第三章
3
「えー! なんであなたがここにいるの!」
「アナタコソ ナゼ ココニ イル?」
「(ん? なんだ妹と知り合いなのか?)」
「えっ、この人がスコットの妹?」
そこには氷室をしつこくつきまわしたベスがいた。ふてぶてしくなゆみを睨むように見下ろしている。
なゆみは頭がくらくらしてしまう。やっぱり家で寝ていた方がよかったとこのとき無理をして学校に出向いたことを非常に後悔した。
よりによってまたベスに出会い、そしてそのベスの兄に見初められるとは元凶の何ものでもない。
驚きすぎて足元もふらふらしてしまい、後ろに下がったときガクリと力が抜けて尻餅をついてしまう。
「(なゆみ、大丈夫か)」
スコットがナユミの体を軽々抱えて、ソファーに座らせた。
気が動転しすぎてなゆみは動けずソファーに座り込んでしまい、心なしか呼吸も荒くなる。
「なんか飲み物でも飲んで少し落ち着いた方がいい」
スコットはデスクにあった電話を取って何か飲み物をもってこいと命令をしていた。
「(スコット、この女をここに連れてきてどういうつもり。私この子嫌いよ)」
「(おいおい、将来のベスの義理のシスターになるんだぞ。そんな口聞くな)」
「(ちょっと、この子と結婚するつもり?)
「(ああ、もう決めたよ。僕も28だし、そろそろ結婚適齢期だろ。バスジャックされたバスの中で運命的な出会いをしたし、なゆみしか考えられない)」
「(えっ、この子がスコットが一目ぼれしたって言ってたあのバスジャックで犯人逮捕に貢献した女だったの!? あんただったの。あんな無茶なことした噂の
女って。なるほど、この女なら怖いもの知らずだわ)」
めちゃくちゃな会話が繰り広げられ、英語だったためになゆみは耳にしていることが聞き間違えのように思えてすっと理解できない。
「(だけど、私はこの女の義理のシスターだなんて絶対に嫌だから。それにあんたも早く逃げた方がいいわよ。スコットは私以上に執着してしつこいから。ここ
にいたら
ほんとに結婚させられるわよ)」
なゆみに忠告すると、ベスはふんと気分を害して出て行った。
ベス以上のしつこさと聞いてなゆみはぞっとする。
「(あの、スコット、私、その、結婚できません)」
「(どうしてだい? 君は時期社長夫人だ。お金には不自由はさせない。君の欲しいものなんでも与えてやる)」
「(け、結構です。だから私には好きな人がいるんです)」
「(そいつはどんな仕事しているんだい? 僕よりも稼ぐのかい?)」
氷室は仕事を辞めてきて無職だった。なゆみは言葉に詰まった。
「(今は仕事してませんが、そのうち建築家として活躍する人です)
「(ふーん。とにかく今は僕の方が結婚相手にふさわしいってことだ)」
「(待って下さい。まだ知り合ってすぐだし、私のこと良く知りもしないで、結婚なんて思う方が間違ってます)」
「(いや、僕の父が母に一目ぼれして、その日のうちにプロポーズさ。そして今も愛し合ってる。僕もそんな劇的な運命に憧れてた。そしたらなんと僕にもその
運命の扉が開
いた。あのバスジャックで、君が立ち上がったとき、天使が光臨したかと思ったよ)」
この思い込みの激しさと、執着心の強さはなゆみには脅威だった。ベスの兄ということも考慮すれば、これくらいのしつこさはこの人たちには当たり前の感覚
なのかもしれない。
それにしても、ここから早く脱出をしなければと今更ながら危機感を感じてしまう。
(あーあ、またやってしまった)
なゆみは頭を抱えてうなだれた。
そこに、秘書らしき女性が飲み物を運んで入って来た。
なゆみの前に苺と生クリームが添えられた、美味しそうなピンク色のスムージーが置かれた。
「(言ったようにブレンドして作ってくれたんだろうな)」
「(はい、ご命令通りに作りました)」
女性は礼儀正しく、主人に仕える忠実な態度を見せて、そして去っていった。
「(なゆみ、飲んでくれ。僕が考えたオリジナルレシピさ)」
「(あの、私帰りたいんですけど)」
「(それじゃその飲み物を飲んで感想を聞かせてくれないか。経営しているレストランの新しいメニューに加えようと思ってるんだ)」
「(これ飲んだら帰ってもいいんですか?)」
「(君がここから一人で帰れるのなら)」
「(もちろん帰れます)」
なゆみは意地になってそれを飲んだ。でも意外と美味しくて、これは文句なしに気に入った。
「(これ、美味しいです。何が入ってるんですか? 私も作りたい)」
なゆみが自分の立場も忘れ暢気にレシピを聞くと、スコットはにやりと笑った。
「(グアバジュースをベースに、苺シャーベットと生の苺、そしてレモン果汁を少々ブレンドして、そこに生クリームを添えたんだけど)」
「(シンプルですが、なかなかなかったアイデアですね。なるほど。フローズンカクテルみたいで、舌触りもざらっとしたぶつぶつ感が、癖になります)」
料理に関心があるだけに新しい味に出会うとなゆみは好奇心がうずく。ずずーっと最後まで飲み干してしまった。こんなことしてる暇があれば逃げろと言うの
に、やはりどこか抜けていた。
「(だけど君が飲んだのはあともう一品入ってるんだ)」
「(えっ? なんだろう?)」
「(そのうちわかるよ)」
「(あの、私これで帰っていいんですよね)」
「(そうだな、もう少しだけ僕の話し相手になってくれたら、あとは好きにどうぞ)」
暫くして不敵に笑うスコットの顔が二重に見えてくると、なゆみの体の動きが鈍くなった。そしてガクッとソファーの背にもたれ目を閉じると首が横に
傾きそのまま動かなくなってしまった。
「(それには睡眠薬が入ってたんだ。暫く眠っててもらうよ)」
スコットはまた電話を入れ、何かの命令を出していた。
その頃氷室は、ジェイクのルームメイトの店にまた現れた。ジェイクがデザインしたエンジェルのネックレスが欲しいと買い
に来たのだった。
氷室がまた戻ってきたことで店員も喜び、ジェイクから話を聞いていたので、氷室と意気投合するかのように話が弾んでいた。
そして特別にと、なゆみのNとコトヤのKのアルファベットの飾りをチャームを挟むように左右の端に付け加えてくれた。
そのエンジェルは赤いハートを抱えていたので、二人の愛がパーマネントであるようにとの願いがこめられているようだった。
氷室はそれを早くなゆみの首にかけてやりたくて、待ちきれないと一人でにやついていた。
ネックレスをなゆみの首にかけてやる場面を想像しながら氷室は学校になゆみを迎えに行く。
「あいつ、大丈夫だろうか。あんなことがあってまたどっかで倒れていたらどうしよう」
前夜は無理せずに次の日学校を休めと提案したが、連続して休んでいるだけになゆみは言うことを聞かなかった。
それ以上言えばまた喧嘩になっても困ると、氷室は折れた形でなゆみのしたいようにさせた。
それ故に心配になっていたが、もうあれ以上のハプニングは起こらないだろうと思い込んでいた。
いつものところでなゆみを待とうと足をそこに向けたとき、ベスの姿を見てしまった。
キョロキョロとしているしぐさは自分を探されているように思えて、氷室は慌てて建物の影に隠れ思いっきり嫌な顔になっていた。
「しつこいやつだ」
なんとか顔を会わせないようになゆみの授業が終わるまでベスから逃げていた。
そして教室から生徒が出てきたとき、なゆみにネックレスがプレゼントできるとばかりに、少しドキドキする。
だが、いくら待ってもなゆみが現れない。
氷室は次第に不安になってきた。
そして聡子を見つけて思わず駆け寄ったが、聡子の方が氷室に会えて嬉しいかのようにすぐに話しかける。
「あっ、氷室さん。なゆみはどうなりました? 大丈夫ですか?」
「えっ? 今日学校に来ませんでしたか?」
「いいえ」
氷室は頭に石を落とされた程ショックを受けていた。
「どうなってるんだ。あいつ今日は学校に行くって頑なに言ってたのに」
「ハーイ、コトーヤ」
この自分の名前の呼ばれ方は虫唾が走るようだった。
「(ベス…… すまないが、今君と話している暇はない)」
「(私を邪険にしてもいいのかな。そんな態度ならやっぱり教えるのやめとこう。彼女がどうなっても知らない)」
「(ちょっと待ってくれ。彼女がどうなっても知らない? それどういうことだ。まさかなゆみのことか)」
「(なゆみ、確かそんな名前だったね。私のブラザーもそう呼んでた)」
「(ブラザー? なんの話だ)」
「(彼女、うちの兄に見初められちゃった。結婚したいんだって)」
「(おい、話が分かるように話してくれないか)」
ベスは時折意地悪な笑みを添えて事情を全て話すと、氷室の魂が抜けそうになるほど衝撃が走った。
「どういうことだよ。なんでこうなるんだ!」
氷室は我慢できずに叫んでしまう。
ベスはそれを見ていい気味だと笑っていた。
「ソレジャ、グッドラック」
「(ベス、ちょっと待て。そのあんたの兄貴の会社はどこにあるんだ。案内してくれ)」
「(ええ、どうしようかな)
そのとき、トオルが現れると、ベスは猫なで声になった。
「ハーイ、トオル」
「よぉ、ベス。元気か」
二人はハグをしあい、べたべたとお互いの体を触り急に親密になっていた。それが何を物語ってるかすぐに分かったが、そんなことなど氷室にはどうでもよ
かった。
「ベス、頼む。教えてくれ」
氷室は今度は日本語で必死に頼み込む。
「どうした、ベス。なんかトラブルか。こんな態度の悪い男に構うな」
トオルが前回の仕返しだとばかりに氷室を嘲笑った。
氷室は頭に血が上ってしまい、トオルの胸倉を感情のままに掴んでしまった。
切羽詰った危機の中、紳士的になれるはずもなく、力づくでねじ伏せるようにトオルに凄みを効かしたにらみをぶつける。
「氷室さん、暴力はいけません」
ずっと側で見ていた聡子がさすがにまずいと止めに入る。
「おい、いい加減にしろよな。アメリカに来て、お前がやってることはなんだ。えっ? 誰が一番早く女と寝るか競争してたんだよな。それで勝ったのはお前
か? どうなんだよ」
小声でも低く響く氷室の声を聞いてトオルはたじろぐ。体も大きく、貫禄では氷室の方がどうみても喧嘩に強そうだった。
「ベスに教えてやろうか。お前のやっていたゲームのこと」
その一言でトオルはごくりと唾を飲み込み、首を横に振った。氷室は手を離し、トオルの胸倉を整えてやった。
「ベス、教えてあげた方がいいかも。いや、是非教えてあげて」
弱気になったトオルはベスに助言していた。
「(トオルがそこまでいうのなら仕方ないね。私もあの子が兄と結婚するのは避けたい)」
ベスはトオルに惚れているかのように素直に言うことを聞き、氷室に話すのはしゃくながらもこのまま結婚されても困ることもあり、仕方なく話しだした。
会社の名前と所在地、そしてスコットのオフィスがある階まで教えられると氷室は一目散にそこへ向かった。