メガネ×彼女=名探偵

 ずっと不思議に思っていた謎が解けたのは小学生最後の三月に入って間もない頃だった。
「……校長先生の手を見て。それが証拠」
 西園寺藍《さいおんじあい》は全てを僕に説明した後、最後をその言葉で締めくくった。
 相変わらず表情変えない彼女。メガネの奥からは鋭い目つきが僕を見ていた。
 自信があるときに見せる彼女の癖とでもいうのか、プロの顔つきみたいだ。
 間違いじゃないからと言い切っているのが伝わってくる。
 昨年の夏くらいからずっと気になっていた事が、彼女に話しただけで一瞬にして解決してしまった。
 卒業式もあとわずかにせまっているこの時。その日までの一日一日を悔いのないように大切に過ごそうと先生が言うから、僕は気になっていた事をすっきりさ せたくて彼女に相談した。この学校で犯罪が起こっていたらと思いながら卒業するのが嫌だったからだ。それともうひとつ理由があったけど――。
 だからたまたま自習になったこの授業で、本を読んでいた隣の席の西園寺にどう思うか謎について訊《き》いてみたのだ。
 僕はただ、気にするなと言って欲しかっただけだった。彼女にそういわれたら落ち着くし、後は楽しく話が弾《はず》んでくれたらと僕は期待していた。
 それなのに彼女は名探偵のごとく目を光らせて推理した。普段の大人しいおしとやかな態度から豹変《ひょうへん》したみたいに、狂気じみているようにも見えた。
 その表情にも圧倒されたのもあったけど、全てを聞いても僕はまだ信じられない。本当に校長先生が犯人だなんて。
「別にいいわよ。信じなくても。大久保《おおくぼ》君が自由に判断すればいいこと」
 心を読まれている。僕の心臓はドキッと跳ね上がった。
「いや、まだ信じないとは言ってないじゃないか」
「眉根をよせた目、半開きになった口、そんな顔をしてたら信じられないって言っているようなものよ。顔に出てるわ」
 指摘され、僕は慌てて口を噤《つぐ》む。
 僕の態度に呆れたのか、それとも見てみないふりをしてくれたのか、西園寺は視線を机の上に置いていた本に向けた。
 大人しく自分の世界に閉じこもって本を読み出した。僕はもう少し話し合ってみたかったのに、その余地も与えられなかった。
 西園寺が読んでいるその本は字がいっぱい詰まって子供向けじゃなさそうで、見るからに難しそうだ。
 一体何の本を読んでいるのだろうと思ったとき、西園寺はまた僕に振り返った。
「推理小説よ」
 やはり僕の心は読まれている。
「そっか、どおりで推理するのも好きそうだね」
「べ、別に」
 思わず「えっ」と喉に引っかかった声が漏れてしまう。
 だったらなぜ、僕の謎を刃物でも切り裂くような鋭さで推理したのだろう。と、また心に思っていたら、西園寺が言った。
「はっきりさせないと気がすまないだけ」
 僕はまた圧倒される。
 ついモジモジとして、その後の言葉を続けられなかった。
「言いたい事があればはっきり言ったら?」
 西園寺は僕にまっすぐ顔を向けていた。その時のメガネの奥の目は光の加減ではっきりと分からなかった。
 西園寺の目はメガネを通すと冷たく感じる。でも一度メガネを外した西園寺の顔を見た時、僕はいつもと違う表情に驚いた事があった。それ以来、西園寺を見る僕の目が変わった。
 それは僕が謎に遭遇《そうぐう》した時期と重なる。

 夏休みが終わろうとしていた頃、植物係りの僕は学校で育てている植物に水をやりに来ていた。校舎の端にはちょっとした畑があって、そこで花や野菜を植え ている。この時僕の提案でひまわりを植えた。ちょうど僕が水|遣《や》りに来れば僕よりも背の高いひまわりが大きく育っていた。いくつか蒔いた種のうち、 これだけがうまく育ってくれた。あとはカラスにでも種をつつかれたのだろう。
 ひまわりの種は人間も食べられるだけあって、鳥にとっても餌になってしまう。ひとつでも育って本当によかった。僕はそれを見上げる。
 立派な黄色い大輪が夏の日差しをたっぷり受けて、青い空の下でとてもコントラストに際立っていた。
 水をたっぷりとやって、僕は自分の仕事を終えた。
「暑いな」と噴出してくる汗を僕は拭《ぬぐ》う。校舎の裏側の水飲み場に寄って水を飲もうとした時、どこからか「キャー」という悲鳴が微《かす》かに聞こえたように思った。
 辺りをキョロキョロとしてみたが、誰もいる気配がなかった。
 気のせいかと思ってまた水を飲もうと蛇口に口を近づけるとまた声が聞こえた。
「助けてっ、助けてぇ。キャー」
 微かながらも今度は確実に聞こえた。
 どこから声がするのだろうと僕は辺りを見回ったけど、何の手がかりも見つけられなかった。
 僕はどうしていいかわからなくて、突っ立っていると、そこに校長先生がやってきた。
「君はここで何をしているんだい?」
「あの、植物係で畑に水をやりに」
「ああ、それはご苦労だったね。そういえばトマトやキュウリが育っていたね」
「あの、校長先生」
「なんだね」
「さっき悲鳴を聞きませんでしたか?」
「悲鳴? いや、何も聞こえなかったけど、もしかしたらどこかでふざけているものがいるのかもしれないね。とにかく、気をつけて帰りなさいね」
 校長は急いでいるのか、スタスタと去っていった。
 結局その後は何の変化もなく、それ以上どうすることも出来なかった僕は学校を後にした。
 家に帰るまであの悲鳴の事を考えながら歩いていたため、周りをあまり見ていなかった。その時、曲がり角で僕は人とぶつかってしまいそこで我に返った。
「あっ、ご、ごめんなさい」
 咄嗟に謝って頭を下げる。
「べ、別にいいよ。大丈夫だから……」
 か細い声で恥ずかしげに言う声が僕の耳に届き、僕が顔をあげるとそこには頬を少しピンクに染めた可愛い女の子が、お人形のように着飾って目を泳がせながらモジモジしていた。
 どこかで見た事あるけど、それが思い出せない。それよりもこんなお嬢様のような女の子なんて僕は一度も会った事が……と思っていた時だった。
「大久保君、あんまりじろじろみないでよ。じゃあね」
 去っていったと同時に、僕ははっとする。あれは同じクラスの西園寺藍だ。
「嘘だろ。ドレス着てメガネ外したら別人じゃないか」
 僕は去っていく彼女の後姿を見ながらびっくりしすぎて唖然としてしまう。
 西園寺も一度振り返り、僕と目が合うとハッとして小走りで去っていった。それはもう僕の知っている西園寺じゃなかった。
 夏休みが終わって二学期が始まったその日、教室に入ると僕はつい西園寺の姿を一番に探した。西園寺はメガネをかけ地味にひとりで席についている。
 僕が近寄ろうとすると、その気配を感じ取ったのかこちらを振り向き、メガネの奥から僕を冷たく見る目が光った。
「近づかないで」といわれた気がして僕はそこで怖気づく。それがあったから偶然出会ったあの時のことを話せなくなった。
 それでも僕は時々西園寺を見ていた。物静かでクラスでも全く目立たず、いつも控えめだ。でも目だけは光らせて物事をよく見ている様子だ。夏の終わりで僕が街で見かけた西園寺とどっちが本当の彼女なのだろう。メガネがあるなしでは彼女の雰囲気が全く違う。
 そんな暢気《のんき》な事を考えていた時、事件が起こった。
 僕が大切に育てていたひまわりが突然姿を消したのだ。いたずらされたのかと思ったけど、太くて硬いひまわりの茎は手で簡単に折ったり、切り離したりする 事はできない。僕が見たときは鋭利な刃物かはさみでスパッと綺麗に切られた痕があって、これは完全に人が持っていったとしか思えなかった。
 でもそれを悲しんでいるのは僕だけで、夏休みが終わって久しぶりに学校に来た者には、畑に何が植えられていたのか誰も気にするものはいなかった。盗まれたといってもひまわりだからその辺に生えているタンポポが引っこ抜かれたくらいにしか思わなかっただろう。
 だけどキュウリやトマトはそのままなのにひまわりだけが畑から消えたから、それが不思議でたまらなかった。
 その悲鳴を聞いたことや消えたひまわりの話を西園寺にしたわけだけど、その犯人が校長先生だと彼女は言い切ったのだった。
 それを聞いてすっきりしたわけでもなく、結局訳がわからぬままに卒業式を迎えることになってしまった。
 体育館で行われた卒業式。グズッと鼻をすする音が時々聞こえてきた。寂しさが極まってきたのだろう。六年間通った小学校ともお別れとなると寂しくなるし、中学へ進む不安もあって、まだこの場所にしがみ付いていたいのにひっぺがされて追い出されるような悲しみがあった。
 それも人それぞれの感情が胸に渦巻いているのだけれど、僕は舞台の教壇に立つ校長を見ていた。
 そろそろ卒業証書授与の順番が回ってくる。僕は立ち上がり、舞台の端へと向かう。そこからまだ椅子に座っている西園寺をチラリと見た。
 相変わらずメガネを掛けている西園寺は無表情だ。
「大久保遊《おおくぼゆう》」
 とうとう僕の名前が呼ばれた。
「はい」と返事して僕は舞台の上へと進んだ。なんだか体が強張る。針金になったような体で僕はお辞儀をするのだけれど、西園寺は僕の事を見ているのだろうか。そう思うと余計に緊張した。
 校長先生が卒業証書を僕に手渡そうと差し出す。
 その時僕は校長先生の手を見た。所々に引掻かかれた傷のようなものが見える。西園寺が言った通りだった。
「ひまわりを盗ったのは校長先生だったの?」
 思わず声が漏れた。
 校長先生は一瞬ハッとしたが、気を取り直して他の皆と同じように「卒業おめでとう」と何も聞かなかったように僕に証書を渡してくれた。
 もう次の人が舞台に近づいてきている。僕は何もなかったように舞台から下りていった。

「私の推理は正しかったと思う?」
 西園寺はメガネの奥から好奇心の目を覗かして僕に訊いた。
 卒業式が終わり、教室でみんなと最後のお別れを済ませた後、みんなが思い思いに散らばる中で、僕は廊下で西園寺とふたりで向き合っていた。
「確かに、校長先生の手には引掻《ひっか》き傷があった」
 僕がそういうと、西園寺の口元が薄っすらと笑みを浮かべた。
 僕は相談した時の彼女の説明を思い出していた。
『夏の日、大久保君が聞いた悲鳴は人間じゃなくて物まねが出来る動物、多分オウムか九官鳥ね。校長先生に悲鳴の事を訊いた時、“もしかしたらどこかでふざ けているものがいるのかもしれない”と言ったんだよね。それって校長先生にはすでにオウムだってわかっていたからそう答えたんだと思う。なぜかはわからな いけど、校長先生は物まねができる鳥を学校で飼っていた。そして消えたひまわりは鳥の餌にされたんだと思う。そのふたつの謎は繋がっているはず。もしかし たら手には世話する時にできた引掻き傷があるんじゃないかな。犬や猫もそうだけどペットを飼うと傷ができやすくなるから。校長先生の手を見て。それが証 拠』
 まさか校長先生がひまわりを盗っただなんて僕はまだ信じられなかった。
 だけど、西園寺の推理は当たっていた。
 校長先生が自ら僕の前にやって来た。僕が舞台の上で呟いた言葉がどうやら効いたようだ。
「ひまわりを盗ってすまなかった。一応あの畑のものを少し頂いてもいいかと他の先生に聞いたんだけど、許可を得るのは水をあげて育てていた君にするべきだったね。本当にすまなかった」
「あの、校長先生はオウムか九官鳥を学校で飼ってたんですか?」
「ああ、それもばれていたか。昨年の夏、私の娘が出産を控えて実家に戻ってきていて、家で飼っているオウムにもし病気があって移ったら大変だから、念のた め暫く隔離が必要だったんだ。ちょうど夏休みだったし、それで仕方なく校長室に置いてたんだ。そしたらオウムの好物のひまわりが目に入って、枯れかけて種 になりそうだったから失敬したというわけだ。本当にすまなかった」
 最後の最後で謎が解けて僕はすっきりする。
 校長先生ともわだかまりなく最後は握手をし、そしてもう一度「卒業おめでとう」と祝辞を述べられた。一件落着だ。
 それからは成り行き上、僕は西園寺と肩を並べて小学校の門を潜った。
「小学生最後にすっきりしたね」
 西園寺が言った。
「いや、もうひとつ謎が残っているんだ」
「何?」
 西園寺の目がキラリと光った。僕はそれで確信する。西園寺は推理するのが好きでたまらない。しかもそれは人格を変えてしまうほど強く表情に表れてしまうらしい。
「そのメガネ、伊達でしょ」
 僕は無理やり西園寺のメガネを顔から引っぺがした。そのとたん西園寺は慌て出した。
「ちょっと返してよ」
 西園寺は素顔を見られることに急に抵抗を感じ、冷静さが欠けだした。
「僕がメガネを掛けてない西園寺さんに会ったとき、明らかにいつもと様子が違った。西園寺さんはメガネを掛けて本当の自分を偽っている。メガネ依存症だ」
 メガネを掛けると西園寺は地味を演じられ、そして謎に興味が湧いた時、狂気じみた目つきになってもメガネを通すことでそれを誤魔化せると思っている。
 だからメガネがないと落ち着かず、おどおどしてしまう。
「メガネ、返してよ」
 僕はメガネを素直に返したくなかった。だってメガネ無しの西園寺はうろたえてとてもかわいい。
「ちゃんと返すから、今だけはメガネをかけずに僕と一緒にいてよ」
「どうして、こんなことするの?」
「それは分かっているでしょ。西園寺さんは僕の心が読めるんだから。それにはっきりしないといやなんでしょ。僕が謎を持ちかけたときもそう言ってたし」
『言いたい事があればはっきり言ったら?』とあの時西園寺は僕に言った。メガネのせいでどういう目をしていたかわからなかったけど、きっと今見せている目を僕に向けていたのだろう。
 少し潤んだ眼差しで、恥ずかしそうに僕を見ている西園寺。僕を受けいれた目だ。
 卒業するまでにすっきりさせたいと気になって西園寺に話し掛けたけど、そこに隠れたもうひとつの理由、それは僕の恋心。でも僕は土壇場で恥ずかしくなって思わず言葉を濁してしまう。
「ねえ、中学に行っても僕と仲良くしてくれる?」
 とりあえず西園寺は首を縦に振ってくれるはずだ。
 でも西園寺は僕からメガネを奪い、それを身に付けるといつもの姿に戻ってしまった。そして「ふんっ」と気にいらなそうに前を歩いた。
「ちょっと待ってよ。もう僕たち友達でしょ。やっぱり無理にメガネをとったこと怒ってるの?」
 僕は追いかけた。
 西園寺は立ち止まり振り返る。
「違うわよ。んもう、バカ」
 なぜかわからないけど、頬を赤くして、その時だけはメガネをかけていてもいじらしく僕を見ていた。
 その時僕ははっとした。あっ、もしかしたら――。
「西園寺さん、ちょっと待って、あのさ、実は、その」
 今気持ちをはっきり言ったところで、すでにいつもの冷静な姿に戻ってしまった彼女は素直に受けいれてくれないかもしれない。
 そのかわり僕は違う質問をする。これなら彼女を惹き付けられる。
「ねぇ、よかったらこの先もふたりで謎解きしない?」
 そのとたん、西園寺は僕に振り向いて、キラーンと名探偵のように鋭く目を光らせた。

 了
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