上げるも、みんなの顔を思い出すと繋がりが支えになって、サトミはまた心が満たされていった。
出国審査で自分のパスポートを預け、スタンプを貰った。
パスポートを審査官から返してもらう際、言葉が添えられた。
「いってらっしゃい。お気をつけて」
それが社交辞令、ただの挨拶だとしても、サトミの心に沁みいった。
「ありがとうございます」
丁寧に礼を言ってから、自分のパスポートを手にした。
そこを出て、搭乗ゲートに向かえば免税店が並んでいた。
店の中は最後の買い物を求めて、客たちで混雑していた。
そこから漂う香水の匂い。
ここに来るといつもこの匂いがする。
この匂いは、日本を離れ、飛行機に乗り込もうとする匂いなのだ。
プルースト効果というのだろうか、もの悲しい気分にさせられた。
搭乗ゲートで、空いてる席に座って、アナウンスが入るのを待っていた時、千夏からのプレゼントを思い出した。
それを取り出して、中を開けて見た。
百貨店で買ったような、洗練されたデザインの財布が入っていた。
「あらま、財布が欲しかったから嬉しいわ。なんでわかったんだろう」
ぶつぶつといいながら、じっくりとその財布を見ていた。
いい感じのデザインで、サトミはすぐに気にいった。
箱から取り出し、中の部分もチェックしていたそのとき、すでに一万円札が入っていたことに驚いた。
そこにメモも入っていた。
『失礼と思いながらも、先日のお礼です。お受け取り下さい。鬼塚』
鬼退治して、その鬼からお礼を貰ったみたいで、サトミは笑っていた。
一万円札にも、また日本に帰ってきて使えと言われているような気がした。
そうしているうちにアナウンスが流れた。
まずはファーストクラスの客、その次がビジネスクラス。
エコノミーはまだまだ後だと思っていたが、サトミは思い出した。
自分はアップグレードされて、ビジネスクラスだった。
人生何があるかわからないものね。
その人生も色んなことが繋がった後では何一つ無駄なものはなかった。
サトミはもう寂しくなかった。
最後に実家に帰ってきたのには意味がちゃんとあった。
このままで終わらせない途切れた糸を紡ぎに帰って来たのだ。
またハルカに会いに戻ってこよう。
そして過ぎ去った日々を取り戻して、沢山思い出話をしよう。
そう思うと、色んなことを早く言いたくなって、いつ戻ってこようかと頭の中で考えていた。
そしてビジネスクラスの客への案内が流れてきた。
サトミは、わくわくとしながら、お先にと沢山の人が居る中をするりと抜けて、元気に飛行機へ乗り込んでいった。