Temporary Love2

第二章

10
 氷室はオスカーを連れてなゆみを迎えに学校へ向かう。
 その途中、パトカーが自分の車を追い越していく。何気なしに見れば、後部座席に、なゆみに良く似た女性が乗っていた。 
 氷室は、目をぱちくりさせて、良く見ようと思ったが、パトカーの方が速度が速くあっという間に過ぎ去っていった。
「まさかな。他人の空似だな」
 氷室はありえないと深く考えることはしなかった。
 実際は、なゆみはそのパトカーの後部座席に座り、自分が犯罪者になったような気持ちになってうな垂れていた。
 シートはプラスチックのブロックのように硬く、座り後地が悪い。
 元々犯罪者を乗せるための座席であり、気分は最悪だった。
 しかし乗せてくれるという折角のご好意に、なゆみは我慢するしかなかった。
 絶対に氷室よりも先に学校に居なければ、怪しまれる。
 そっちの方を焦っていた。
 巻き込まれないようにすると約束をした次の日に冗談では済まされないような大事件に巻き込まれてしまい、これを氷室が知ってしまったら致命的になるほど の心配を掛けてしまう。
 運良く大事にはいたらなかったが、どれだけアメリカという国は怖いんだと思い知らされた。
 益々帰りたくなってくるようだった。
 それでも英語をモノにするまではやっぱり帰れないと、なゆみはより一層の危機感を持って挑む決心をしていた。結構神経は図太いかもしれない。
 学校に着いて、なゆみは警察官にお礼を言って、さっさとパトカーを後にした。
 これ以上関わりたくないし、こんなところ氷室もそうだが、他の人に見られたらたまったもんじゃない思うと、気がつけば逃げるように走っていた。
 今更クラスにも入れず、授業が終わるまで氷室にも会わないように、コソコソと一目につかないところで隠れて時間を潰す。
 時間が来て授業が終わり、皆が教室から出てくるとそれに紛れて、氷室が待っている中庭に何気ない顔で現れた。
 そこにはオスカーもちょこんと隣に座って、氷室と話をしながら待っていてくれていた。
「お待たせ」
 なゆみは思いっきり笑顔を添えて氷室に近づく。
「おっ、終わったか。お疲れ。今日の授業はどうだった?」
「えっ、うん、それなりに楽しかったよ」
 そこで思いっきり大きな声で自分の名前を呼ばれた。
「なゆみ、あんた授業サボって今頃何しに来たの」
「あっ、聡子! ちょっとこっちきて」
 なゆみは聡子を引っ張っていく。
 氷室は何事だと困惑した顔をしていたが、オスカーが話しかけたので笑って相手をしだした。
「ちょっと、どうしたのよ」
「お願い聡子、氷室さんの前で学校サボったっていわないで。ちょっと事情があってこれなかったの。でもそれがばれたら怒られる。お願い黙ってて」
「うん、いいよ。そしたら今度なんか奢ってね」
「わかったから」
「だけど、あんた達、いつの間に子供ができたの?」
「うん、ちょっと色々あってね」
 なゆみが疲れ切った顔を見せると聡子は同情する。
「その調子じゃ、もしかしてまだ寝てないでしょ」
 なゆみは首を縦に振ってどうしようもないんだと情けない顔をしていた。

 氷室の側にヒヤヒヤしながらなゆみは戻り、早く帰ろうと催促する。
「なんか変だぞ。なんかあったのか」
 氷室はなゆみの変化を見逃さない。
 なゆみは首をブンブン振り否定し、誤魔化すためにもオスカーと話をし出した。
「ナユミ、ライド オン バス、TV」
 オスカーの言葉になゆみは固まった。
「オスカーは何を言ってるんだ? テレビでバスに乗った?」
「えっ、何? 何の話?」
 なゆみはとぼけるが、オスカーがテレビを見ていて自分が映ってる姿を言ってることなんだろうとすぐに気がついた。
「氷室さん、もしかしてテレビ見てた?」
「俺が風呂入ってる間、オスカーには見せてた。やっぱ、テレビ見せてたらだめだったか。テレビ見せると大人しかったからつい」
「ううん、別に大丈夫、大丈夫」
 なゆみはもうこれ以上テレビの話はしたくなかった。

 その午後、なゆみと氷室は赤ちゃんのためにとプレゼントを買いにショッピングモールで、オスカーを真ん中に三人で手を繋いで歩いていた。
「えっ、ベッキー、もう退院なのか? 昨日産んだばかりだろ」
「アメリカは産んだらすぐ退院なんだって。今日の夕方には帰ってきてると思う。今晩バーバラがご馳走作るから来てくれって、昨日言ってた」
 氷室はオスカーを抱き上げた。
「(オスカー、これから毎日妹と会えるな。しっかりしたお兄ちゃんになれよ)」
「アイ アム ア ビッグ ボーイ」
 オスカーも分かっているのか、しっかりと答えていた。
 そしてその夜、バーバラの家は騒がしくなる。
 近所の人まで赤ちゃんを見に来て、いろんな人が出たり入ったりと騒がしかった。
 赤ちゃんはアビゲルと名づけられ、早速ニックネームでアビーと呼ばれていた。
「アメリカの名前って、なんか日本人の耳には変に聞こえるときがあるよな。それに全く音が違うニックネームもあるし、変わってるよな」
 氷室は聞きなれない音でありながらも、赤ちゃんの前では親しみを込めて名前を呼ぶ。
「だけど、日本の名前だって他の国の人には変に聞こえるんじゃないですか?」
「そうだな、俺の名前もコトヤで日本人の耳にも結構変な響きだしな」
「コトヤっていい名前ですよ。確か漢字は古い都が入って”古都哉”でしたね」
「そうだ。俺の母親が葵(あおい)、父親が京(きょう)でなんだか京都のような雰囲気だろ。そこでこんな名前にされたよ」
「へぇ、そうだったんですか」
「なゆみは意味があるのか?」
「父親がお寺の和尚さんと話して、さらに姓名判断でこれがいいって勝手につけられました。母親は違った名前を考えてたみたいですけど」
「でも親がつけるということでは、我が子に与える最初のプレゼントだよな。俺達んときはどうする?」
「えっ?」
 さらりと言われるとなゆみはなんだか恥ずかしくなる。
 氷室もなゆみもこの日こそは二人の甘い夜になりそうだと寄り添っていた。
「(なゆみ、これあんたじゃないのか)」
 居間のテレビからバスジャックのニュースが流れ、バーバラが画面に向かって指さしてなゆみを見ている。
 乗客のインタビューと共になゆみがちらりと映っている。監視カメラが捕らえたバスの中でのハイジャックシーンも流れ、なゆみがそこで何をしたかが手に取 るように分かった。
 ニュースキャスターも劇的なニュースとして大々的に伝えている。
 そして何度もなゆみの映像が繰り返し画面に出てきていた。
 なゆみが隠し様がないと「あー」と声を上げて驚くと、氷室はテレビに近づいてさらに把握しようと目を凝らして暫く見ていた。
 顔つきがどんどん険しくなり、氷室は血の気が引くくらいぞっとすると共に、そしてゆっくりとなゆみに振り返り近づいた。
 氷室の目はギロリとしていて凄みを利かせたように睨んでいる。
 側にだんだん近づく氷室から圧迫感を感じなゆみは必死に繕おうと、笑みを見せなんでもないと振舞った。
 氷室がなゆみの前に立ったとき拳に力が入り、息を荒くして体を震わせていた。
 そして小さな声で「ちょっとこっちこい」と呟くと、なゆみの部屋に二人は入りドアが閉まった。
 そのとき部屋の中から「バカヤロー」と怒鳴る声が篭って外に漏れた。
 居間に居たものたちは、心配してお互いの顔を見合わせていた。

「氷室さん、なんでそんなに怒るんですか。何も心配することなんてないじゃない。私無事だったんだし」
 なゆみは身をすくませながら、氷室を見上げる。
 氷室がこんなに怒ったところをこれまで見たことがないと、非常に怯えてしまう。
「俺がなぜ怒ってるかお前はわかってないのか」
 なゆみは涙を一杯目に溜めて、首を横に振る。
「どうして、こんな大事なこと俺に黙ってるんだ。お前下手したら殺されてたかもしれないんだぞ」
「でも、心配かけたくなくて、だって私いつも抜けてドジだし、氷室さんにはこのこと知られたくなかった」
「お前、根本的なこと全然わかってない。もういい、勝手にしろ」
 氷室は怒るあまり感情をコントロールできず、なゆみを置き去りにして部屋から出てしまった。
 バタンと腹いせのように強く閉まったドアの音ですらなゆみの耳に痛さを負わせた。
 なゆみはどうしていいか分からずに、一人で部屋の中で泣くことしかできなかった。

 氷室は怒りを露にしていると、エリックが氷室の肩に手を置いた。
「(コトヤ、何を怒ってるか知らないが、まずはちょっと飲まないか)」
 エリックはダイニングテーブルに氷室を座らせて、そしてビールの瓶を目の前に置いた。
 エリックは氷室をなだめるように男同士で飲もうと、気を使っていた。
 そしてバーバラが、なゆみの様子を見てきてくれとアンに頼んでいた。
 アンはドアを軽くノックして少しだけ開け「アロー」と声を掛けた。
「(入ってもいい?)」
 なゆみはアンを部屋に入れると、アンはなゆみに優しく抱きついた。そして二人でベッドの淵に座って語り合う。
「(何を泣いてるの? 彼が怒ったから? 彼は心配しすぎて感情が爆発しただけよ)」
「(でも、なんであんなに怒るんだろう。私無事だったのに)」
「(なゆみもどうしてあんな危険な目にあったのに彼に隠してたの? しかも何事もなかったように振舞って)」
「(だって心配かけたくなかったから)」
「(私はそれ間違ってると思う。私があんな目にあったらすぐに彼に抱きついて怖かったこと話して気持ちをわかってもらおうとするけどな。彼は心配するかも しれないけど、私のこときっと優しく包み込んでくれて、心を癒してくれると思う。なゆみはそれを隠したということは、彼の存在を無視したんじゃないの?  彼は嘘をつかれたと思ったんだよ。恋人が危険な目にあってるのを知らないなんて男には侮辱だよ」
 フランス語訛りの英語は音が柔らかく耳に届く。アンの英語も完璧ではなかったが、なゆみには彼女が何を言いたいのかはっきりと理解できた。
「(アン、私どうしたらいいの)」
「(今は、エリックと飲んでるから、少し放っておいた方がいい。コトヤも心の整理ってものがあるだろうし、ちょっと時間をあげたら? それから落ち着いた らまた話し合えばいいよ)」
 なゆみは氷室がもうすぐ日本へ帰ってしまうこの瀬戸際に、喧嘩になってしまってとても不安だった。
 アンは一緒に部屋をでようといったが、なゆみはできなかった。
 アンは仕方がないとため息を一つ吐いて部屋を出て行った。
 なゆみは落ち着かない気持ちでベッドの上に寝転がる。
 氷室がまた部屋に来てくれることを願ってドアを見つめていたが、氷室も一向に現れる気配がない。
 そしてなゆみ自身も自ら会いに行こうという気持ちにもなれなかった。
 お互い自分の感情を対処できず、意地を張り合う形となってしまった。
「なんでこうなっちゃうの。やっぱりもうダメなのかな」
 まだ付き合って間もないというのに火山が爆発したような喧嘩になり、なゆみの心は一気にズタズタになっていく。
 ずきっとした心の痛みを抑えるようになゆみはベッドにうつぶせになって泣いていた。
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