Temporary Love

第四章


 ジンジャとは英会話学校のラウンジで会うことになっていた。
 なゆみは英会話学校の前で無意識にスカートの裾を引っ張った。
 緊張して入り口のドアを潜ると、受付の人も目を見張るようになゆみの姿に反応していた。
 レッスンを取ってなかったので、軽く会釈をしてラウンジに向かうと、ジンジャはソファーに座ってそこにいた人たちと話をしていた。
 後ろを向いていたのでまだなゆみに気がついていない。
 その輪の中にはユカリも控えめに座っていた。
 思わず後ずさってしまうも、後ろから声を掛けられ自分の存在がばれてしまった。
「よっ、キティちゃん、今日はいつも以上にかわいいじゃないの」
 クラスがよく一緒になる会社員のおじさんだった。
 大きな太い声で、大げさに反応されると皆から注目を浴びてしまった。
「えっ、タフク? へぇ、お前今日は別人だな。かわいいじゃないか」
 ジンジャがソファーから立ち上がり、なゆみの傍に駆け寄ってくる。
 メガネの奥の双眸が、なゆみに釘付けだった。
「ほんと、キティちゃん、すっごくかわいい」
 そう言ったのはユカリだった。
 なゆみがユカリの対応に驚いている間も、色んな人が声を掛けてきた。
「これからどっかいくのかい」
 また会社員のおじさんがのりよく質問してきた。
「今日は俺とデートなんだよな、タフク」
 さらりと答えるジンジャの言葉を尻目に、なゆみは思わずユカリを見てしまった。
 ユカリは祝福するかの如く、笑っていた。
 周りも調子に乗って冷やかしてくる。
「そっか、デートか。キティちゃんとデートだなんて羨ましいな。次はわしと是非」
「そんなの俺が許しませんから」
 ジンジャが張り合っていた。
「おっ、妬けるね。若いっていいね」
 笑い声が飛び交って、自分をネタにして和気藹々としてる中で、なゆみは一人混乱していた。
 デート?
「それじゃタフク行くぞ」
 ジンジャに腕を引っ張られてなゆみはヨタついて歩き出した。
 「いってらっしゃい」と皆から見送られ、しかもそこには笑って手を振っているユカリの姿もあった。
「なんか大人しいな。どうしたタフク?」
「あのさ、ユカリさんがいたよね」
「ああ、いたけど、それがなんだ?」
「あの人、ジンジャの彼女じゃないの?」
「はっ? 何言ってんだ!?」
「だって、ジンジャと親しかったし……」
「そりゃ、クラスが一緒になれば話すし、出会えば無視はできないから挨拶くらいはするよ。でもそこまで親しかったか、俺?」
「え???????」
「お前何考えてるんだ?」
 なゆみはジンジャに頭を軽くこつかれた。
 その反動で宇宙空間を遠く流れていくような気分になってしまった。
「おい、何突っ立ってんだよ。ほら行くぞ。とにかく先に腹ごしらえだ、もたもたしてたら上映時間に間に合わなくなるぞ」
「うん」
 ジンジャは早足で歩き出すと、なゆみは一生懸命追いかけた。

 時間があまりないので、簡単に済ませられるファストフードを選び、がやがやとうるさい中でハンバーガーをかじりながら、なゆみは狐につままれたような表情をしていた。
「なんか、今日のタフクは変を通り越して何かが乗り移ってるみたいだ。大丈夫か?」
「ほんにゃ?」
 ハンバーガーを頬張ってたときなので、変な声が出てしまった。
「いや、大丈夫じゃなさそうだ」
 なゆみは飲み物を手に取り、慌てて吸い込んで、無理やり喉に流し込んだ。
 そしてまくし立てるように早口で喋りだす。
「もちろん大丈夫に決まってるでしょ。あのさ、前に、授業が終わった後、用事があるから先に帰るとか言った日覚えてる?」
 ジンジャはその日のことを思い出す。
 坂井に呼び止められて、なゆみと二人になりたいから先に帰ってくれと頼まれた日だった。
「おお、あのとき坂井と一緒に帰ったんだろ。なんかあったのか」
「別に何もなかったけど、坂井さんに”風船の寅さん”とか呼ばれたくらい」
「風船の寅さん? なんだそれは」
「それはどうでもいいんだけど、ジンジャはあの時、ユカリさんと一緒だったんじゃないの?」
「どうしてそうなるんだ。さっきもそうだけど、なんでその人がいちいち出てくるんだ? あの後急いで一人で家に帰ったよ」
「でも次の日の夕方、ユカリさんと英会話学校一緒に行ったんじゃなかったっけ」
「ああ、歩いてたらそういえば彼女と偶然会った。でも、よく知ってるな。あの時、そのまま帰ろうとしたら、英会話学校寄って行かないんですかって言われ て、その日、土曜日でイベントのパーティがあっただろ。それをあの人が教えてくれて、それならちょっと覗きに行こうって寄ったんだ。てっきりタフクがいる かと思った。そしたら帰り際に氷室って奴と変なところから出てくるし、びっくりした」
「えっ!? ええーー」
「あの時、俺も大人気なかったな。タフクは訳の分からないこと言うし、酒に酔ってたのかしらないけど、話が噛み合わなくて、しかも氷室とあんなところから出てくるから腹立つし、それで怒っちまった。ごめん。それは謝りたかった」
 あまりの勘違いに、なゆみは顔面蒼白になっていた。
「次の日、電話くれたときもさ、土曜日のあの日、家に帰ったら就職の採用不可って通知が来てて、そこ第一志望だったからそれで日曜日ずっと気分が晴れなく て、 前日のこともあったしお前に八つ当たっちまった。ほんとにごめんな。それ以来、就職活動で焦って心の余裕はないし、タフクに合わせる顔もなかったから、英 会話学校も遠ざかってしまったんだ。そしてやっと就職内定もらえたから落ち着いて、それでタフクにきっちりと話さなきゃって思ってた。だけどなかなか面と 向かって言えなくて、それでとにかく二人っきりになりたくて今日映画に誘ったんだよ」
 全てがなゆみの思い込みだった。
 真実はあまりにも偶然に歪み過ぎて、遠回りばかりしていた。
 ショックのあまり暫く動けなかった。
「おい、大丈夫か? そんなに驚くことないだろう」
 ──それが大いにあるんですよ。
 上手くそれを説明できない。
「タフク、あんまりゆっくりしてられないぞ。ちょっと急いで食べろ」
「あっ、はいっ」
 その後は何が起こったか頭がこんがらがって、思考回路も停止状態のまま、気が付くとなゆみは映画館へ向けてジンジャと走っていた。
 その時、先を走るジンジャはなゆみの手をしっかりと握っていた。

 映画を観てる間、ストーリーもそっちのけで、なゆみは事の発端からこのときのことまで、順を追ってずっと考えていた。
 自分が勝手に想像して勘違いして、そこから氷室を巻き込んでしまった。
 その結果、今のなゆみの心に入り込んできたものは──
 映画の本編が終わり、クレジットが流れだす。
 早々と帰る人がいる中、なゆみとジンジャは暫く席について、字だけが出てくるスクリーンを見ていた。
「結構面白かったかな。タフクはどうだった」
「うん、面白かった。あっそうだ。あとでチケット代返すね」
「いいよ、それくらい。俺が誘ったんだから。タフクはそういうところ律儀だよな」
「そっかな。それじゃご厚意に甘えてありがとう」
「なあ、今までさ、俺、タフクに自分の気持ち伝えてなかったよな。なんか坂井に気を遣って、言えなかったんだ」
 ジンジャが気を遣っていたのは、坂井がなゆみを好きでいたのを直接本人から聞いてしまっていたからだった。
「坂井さん?」
「ああ、タフクと先に知り合ったのは坂井だったからな。ちょっと遠慮してたところあった」
 なゆみは黙って聞いていた。
「でもある日、坂井が俺に、自分の気持ちに素直になれ、遠慮するなって助言してきたよ。それにタフクはつかみ所なくふらふらしてるから、縄にくくっておけとも言ってた」
「ふらふら? 縄?」
「そう、目を離すとすぐにふらふらするだろ。それにもうすぐ留学だ。このまま縄付けないでアメリカに行っちまったら、お前帰ってこなくなりそうだ…… 俺のところへ」
「えっ」
 なゆみは驚くまま咄嗟にジンジャを見つめた。
 スクリーンからの光がジンジャの眼鏡に反射している。
 その奥には真剣に見つめる双眸がなゆみを捉えていた。
「待ってるよ。たった一年だろ」
「ジンジャ……」
 辺りに人は残ってなかった。
 ジンジャはそっとなゆみに近づく。
 暗い映画館の中、映画のシーンさながらに、二人の頭のシルエットがくっついて一つになっている。
 なゆみは突然の事に驚いて目を開けたまま、ジンジャと唇を重ねていた。
 それはなゆみのファーストキスだった。

 その後のことはよく思い出せない。
 なゆみはどうやって家に戻ってきたのかも分からないくらいだった。
 片思いだと思っていたら両思いだったことも驚きだが、ジンジャにキスをされ、本来なら心がふわふわするほど嬉しいはずなのに、驚くばかりで、放心状態になっている。
 なゆみはキティのぬいぐるみを抱きしめ、ごろんとベッドの上に横になって、自分の唇を押さえていた。
 何かのひっかかりを感じながらも、後戻りできそうになかった。
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