Temporary Love

第一章


 初めての出勤はさぞかし疲れただろうと、閉店間際に氷室はなゆみをちらりと見る。
 見よう見真似で、片付けもミナと紀子に合わせて最後まで気を抜かずに頑張っていた。
 ミナも紀子もまだ心を許しておらず、なゆみとは会話も少なかったが、一生懸命仕事をする態度は好意的に受け入れている。
 初めてにしては、積極的に接客し、客の扱いには慣れているようだったと思わざるを得ない。
 20歳のまだ社会経験不足の割には、なゆみはしっかりしているようだった。
 閉店時刻になるとすぐに店のシャッターを下ろす。
 タイミングを逃すと客はすぐに入り込むため、早く仕事を終わらすためにもここは一丸となってテキパキと作業を進める。
 最後に端っこだけ少し開けておく。
 屈まないと入り込めないので客は入ってくることはない。
 しかし、誰かがぬーっと入り込んできた。
 しつこい客だと氷室は追い返そうとしたが、それはこの会社の専務こと純貴だった。
 遅くなるとは言っていたが、終わった後では一体何をしにきたのだろうと、氷室だけでなくミナも紀子もあきれ返った。
 それでも会社の専務。
 皆、礼儀は必要だった。
「お疲れ様です」
 ミナと紀子が揃って言うと、なゆみも遅れて言った。
「ああ、君が斉藤さんだね。初めまして。専務の谷口純貴です」
「初めまして。今日から働かせて頂いた、斉藤なゆみです」
 ここでもハキハキと挨拶をしていた。
「元気がいいね。気持ちいいくらいだ」
 なゆみははにかんだ笑顔を返していた。
 それは恥ずかしそうにしながらも素直で初々しかった。
 氷室はふと、あまり目にしないそのかわいらしさに釘付けになった。
 ミナと紀子が着替えるからと控え室に入る。
 なゆみも一緒に後をつけて行った。
 暫く氷室は純貴と二人っきりになった。
「コトヤン、久しぶりに飲みに行かないか」
「いや、遠慮しておく」
「どうしてさ、俺のおごりだぜ」
「ちょっと疲れた」
「何を言ってるんだ。とにかく来い。これは専務の命令だ」
 純貴は思うようにならないと権力を盾にする。
 氷室は駄々をこねる子どもを相手してるみたいで、もやもやしながらも誘いに乗った。
 というより、断るのも面倒臭くなった。
 着替えが終わり、控え室から三人が出てきた。
 なゆみの肩には大きなリュックが背負われている。
「お疲れさん。それじゃまた明日ね」
 専務らしくない軽いノリだったが、権力のあるものには逆らえない弱い立場の従業員たちは、馬鹿丁寧に頭を下げて挨拶する。
 ミナと紀子がシャッターを潜ったとき、なゆみは後をついて出て行くのを一瞬戸惑って、そして気合を込めて振り返った。
「あの、氷室さん、今日はどうもすみませんでした」
「はっ? 何が」
 咄嗟のことに氷室は不思議さを押し出した返事をしたが、それが苛立ってるしぐさにみえたのか、なゆみは一度目を閉じてうつむきながら喋る。
「余計な仕事をさせてしまって、そのせいで疲れさせてしまったのかと思いまして。本当にすみません。明日はご迷惑かけないように頑張ります」
 氷室と純貴の会話は控え室に筒抜けだった。
 それだけではなく、氷室にはいい印象をもたれていないと思ったのだろう。
「おいおい、コトヤン、やっぱり新人にきつくあたったか」
 純貴は氷室の肩をばしっと一発叩いた。
「ちょっと待てよ。専務が誤解してるじゃないか。とにかくそんなの迷惑とは思ってない。初めてで失敗なくできる方が不思議なくらいだ。気にするな。斉藤は初めてにしては頑張ってたよ」
「はい。ありがとうございます。それじゃ失礼します」
 なゆみは少し安心したのか、頬が緩んだ。
 そして一礼をしてシャッターの下を潜っていった。
「へぇ、健気な子だね。親父が気に入った訳だ。面接で素直さがよかったとか言ってたよ。しかしもう呼び捨てしてるんだな。お前にしちゃ珍しいな。いつもだ れだれさんって『さん』づけなのに」
「えっ、俺、呼び捨てにしてた?」
 純貴に言われるまで、氷室は自分でも気づいていなかった。
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