第一章
7
金髪のヒョロヒョロとした外国人男性を囲んで、その周りに男性が4人、なゆみをいれた女性が2人、合計7人が団体で歩いている。
なゆみは一生懸命外国人に何かを話して、それに反応するように周りが大笑いしていた。
氷室の目から見ると、なゆみは人を笑わせおどけた感じに見えた。
もう一人の女性は後をついていっているだけで落ち着いている。
残りの4人の男達は大きな声で笑い、ノリがよく、なゆみは違和感なくそこに混ざり込んでいた。
それはまるで男同士に見えたくらいだった。
やがてなゆみは一人の男性の側に寄って肩を並べて歩き出した。
なゆみより少し背が高いが、氷室から見れば低く感じ、つい自分と比べてしまう。
その男は、時折なゆみに振り返り、楽しそうに話しながら歩いていて、ふんと訳も分からなく蔑んで見てしまった。
特徴が他にないか隠れて観察を続けていると、メガネをかけている事に気が付いた。
メガネ男子。
どこにでもいそうな無難さを思い浮かべ、勝手に顔を想像してみる。
まあ大した事はないだろう。
しかし、なゆみはじゃれ付く子犬のように、その男と嬉しそうに話していた。
まるでそれは好きな男の子を前にして、調子に乗ってはしゃいでいるようである。
男の方はまんざらでもなく、時々なゆみの頭を叩いたりと突っ込みをいれている。
ああいうのが斉藤のタイプなのか──
そう思うと、氷室は気づかれないように、できるだけその男の顔が分かるように斜め側に寄っては、工夫して近づく。
幸いなゆみはその男に夢中で、氷室が後ろを歩いていることなど気がつく事もなかった。
周りにも程よく人がいて、さらに弱々しい街の光しかない薄暗さが隠れ蓑となり、氷室も通行人の一人として怪しまれる事はなかった。
ある程度の距離が近づくと、話声が聞こえてきた。
「ジンジャも来てよ。そこ一杯安いチケットとか商品券売ってるんだ。見るだけでも面白いから、遊びに来て」
ジンジャ?
それがその男の名前なのだろうか。
なんとも神社みたいな、または生姜の英語の響きだと、氷室は変な名前にダサさを感じていた。
自分も純貴からコトヤンと変なあだ名をつけられていることなど失念していた。
なゆみはアピールするように自分の働き先のことを教えている。
やはりその男が好きなのだろう。
隠れて見たその男の顔は、なかなか女性受けする優しさを添えたハンサムには間違いなかった。
しかし、なゆみは元気がいいが女性の色気がないために、なんだかそれ以上の発展がないようにみえた。
ずっと友達のまま、そしてなゆみの片思い。
氷室には少なくともそう見えた。
それともそうであって欲しかったのか──
なゆみがはじけるくらいに明るくジンジャと話をしている姿を見ているうち、氷室は知らずとぐっと体に力を入れていた。
はっとしてその力を解き放した時、こそこそと隠れて観察している自分が情けなく、自然と立ち止まる。
暗い街の中、なゆみ達はどんどん前を歩いて遠くなっていった。
次の朝、氷室がいつものように店に出勤すると、やはりなゆみは誰よりも早く来ていた。
片手に本を持ち、ぶつぶつと何かを唱えているしぐさをしている。
氷室が近づくと、すぐに本を閉じ、この日も元気に「おはようございます」と挨拶をした。
もちろん笑顔も添えて。
「おはよー、早いね。それに朝から元気なこと」
氷室の言葉に特別返事はしなかったが、なゆみはそれしかできないからというようなはにかんだ照れ笑いになっていた。
なゆみの手に持っていた本をちらりと見る。
いちいち何かにつけて氷室は無意識になゆみを観察している。
「それ、英語の単語集だね」
「はい、少しでも単語を覚えないといけないので持ち歩いてます」
「ふーん、大変だね」
何をどうこう言うつもりはなかったが、それが一番無難な受け答えだった。
「でも楽しいですから。今まで自分から勉強したいなんて思ったことなかったんです」
しかしなゆみは嬉しそうに目を輝かせて答える。
何かに打ち込んでいる情熱が感じられた。
氷室はまた目を逸らしてしまった。
決してそれは不快に思ったのではなく、自分の昔の姿に似た部分を見つけ、見続けるのが嫌だった。
何もない空っぽの心の中で、虚しさがさらに濃くなる気分になるからだった。
思い出すのを恐れてしまう。
なゆみの一生懸命さに戸惑って、逃げてしまっていた。
一回りも離れた、色気のない女の子なのに、氷室にはあまりにも眩し過ぎた。
朝のまだ誰も居ない静かな店の中でなゆみと二人っきり。
なゆみは静かにショーケースを拭いている。
一つ一つじっくりと並んだ商品を観察しながら、置いてある場所を覚えようとしていた。
前日は緊張で目に映っているだけで、どんな商品があるかまで気が回らなかったのだろう。
二日目は少し落ち着いているように見えた。
それともジンジャと前夜楽しく会話したことが元気の源になってるのだろうか。
氷室はなゆみがジンジャと戯れる姿を思い出し、眉間に皺を寄せていた。
「あ、映画のチケットもあるんですね。安い。あの、ここにある商品は従業員も買っていいんでしょうか」
突然のなゆみの質問に氷室はハッとする。
「えっ、ああ、もちろん買っていい。映画のチケットが欲しいのか」
「いえ、今はいいんです。そのうち何か欲しくなったら購入させて頂きます」
自分の興味のあった商品を見つけた後、なゆみは面白そうに、自分が欲しいものはないか見ていた。
氷室は、そのあどけないなゆみに気分が和み、傍に居るとなんだか安らいだ。
なゆみの後姿を見つめつつ、棚の上にある箱を手にしようと伸ばしたときだった、それは意外に重くて、バランスを崩し落としてしまった。
派手な音が響き、なゆみは驚いて振り返る。
「大丈夫ですか」
中にはまっさらな伝票が一杯入っていた。
それが箱からいくつか飛び出している。
なゆみはすぐさま駆け寄り、こぼれた伝票を拾い集める。
氷室も無様なところを見せた事に動揺しながら、慌てて伝票を拾っていた。
お互いがその動作に気を取られている時、氷室はなゆみの手に偶然に触れてしまった。
はっとしたのは氷室の方だった。
「あっ、ごめん」
慌ててひっこめたが、なゆみは笑っていた。
「いえ、全然大丈夫です」
なゆみの方が落ち着いて、何もなかったように伝票を箱に全て戻した。
なゆみの手は指がほっそりと長く、また色も白く、まさに白魚のような手だった。
全体的に色気はないが、その手だけは美しいと氷室は感じた。
体勢を整えて、自分の失態を誤魔化すためにも氷室は主導権を握ろうと話しだした。
「指が長いけど、ピアノでも習っていたの?」
「えっ? アハハハハ。いやだ、昨日ミナさんもね、背が高いけどバレーボールでもしてたのって質問されたんです。みなさん、色々と想像して下さるけど、
私、ピアノも習ったことないし、バレーボールの選手でもなかったです」
そういえば、なゆみは女性にしてはある程度背があった。
それで前日ジンジャと呼ばれた男が小さく見えた訳だと、またあの男の影が一瞬ちらついた。
氷室が箱を棚上に戻そうとすると、なゆみがさりげなく手を添えて手伝った。
なゆみをまじかに見つめた。
気さくで、明るく、少年のようなまっすぐな潔さ。
まるで穢れのないまっ白い無垢のものを見ているようだった。
氷室は鼻から息を吸い込む。
白い花を目の前にして匂いを嗅ぎたいと思う、そんな衝動に駆られたからだった。
しかしなゆみからは何も匂わない。
もう少し柔らかな匂いがあってもよさそうなのに、とどこかがっかりした自分がいた。
自分でも何を期待しているのだろうと、少し自己嫌悪気味になってしまう。
がやがやとした話し声が聞こえた後、ミナと紀子、そして普段昼過ぎに出勤する純貴もこの日は珍しく朝早く現れ、狭いシャッターの隙間を掻い潜るように一度にみんなが入って来た。
なゆみは飼い主を待っていた犬のように、彼らに向かって元気に挨拶をする。
「おはようございます」
「おっ、早いね。そうそう、斉藤さん、これ制服。持って来たよ」
「ありがとうございます」
なゆみは純貴から渡された、ビニール袋に入った新しい制服を嬉しそうに見つめて、そしてミナと紀子と控え室へ入っていった。
なゆみは純貴から渡された、ビニール袋に入った新しい制服を嬉しそうに見つめ、ミナと紀子と一緒に控え室へ入っていった。
そして着替えて出てきた時、なゆみは照れくさそうにしていた。
灰色がかった水色をベースに、両サイドに黒いラインが入ったようなすっぽりしたワンピース。
多少の体系の違いがあっても誰でも難なく着れる。
メリハリをだすために、黒色の紐をベルトのように腰に巻き、前でリボン結びにするだけの簡単な制服だった。
誰にでも着れるとはいえ、サイズが小さいのか、丈が短いのか、それはなゆみの背丈に合わず、中途半端な長さであまり似合ってなかった。