Temporary Love

第二章

10
「どうした、なんか寒そうだな。酔いが覚めてきたんだろう。アルコールが抜けるときはそんな感じだ」
「今日は本当にすみませんでした」
「いいよ。何度も謝るな。間違いを犯して学ぶこともある」
「氷室さんも失敗したことなんてあるんですか?」
「えっ?」
「だって、いつも冷静で、物事をしっかり見てるし、そして自分を見失わないで落ち着いている。なんだか完璧に思えて」
 氷室は自分の話を振られて居心地悪く、呆れ顔になっていた。
「そこまで勘違いされると、苦笑いになる。俺はもうすでに自分を見失ってるよ。物事をしっかり見てる? ただ冷めて馬鹿にしてるだけさ。そして人生も失敗だらけさ」
「氷室さんって自己評価低いんですね。そんなこと全然ないのに。どこか逃げるための口実作ってダメだって思い込もうとしてるみたい」
 それは氷室の逆鱗に触れる言葉だった。
 本当のことをずけずけと言われる程、耳が痛い事はなかった。
 自分がいつもしていることながら、それ以上気安く言われるのが我慢ならなくなり、ついムキになって突っかかってしまった。
「もういい、黙れ。それとも俺がその口を塞いでやろうか」
 自棄になった氷室は、虚勢を張らないと気が済まなくなり、突然腰を上げ、突進するようになゆみの肩を掴んでベッドに押し倒した。
 あまりにも突然の事に驚きすぎて、なゆみは何が起こっているのかわからないくらいだった。
 氷室の顔がまじかに迫り、なゆみに暗い影を落とした時、事の真相に気が付き恐ろしくなってしまった。
 しかし、それ以上何も起こらず、氷室は押し倒したなゆみをじっと見ているだけだった。
 その瞳の奥は虚ろで穴があいているようにも見え、氷室が抱え込む複雑な気持ちが見え隠れしている。
 本気で襲おうとしているのではないと悟ると、恐怖心が消え、心配する眼差しを向けた。
「ひ…… むろ…… さん?」
 全く抵抗しない力の抜けたなゆみの体に気が付くと、強く抑えていた手の力が弱まり、氷室は体を起こして背中を向けた。
「いいか、男と二人っきりで密室に篭るということはこういうことだ。調子に乗って気を許すな。肝に命じとけ。帰るぞ」
「はい、すみません」
 身を持ってそれは学んだことだが、氷室の無理をした行動がどうも引っかかってならなかった。
 氷室が抱えている問題に触れてしまった事で、なゆみは氷室の見方が少し変わった。
 むやみに苦手だと言い切ってしまえないものを感じ、そこに心の傷を見てしまった。
 ゆっくりと身を起こしながら、氷室の背中を見つめていると、後ろからそっと抱きしめたくなった。
 そんな時に、自分のリュックサックを投げられ、代わりにそれをぐっと抱きしめざるを得なかった。
「お前、馬鹿でかいの持ってるけど、その中にいつも何入れてるんだ」
 氷室は何事もなかったように、また元に戻っていた。
「英語の本と辞書とノートですけど」
「それとたくさんの夢もだろ。お前はいつも一生懸命だもんな。俺と違って。お前が羨ましいよ」
 捨て台詞を吐くように、氷室はさっさと部屋を後にする。
「氷室さん?」
 なゆみはリュックを肩にかけ、急いで後を追った。
 その時、鞄に付いたアクセサリーのキティちゃんもなゆみの心と同様に激しく揺れていた。

 会計場で、支払いをしようと氷室が財布を取り出したのを見ると、なゆみは突然タックルを掛けて、突き飛ばした。
 氷室は「わぁ」と突然のことに驚いてバランスを崩しぐらつく。
「おい、何すんだ。お前は闘牛か」
「ここは私が払います。ご迷惑かけたのは私ですから」
 慌ててリュックから財布を出そうとする。
「馬鹿、そんな大きな声でここで支払いのことで議論するな」
 氷室はなゆみを無視して、支払いを続けた。
 釣りを受け取るとさっさと、出口に向かった
「あっ氷室さん。待って下さい。氷室さんったら」
 氷室は逃げるようにホテルから出て行った。
 外に出るなり、追いかけて来たなゆみに「バカ!」と怒鳴った。
「えっ、なんでそんなに怒るんですか」
「俺の名前をあんなところで何度も呼ぶな。名前がばれてしまっただろうが」
「えっ、でも会計場はついたてがあったし、顔はみられませんでしたよ」
「あのな、お前、あそこがどういうところかわかって話しているのか? お前、もしかして鈍感?」
「あっ、それよく言われます」
「ああ、やっぱり。だったらもういい」
 氷室はスタスタと歩き出した。
「氷室さん、待って下さい。とにかく支払いは私が……」
「だからもういいって言ってるだろうが。俺の奢りだ」
 氷室はやけくそになっていた。
「あ、そんな、そしたら今度は私が払います」
「お前、またあそこへ俺と戻るつもりか?」
「えっ? ち、違います。そういう意味じゃなくて。その、もし今度何か奢れることがあったらっていう意味です!」
 二人の会話はちぐはぐしていたが、二人とも呆れて最後は顔を見合わせると笑うしかなかった。
 それは一歩二人の距離が縮まったように思えた。
 そしてホテル街を曲がって大通りにでた時、偶然ジンジャと鉢合わせてしまった。
inserted by FC2 system