Temporary Love2

第二章


 地図を見ながら車で走らせた先には、リッカーショップや、鉄格子が窓に掲げられた小物店、そして窓がない怪しげなバーなどが連なり、あまり治安のよさそ うなと ころには 見えなかったが、紙に書かれた住所を頼りにとにかくそこを目指す。
 人も車も滅多に通らず、氷室となゆみを乗せた車だけが闇の中を走り抜けていた。
 夜に彷徨う見知らぬ土地は、暗黒街へ踏み込んだように生きた心地がしない。
 二人は不安になりながらも、捜し求めたスケッチブックの持ち主を見つけるために何も言わず突き進んでいた。
 そして寂れた二階建ての建物が目に入り、それが住所の家番号と一致した。
「ここだ。なんか怖いな」
 暗いこともあったが、アメリカに慣れない氷室には危険な要素があるところは過敏に反応する。
「また怖い物リストに加わりましたね。治安の悪そうなところに立つアパート」
「おい、冗談言ってる場合か。アメリカは油断すると何でも怖いんだぞ。夜は絶対にこういうところ一人で来るなよ」
「それは私もさすがに分かってます」
 周辺に車を停め、氷室もなゆみもビクビクしながら夜道を歩き、そして氷室がなゆみを守るように建物の入り口に入っていった。
 中に入るとドアがずらっと並んでいる。教えられた部屋の前に立ち、氷室は紙に書かれた番号をもう一度チェックしてから、なゆみと顔を合わせて同時に頷く と緊張してドアを二度叩いた。
 中から、栗色の髪がワイルドにはね、無精ひげの生えた20歳代後半くらいの男がどんよりとした目つきをして出てきた。
 氷室となゆみたちをみて怪訝そうな顔をする。
「(なにか用か?)」
「ジェイク?」氷室が呼ぶとジェイクは益々困惑した顔で「(誰?)」と言った。
 なゆみはスケッチブックを渡した。
「(これを届けにきました)」
 なゆみは喧嘩をしているところを見ていたことを説明し、そして仲直りして欲しいと懸命な目を向けた。
 ジェイクは突然のことに驚きつつも、急に不機嫌になり怒りを露にする。
「(そのスケッチブックは捨てたものだ。それに放っておいてくれないか、君達には関係ない)」
 ジェイクがドアを閉めようとすると、氷室はそれを遮るようにドアを押し返した。
「(ジェイク、絶対後悔するぞ。俺もわかるんだ。君と全く同じ経験をしたことがある。どうしようもないと俺も一時は諦めた事があるんだ。口では自棄になっ て否定していた。でも、やはり本心は嘘をつけないってほんとは分かってたんだ。君もマリアが好きでたまらないんだろ。だったらその気持ちに素直になれ。こ のスケッチブックに描いたマリアの絵、彼 女にネックレスを送ったときの絵なんだろ。その時ジェイクはどんな気持ちだったんだ? 思い出せよ。喧嘩ぐらいでそんな簡単に諦めていいのか。そのスケッ チブックに描いた絵 は一体誰に見てもらいたかったんだ? ジェイク、目を覚ませ)」
 氷室は全く見ず知らずのジェイクを目の前に、昔の自分をオーバーラップさせ必死に説得した。
 その氷室の声がジェイクの耳に痛いほど届く、ジェイクは葛藤しながら、時折顔を歪ませる。
「(ジェイク、私、ジェイクの30年後くらいのあなたに似た人と出会ったの。その人もあなたと同じように恋人と別れてしまって、そして絵描きになることを 諦めてすごく後悔してたわ。そしてその彼女に先立たれて、一番見て欲しい人に見てもらえないならもう絵を描いても意味がないって言ってた。ジェイクもその 絵はマリアに見てもらいたかったんじゃないの? マリアにしか分からないメッセージがそこに描かれているんでしょ。私には分かる。あなたがどんな気持ちで どんな目をしてマリアの絵を描いたのか。そこにはマリアへのあなたの愛が見えるのよ。こんな素敵なマリアの笑顔を描けるなんて、愛がなければ描けないわ」
 なゆみは自分の言いたいことがどれだけ伝わってるか自信がなかった。思いつきのままの単語を使い、思いつきのままの英語で一生懸命話していた。頭ではこ う いいたいと思っていたが、文法はめちゃくちゃだったかもしれない。
 それでもなゆみの意気込みが通じたのか、突然風船が目の前ではじけたようにジェイクの顔つきが変わった。
「(君達は、もしかしてエンジェルなのか?)」
「(うん、そうよ! あなたがマリアに送ったネックレスのエンジェルよ)」
 なゆみはもうなんでもありだと、好きに話を作った。
 ジェイクの瞳は水でできているかのように柔らかく潤っていた。
「(ありがとう。明日、彼女に会いに行くよ。意地を張らずに謝ってみる)」
「(ダメだ、今すぐ行け!)」
 氷室がダメだしする。
「(でも、俺、車がないし、今からでは歩いては行けない)」
「(だったら、俺達が連れて行ってやる)」
 氷室はなゆみに同意を求めるように見つめた。なゆみは「うん」と大きく首を振った。
「ジェイク、レッツゴー!」
 なゆみがジェイクの腕を引っ張ると、ジェイクも興奮してきたのか、笑みを浮かべて大きく頷いた。

 スケッチブックを抱え、ジェイクは後部座席でマリアのことを考えて静かに座っていた。
 時々、道順を伝え、氷室はそれに合わせてハンドルを切る。
 そして彼女の住むアパートに着くと、ジェイクは心の準備ができていたように車から降りて走り出した。
 それを見守ろうと、なゆみも氷室も後をつけた。
「氷室さん、この辺、なんか見覚えありますね」
「あの辺りの公園はスケッチブックに描かれていたよな。俺達もここへ来てたんだよ。なんだこんなところに住んでたんだ。やっぱりあの絵にはヒントがあった んだ」
「回り道してしまいましたが、見つかったからいいじゃないですか」
 これで一安心とばかりに、二人は満足感一杯の喜びを見せ合っていたが、ジェイクに追いついたとき、彼がドアの前で顔を青ざめて立っていたのを見て、また 再び緊張が走った。
「(ジェイク、どうしたの?)」
 なゆみは恐る恐る声を掛けた。
 目の前に居た女性はマリアではなく少し年老いている。彼女のルームメイトだった。
「(マリアは田舎に帰ってしまった)」
 ジェイクが肩を落として震える声で言った。
 すると、そのルームメイトが付け足した。
「(今夜の夜行バスだから、今から行けば間に合うかも)」
「(ジェイク、諦めるな。行こう。彼女を追いかけるんだ。早く!)」
 氷室はかつての自分と全く同じパターンだと、感情移入してしまう。
 三人は慌てて車に戻り、バス乗り場を目指す。
 氷室は絶対に失敗するかと、人が変わったようにレーサーのような鋭い目つきをして運転する。
 その隣でなゆみは「頑張って」と応援しつつ、益々かっこいいと見とれていた。

 ダウンタウンのバス乗り場に来たとき、一台のバスがちょうど発車したのが見えた。周りにはすでにバスはない。
「まさかあのバスにマリアが乗ってる?」
 なゆみが心配して恐々と氷室に問いかける。
「(ジェイク、マリアの田舎ってどこだ?)」
「(ポートランド、オレゴン)
 氷室は窓を全開して、その辺の人を捕まえて、出たばかりのバスの行く先を訪ねた。
 そして、また真剣な顔付きになり、バスの後を追いかけた。
「(ジェイク、まだ間に合う。諦めるな)」
 まだ一般道路であり、バスが信号に引っかかれば簡単に追いつくはず。ただその前に高速に乗られたらおしまいだと、氷室は少し焦りだす。
 隣でなゆみが氷室の膝に手を置いて、絶対大丈夫だと勇気付ける。
 氷室はそれに励まされ、目の前の車を切るように次々と追い越し、神経を集中させる。
 氷室もなゆみを空港まで追いかけて間に合わなかった苦い経験を持つ。飛行機は追いかけることはできなかったがバスならできるとばかりに、他人事ながら諦 めたくはなかった。
 ハリウッド映画並みのカーシーンを自分でも繰り広げてると思いながら車を追い越し、時折ヒヤッとする思いを抱いて、それでも氷室はハンドルをしっかりと 握っていた。
 運良くバスは一般車よりもゆっくりと進み安全運転を心がけていた。そこで信号に引っかかり、かなり近くまでバスに近づいた。
 二車線で、氷室はバスの右側のレーンに沿って真っ直ぐ進む。そしてあと一歩で追いつくといったとき、信号は青に変わり、またバスがすぐに発車してしまっ た。
「くそっ」
「氷室さん、頑張れ」
 なゆみも手に汗握り、心臓に悪いと息を荒く吐きながら、祈る思いでバスを目で追いかける。
「(ジェイク、バスの中をしっかり見ろ、彼女が乗ってるか確認するんだ)」
 氷室はやっとの思いでバスの小脇に車を走らせることができ、ジェイクは窓を全開して、身を乗り出すようにバスの中を覗いた。そして真ん中の窓際に彼女の 姿をとうとう見つけた。
「I found her! (見つけた!)マリア!」
 ジェイクが声を張り上げる。マリアは耳にイヤフォンを付け音楽を聴いているためにジェイクの声が届かない。
「マリア、気がついて!」
 なゆみも窓から身を乗り出して大きく手を振った。
 氷室も車のホーンを鳴らす。
 何事かと周りの車は氷室の運転する車を見るが、マリアはまだ気がつかない。
 だが、マリアの後ろに座っていた年配の女性が気がつき、不思議そうに外を眺めていた。
 なゆみはジェスチャーで前の人の肩を叩いてくれと何度も自分の肩を叩いて、マリアを指差す。それが通じたのかその人はマリアに声を掛けて、窓の外を指差 した。
 そしてジェイクの姿に気がつき、マリアは目を見開いた。
 しかし、バスはまだ走り続け、目の前には高速道路の案内のサインが出てしまった。バスはそれを目指す。
 それに乗ってしまえば、暫くは降りられない。
 氷室は何とかしなければと、運転手の近くまで車を走らせて何度もホーンを鳴らした。
 運転手は顔をしかめ、氷室の車を怪しげに見つめる。
 なゆみは何度も「ストップ、ストップ」と繰り返す。
 そしてマリアが運転手の側に近寄り、何かを説明しだした。そしてバスはウインカーを出し速度を落として道路脇に寄ると停まった。
 氷室も同じように車を道路の脇に停めると、ジェイクは一目散に車から降りる。
 ちょうどそのとき、マリアもバスから降りてきた。二人は走りより固く抱き合っていた。
 氷室もなゆみも、骨が抜けたように体から力が抜けて、デロデロと座席からずり落ちていく気分だった。
「氷室さん、やりましたね」
「ああ、やったよ。なんだか俺泣けてきた」
「私も」
 二人は喜びを分かち合うようにひしっと抱き合った。
 そして、後ろではバスがゆっくりと動き出し、氷室の車めがけてホーンを一度鳴らす。まるで事情を理解したといわんばかりに、大きく響いていた。
 氷室もなゆみも車から降りて、ジェイクとマリアの元へと近寄った。
 ジェイクは、氷室に抱きつき、そしてなゆみにも抱きついた。
「(ありがとう。君達のお陰だ。本当にありがとう)」
「(やったね、ジェイク!)」
 なゆみがにこっと微笑むと後ろでマリアも「ありがとう」と泣きながらお礼を言っていた。
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