Temporary Love

第四章


 なゆみとジンジャが氷室を見つめれば、視線は電波のように氷室に真っ直ぐ届き、氷室もすぐにキャッチしてそっちを見てしまった。
 なゆみとジンジャから見つめられ氷室はドキッとして、目を丸くした。
 二人がワイングラスを重ねている姿に驚きを隠せない。
 しかし、はっとしてすぐに顔を背け、見なかったように奥の席へとそそくさと向かっていった。
「タフク、あれ、氷室だろ」
「えっ、そ、そうかもね」
「そうかもねって、どうみても氷室だったじゃないか。なんであいつがこんなところに居るんだよ。あいつもなんかこっち見てびっくりしてたぞ。でも無視していきやがったけど」
「もういいじゃない。お互い知らないフリしてようよ。関係ないもん」
 無理をして言い切ると知らずと力がはいり、なゆみはぐっと体を縮こませた。
「まあ、そうだけど。なんか俺、あいつ見てたら腹立っちゃうんだ」
「ジンジャ、もういいじゃない。さあ、もう一回最初からやり直そう、ほら」
 さっきまでワクワクしてた気分が、一気に吹っ飛んでしまい、周りの空気の温度が下がったように、なゆみは寒気を感じた。
 やり直そうとグラスをもう一度重ねるが、軽かったワイングラスが重みを増して、ぶつかり合った音も鈍く聞こえた。
 なゆみは無理に笑顔を作り、楽しい気持ちを取り戻そうとそのワインを口にした。
 甘く飲みやすいワインを頼んだはずなのに、それはなゆみの口には合わなくて、どこかすっぱいきついアルコールの味が鼻と喉を締め付けた。
「ごほっ」
 なゆみはむせてしまう。
「おい、大丈夫か」
「ごめん、なんかびっくりだった」
 それはワインの味だけじゃなく、目の前に起こっていることも意味して完全に動揺していた。
 これは飲めない。自分には合わない味──。
 それでもなゆみはもう一度グラスに口をつけ、そして一口無理やり飲んだ。
 ぐっと喉が熱く締め付けられ、それは体の中へと流れていく。
 まるで火が体の中に注がれて、自分の中の何かが焼かれていくような感じがした。

 氷室が座った席はなゆみからは後ろになるので、振り返らないと見えない。
 だが向かい合って座っているジンジャからはよく見えた。
「氷室もしかして、あれ見合いじゃないのか」
「えっ?」
「氷室の隣には氷室に似たようなおじさんが座ってるから多分父親だろうな。その手前には女性が座ってその両隣は多分女性の両親だろう。ここからは後姿しかみえないけど、女性が着物着てるところみたらやっぱりあれは見合いだよ」
「ジンジャ、観察するのはやめなよ。みっともないよ」
「うん、そうだな。でもあいつ、なんか俺の顔見やがった。あっ、今、睨まれたような気がする」
「ジンジャがじろじろみてるからじゃないの。もう放っておこうよ」
「そうだな。ごめんごめん。折角タフクとここで食事してるのに、すまなかった。本当にごめん」
「ううん。もういいよ」
 口でそういいながらも、ほんとうはなゆみも気になって振り返りそうになっていた。
 そこに前菜が運ばれてきた。
 なゆみは料理に神経を集中させた。

 よりによって、こんなときになゆみとジンジャの食事風景を見ながらの見合いとは、氷室はとことん運の悪さを呪った。
 それが不機嫌となり知らずと顔に表れてしまう。
 テーブルの下で父親に足を蹴られなければ、自分でも気がついてなかった。
「どうも、すみません。息子はかなり緊張しているようでして」
 氷室の父親は懸命にその場の雰囲気を良くしようとしていた。
「いえいえ、こちらこそ、急にお呼びしてしまって申し訳ございませんでした。コトヤ君とは一度お会いしたくて、ずっとその機会を願っていました。本当にお越し頂きありがとうございました」
 見合いの相手の父親が気遣って話し出す。
 布袋様のようにずっしりとして貫禄があった。
「コトヤ君は一級建築士の資格をお持ちだそうで、その噂はかねがねから聞いておりました。初めて会った時は小さかったのに、立派になられましたね。うちも 小さいながら建築関係の会社を経営しておりますが、コトヤ君が自分と同じ職業を手にするとは思いませんでした。だけど、今はどう してそちら方面のお仕事をなされてないのですか?」
 面識があるようにぺらぺらと話してくるが、氷室にはあまりピンとこなかった。
「今は、充電期間として少し休んでおりました。これからまた復帰しようかと思っているところです」
 表情だけは余所行きに、氷室は適当にあしらった。
「ああ、そうですか。それは素晴らしい」
 何が素晴らしいんだと、突っ込みたくなりながら、氷室は愛想笑いを返していた。
「コトヤ、こちらは私が昔からお世話になってる方で、コトヤも覚えてるだろ。この方のお蔭で、今のお前があるんだから」
 そんなこと知るか!と心の中では叫び、覚えてないが、
「その節はお世話になりました」
 一応の礼儀は忘れなかった。
「コトヤさん、とても立派になられましたね。頭脳明晰とお伺いしてるし、そしてとてもハンサムでいらっしゃる」
 今度は相手の母親が参加してきた。
 どこかの旅館の女将のようなキリッとしたしっかり者の雰囲気があった。
「いえ、それほどでも」
「まあご謙遜なされて、オホホホホホ」
 だいこん役者かというくらい、その笑いは不自然で芝居臭かった。
 真ん中にいる女性は下を向いて恥ずかしそうにしながら、時々ちらちらと氷室を見ていた。
 消極的でいつまでも白馬の王子様を待っているようなお嬢様という感じだった。
 また父親がテーブルの下で足をこついた。
 どうやら女性に話しかけろと指示を出している。
 氷室は一度喉をコホンとならして、作り笑顔をつけて話しかけた。
「えっと、お名前は…… なんでしたっけ?」
 今度は足を踏まれた。
 その痛さに耐えつつ、氷室は恨みったらしく父親を一瞥した。
「すみません。息子は緊張しきって記憶にまで障害が…… 幸江さんでしたね」
 父親はしっかりしろと氷室に視線を向けて対抗した。
「幸江さんのご趣味は?」
 こういう時は無難な質問に限る。
 作り笑顔を添えて、畏まって聞いてみた。
「はい、あの、お茶とお花を少々。コトヤさんのご趣味はなんでしょうか」
 答え方もあまりにも型にはまりきってつまらなく、氷室はつい大きな欠伸をしてしまった。
 例のごとく父親の足攻撃が始まる。
 まだ開き足りない口を無理やり閉じて歯を食いしばると、目じりから涙が出てきた。
 結構欠伸をかみ殺すのも苦しかった。
 だがほんのすぐ向こうにいるなゆみを見ればもっと苦しい。
「あっ、すみません。昨晩ちょっと考え事していると寝られなかったもので」
 幸江を通り越して向こう側に居るなゆみの後姿に焦点を合わせていた。
「ほんとにすみません。いい年なのに、全く自覚がありませんで」
 父親がフォローして、足攻撃を受けてもなゆみの後姿から目が離せなかった。
 ジンジャとここに来てると言うことは、理由はなんであれ、あの二人は上手くいったということだろう。
 氷室は胸の痛みをずきずきと感じながら、落ち着かない気持ちを沈めるために目の前のグラスを手にとって水を一気飲みしてしまった。
 まるで自棄酒のような飲み方だった。
 しかし緊張している姿と取られたのか、幸江の両親は温かい目で氷室を見ていた。
 だが、氷室はまだ飲み足りないと、父親のグラスにまで手をかけて飲んでしまった。
「コトヤ!」
 父親はまた足を蹴ると、その弾みで水が変なところに入り氷室はブーと水を噴出してしまった。
 これには前に座っていたものは仰け反った。
 氷室は咳き込み、父親は慌ててナプキンを持って右往左往している。
「どうもすみません。コトヤ、お前はなんてことを。いい年こいて恥ずかしい」
 まるで幼児が食事中上手く食べられないで親に叱られているようだった。
 32歳にしては情けない一面だった。
「いや、氷室さん、いいんですよ。緊張すると何をするかわからないもんです。私も妻と初めてあったときは同じような失敗してました。アハハハハハ」
「嫌ですわ、お父さんたら」
(こいつら何のろけてんだ)
 氷室は咳き込みながら、苦しんでいるんだと見せかけて気に入らない表情をそこに織り交ぜて呆れていた。
 そして幸江と目が合った。
 それでも幸江は恥ずかしそうにしては氷室を熱く見ていた。
 これは長い食事になりそうだと、氷室はぞっとする。
 どうしてあの席に自分が座っていないのだろうと、瞳に寂しさを宿らせて、氷室はなゆみの後姿をまた見つめた。
 再び父親の足蹴りが飛んできた。
 自分でなんとか繕えと催促されるように目配せまでしている。
 氷室はとにかく幸江をみて無理して笑ってみた。
 幸江は益々照れ下を向いて恥らっていた。
(そうやってずっと下を見ててくれ)
 氷室は目から光線でも飛ばしてやっつけたい気分で幸江を見ていた。
(ビーム!)
 好き放題に頭の中で想像して乗り切ろうとしていた。
 しかし手まで動いてるとは気がつかず、ウルトラマンのように手刀を相手に向けてきめ技ポーズを作っていたとは自分でもびっくりだった。
 父親もこれには呆れてしまい、いきなり頭をどついた。
「いてっ」
「すみません。もう本当にお恥ずかしい」
「いやー、コトヤ君は面白い人なんですね。リラックスさせようとしてわざとおどけてくれて。これは中々楽しいもんです」
 幸江の父親は寛大だった。
 氷室は勝手に好きに思ってくれと開き直ってしまった。
 どうせこんな見合いには全く興味はない。
 氷室の父親は、益々苛立ち、テーブルの下で何度も足を蹴っていた。
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